第2話

 担任の坂井先生はボソボソ声で指示を出し、事前登校時に説明されていた手順で、生徒たちは体育館へと向かう。

 入学式に参列するのは、教師と二年生と三年生の代表、一年生の保護者だ。

 式は、ありふれた形式で進んだ。

 一年生が入場して、前方に並べられた椅子に座る。

 保護者席は後方で、和樹はすぐに母の沙々子たちを見つけた。

 ライダースジャケットを着た上野の兄も。


 席に着くと、校長先生の式辞が始まり、二年生と三年生代表の式辞、そして合唱部による校歌斉唱があった。

 そして一年生は退場し、保護者説明会に移る。


 教室に戻った生徒は、今後のスケジュール説明を受ける。

 その後は再び体育館に戻り、ステージ上で集合写真の撮影。

 残っていた保護者たちも、我が子の姿に見入っている。

 撮影が終わったクラスから保護者と教室に戻り、下校となる。


 1組の撮影は最初だったが、和樹は注意深く周囲を観察していた。

 この中に、敵が居るかも知れないのだ。

 だが蓬莱さんのエルフ耳以外、異変は見当たらなかった。

 いつぞやのように、場にそぐわない服装をしている者もいない。


 撮影後、教室で明日の注意事項を聞き、10分程度で下校となった。

 外に出た和樹たちは、沙々子たちと校門前で代わる代わる記念写真を撮った。

 上野の兄は、説明会の後に早々に帰ったらしい。

 沙々子たちはまたタクシーを呼び、先に帰宅した。

 蓬莱さんの祖母の村崎さんも穏やかな様子で、蓬莱さんに手を振ってタクシーに乗り込んだ。

 今のところは、蓬莱さんとは上手くいっているようだ。

 全てが終わった後も穏やかに過ごして欲しい、と和樹は願う。



「しっかし、混んでるねえ」

 バス停の前の生徒の行列を前に、上野は苦笑いした。

 和樹たちはバスでの帰宅となったのだが、さすがに混んでいる。

「ひとつ前のバス停まで歩いた方が早くね?」

「でも、バス来たよ」

 久住さんは、背伸びして指を差す。


 バスは停留所で停まり、生徒や一般客が続々と乗り込む。

 久住さん、蓬莱さん、和樹までは何とか乗れたが、上野と一戸が乘れるスペースが無い。

「……こりゃ、ダメだわ~」

 上野と一戸は乗るのを諦め、後ろに下がった。

「ナシロ、後で電話くれよ」

 教室で、和樹から蓬莱さんの様子を耳打ちされていた二人は手を振る。

 和樹も手のひらを振り、そしてドアは閉まって発車した。


「しゃーねーなー。秋まで、チャリ通学にした方が良かったかな~」

 上野は軽く口笛を吹いたが、一戸はご機嫌斜めな口調で言った。

「俺は、歩きで帰宅しても構わないが」

「そんなこと言うなよ。それよりさ、途中の道に駄菓子屋を見つけた。行こうぜ」

「……いいけど」

「近所の駄菓子屋も、数年前に無くなったし。わびしいにょお~」


 そうして二人が3分ほど歩くと、歩道沿いに『かなや』の看板を掲げる小さな店が在った。

 木造の二階建てで、二階には洗濯物が干してある。

 上野は硬貨を取り出し、一戸に強引に渡し、引き戸を開けた。

「おやつは300円までだぞ」

「いいよ。自分で出す」

「そう言うな。裏に公園があるみたいだから、そこで食おうや」


 上野は小さなプラかごを取り、棚に並ぶ駄菓子を選ぶ。

 小学生たちも数名おり、高齢の店主の男性と話をしていた。

 背後の棚に置かれた写真立てには、高齢女性の写真が飾られている。

 店主と子供たちは、楽しそうに話し、クジを引いていた。

 一戸は、しばしそれを眺めていたが……適当に駄菓子を選んでカゴに入れる。

 会計し、駄菓子は店主の前でスクールバッグに入れ、礼を言って店を出た。



 裏には小さな公園があり、小学生たちがベンチに座って、駄菓子を食べていた。

 上野と一戸はジャングルジムに寄り掛かり、駄菓子を口に運ぶ。

 木陰に近い古びたジャングルジムの周辺は、黒ずんだ雪が溶けずに残り、冷たい風が吹き抜ける。


「……駄菓子って良いねえ。いや、お前んちのケーキもウマいけどさ」

「そうかな……」

 一戸は、イカのくんせいを眺めながら考え込んでいる。


「おい、食べてくれよ。オレのおごりなんだから」

「……どうして忘れてたんだろう……」

 一戸は、雲に覆われ始めた空を見上げた。


「幼稚園の頃だった……住職の祖父の寺の近くの空き地に、駄菓子屋さんがポツンと建ってた……」

「それで?」


「その広場から、花火大会の花火が見えた。子供たちが集まってて、駄菓子を食べながら、花火を見た……」

「そっか……」


「駄菓子屋さんのクジで、手のひらサイズの恐竜のオモチャが当たった。何度クジを引いてもハズレるのを見かねたご主人が、『この辺を引くと当たりだよ』って教えてくれたんだ……」

「それで?」


「翌年の夏に行くと……駄菓子屋さんは無くなっていた。ご主人が病気で廃業したと聞いたのは、小学生になってからだ……」

「……寂しいな……」

「今まで忘れてた……恐竜のオモチャも失くした……」


 一戸はしゃがみ込み、顔を伏せた。

 上野はラムネを口に放り込み、背を向けて言う。

「ごめんな。オレもナシロもにぶくてごめん……」

 

 上野は、背を向けたまましゃがみ込む。

「お前さ、推薦に落ちた時……書道家の祖父じいさんに、こっぴどく叱られただろう? オレたちに心配させないようにと、黙ってたんだよな? 厳しい祖父じいさんの目を気にして、書道も剣道も頑張ってたよな? 祖父じいさんの『理想の孫』にならなきゃと思って、ひとりで気ィ張ってたんだな……」


「……叔父の宇野さんが『悪霊』に憑かれた姿を見て……何かがプッツリ切れた」

 一戸は、消え入る声でつぶやいた。

「あんなに穏やかで優しい人が……俺自身も取り憑かれたこと思い出して……吐き気がする……」



 ガムを噛みつつ、話を聞いていた上野だが……やがてシュッと立ち上がる。

 屈んで、一戸をまじまじと見て言う。

「……おい,ハグするぞ」

「……は?」

「こういう時は、ハグするって決まってんだよ」

「……嫌だ」

「あちょら~」


 上野は降参とばかりに変な声を出し、しかしチョコボールをスッと差し出す。

「でもさ、お前言ったじゃん。『ここは俺に任せて、先に行け』は駄目だって。オレたちが思うほどに、オレたちの心って強くはないんだな。だからさ、疲れた時は休もうぜ。今夜も、ナシロたちに引っ張り込まれるかもだけど、後ろでお馬さんに乗って見物してろや」


「……全力で拒否する」

「……おい、一戸」

「……何だ?」

「やっぱり、ハグしようや」

「絶対に嫌だ」

「じゃ、チーズスティックをくれ」

「全部もってけ」


 立ち上がり、バッグから駄菓子を出して、上野のコートのポケットに突っ込む。

 そしてベンチの小学生たちを眺め、うらやむように呟いた。

「どうして……大切なって、失くしちゃうんだろうな……」

「辛いよな。オレの顔面、戻って来~い♪」

 上野はチーズスティックを受け取り、開封した。

 チーズの香りが漂ったが、すぐに風にき消される。


「食ったら、バスで帰ろうや」

「……ああ。帰ったら、昼寝しとく」

 一戸はスッキリしたように微笑み、歩道を見た。

 自転車に乗った上級生二人が、颯爽さっそうと通り過ぎて行った。

 




 


「今日も全員、揃ったねえ」


 夜……『魔窟』に集合した一同は、互いの顔を見合わせる。

 チロはキャンキャンと鳴き、フランチェスカは過去の主人の『月窮の君』の傍らに寄り添う。

「大丈夫でしたか、姫さま?」

「どうにか……ここに降りる時に、異常は感じませんでしたか?」

 蓬莱さんは、全員を気遣って声を掛けた。


 今回は、彼女が主導しての『魔窟まくつ』への潜行である。

 同じ時間に和樹と蓬莱さんが湯に浸かり、蓬莱さんが『三途の川』の水を引き込むイメージを想像する。

 すると二人の浸かった浴槽に、同時に『三途の川』の水がいざなわれる。

 『魔窟まくつ』に『蓬莱の尼姫』が居るからこそ、出来るわざだ。


「まあ、無事に今まで通り、スムーズに来れて良かった」

 上野は、横の一戸を見て笑う。

「で、チョコモンくん。前から気になってたけど、その白頭巾しろずきんの下、坊主なん?」

「……知らん。行くぞ、神名月かみなづき

「うん」

 和樹はうなずく。


 その後ろでは、フランチェスカが蓬莱さんに訊ねている。

「姫さま……中将の父上は大丈夫なんですか?」 

「ええ。無事であると確信できます。『宝蓮宮ほうれんのみや』の奥深くにいらっしゃいます。『弦月げんげつさま』の名で呼ばれているようです。けれど、あの月……」


 蓬莱さんは、巨大な月を眺める。

「あの月の光は危険です。私たち以外が、光を浴び続けると……『悪霊』と化すようです。けれど中将さまの父上は、光の届かない奥の間で過ごされています。当分は、大丈夫だと思います」


「本当ですか…?」

 上野は姿勢を正す。

 前に『月窮の君』と再会した時、無意識にひざまずいたのを思い出す。

 以前に、『蓬莱の尼姫』に仕えていたであろうことは自覚している。


「じゃあ、長い時間、居ると危険なのですか?」

「一刻も早く、『宝蓮宮ほうれんのみや』に辿り着けば良い」

 一戸は、『白炎びゃくえん』の手綱を引き、和樹は目の前の山門を見つめる。

 山門の前では、方丈老人が待っている。


 一行が近付くと、山門がきしむ音を立てて開いた。

 その向こうでは、河童を思わせるシルエットの『悪霊』が直立している。

 蓬莱さんは両手を合わせて祈り、和樹と一戸は武器を構える。

 相手は、憎むべき存在では無い。

 けれど、倒さなければならない。

 倒すことが救済になる……。


 敵のシルエットが近付き、フランチェスカも蓬莱さんを庇うように身構えた。

 その唇が、かすかに動いたのを、誰も知らなかった。

弦月げんげつさま……」

 彼女は、確かに呟いた。

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