第1章 朽ちた夢を明日の僕たちは忘れない
第1話
北海道の四月上旬の朝は、まだ肌寒い。
それから10秒も経たずに、隣家のドアが開き、
髪をショートカットにしたためか、少年ぽく見える。
「おはよ、ナシロくん」
「うん、おはよう」
二人はいつものように挨拶を交わし、エレベーターで一階に降りる。
今日は、『
保護者と一緒に登校する新入生もいるが、和樹たちは先に登校する。
和樹の母の沙々子、蓬莱さんの祖母の村崎七枝さん、久住さんのお母さんは、もう少し後で一緒のタクシーで向かう。
登校時間は午前8時45分まで。保護者受付時間は午前8時30分から午前9時30分までだ。
保護者が早く到着しても、控えの教室で待つだけなので、沙々子たちは午前9時に着くように調整して出掛ける。
一階のエントランスでは、
見た瞬間に和樹は浅く吐息し、挨拶をしてから小声で教える。
「あ~……蓬莱さん。耳がゲームのエルフみたいに
「え?」
女の子たちは同時に声を上げ、顔を見合わせる。
「それって、また『悪霊』が来たってこと?」
「うん……」
和樹は久住さんの疑問に答え、蓬莱さんをしげしげと眺めた。
ゲームイラストでお馴染みのエルフのように、両耳が二等辺三角形型に見える。
今夜は、高校入学早々の戦闘となるだろう。
「蓬莱さん、具合は悪くないの?」
「大丈夫、いつも通り。今夜は……お願いします」
蓬莱さんは、二人に頭を下げた。
和樹と久住さんは、顔を見合わせて大きく
「後で、時間を教えてね。ミゾレも待機させる」
「うん。上野と一戸とも打ち合わせするよ」
決意を確かめ合い、三人はマンションを出てバス停に向かう。
朝から穏やかならぬ状況で、気分が少し重い。
「まだ……桜は咲かないね」
通りすがりの民家の前の一本の桜を見て、久住さんが
「東京は、とっくに開花してるんだよね」
「ええ……今頃は、もう散り始めてる」
答える蓬莱さんの髪が、風になびく。
その顔に、少しの不安が浮かんでいるのを、和樹は見逃さなかった。
闘う覚悟は出来ていても、不安は消せないのだろう。
育ててくれる祖母の身を案じているのかも知れない。
何よりの不安は、自身の記憶に確証が無いことかも知れない。
「ここに越して来る以前の記憶が、自分のものなのか自信が無い」そうだ。
今の彼女は、『村崎綾音さん』に『
だが、その説が正解なのかは、誰にも断定できない。
そして、闘いが終われば……蓬莱さんがどうなるか、誰にも分からない……。
バス停に着くと、2分ほどでバスが来た。
パスは混み合っていたが、三人はどうにか乗り込めた。
しかし、次のバス停前に立っていた客は乗れなかった。
上野の姿も在ったが、次のバスを待つしかない。
この次の先のバス停で待っている筈の
そうしてバスに乗ること10分。
『
教師も校門前に立ち、生徒たちを誘導している。
生徒たちは学校指定のコートや、黒系や茶色のジャケット姿が多い。
カーディガン姿の女子生徒も目立つ。
前年までは女子高だったが、今年から男女共学となり、女子も制服が変わった。
タータンチェックの茶色のスカート、ベージュ色のセーラーカラーのブレザーに
えんじ色のリボン。白いブラウスはスタンドカラーだ。
男子も同柄のズボンに、ブレザー&ベストとスタンドカラーの白シャツ。
ただし、夏は半袖・レギュラーカラーシャツに、女子もベスト着用となる。
前年まではオーソドックスな紺色セーラー服だったので、羨ましがる上級生も多いとの噂だ。
三人は揃って校門を
和樹は左右を見回し、警戒の姿勢を崩さない。
今夜の『悪霊退治』の件もあるが、油断ならない状況に放り込まれたのだ。
自分たち五人全員が、見事に『1年1組』に振り分けられたからである。
入試の自己採点では、上野は『得点の高い生徒が集められる1組は無理』と言っていた。
なのに、この結果である。
「『1組の噂』の真偽はともかく、全員が1組なのは不自然だ」と一戸は言った。
「俺たちは勘違いをしていたかも知れない 受験前に敵の攻撃が止んだのは、敵も受験で忙しかったのでは無く、俺たちを1ヶ所に集めるのが目的だったのかも」と。
一戸の推測が当たっていれば、大変な高校生活を送ることになってしまう。
弁当を食べていても、油断できない。
止むを得ない事情とは言え、久住さんを巻き込んだのが何よりも悔やまれる。
「ごめ~ん。新入生、ちょっとどいて~!」
背後からの声で和樹は振り向き、久住さんたちと共に左に
横を歩いていた生徒たちも、反対側に避ける。
白衣を
「すいませ~ん。ちょっと通してね~」
長身の女生徒はポニーテールを揺らしつつ、数個の段ボールを脇に抱えて横を通り過ぎて行く。
「……理系の部活かな」
久住さんが言い、和樹は答える。
「それっぽいね」
「でも、先頭の先輩の白衣に『所長』ってネームプレートが付いてたような」
「なに、それ?」
蓬莱さんの指摘に、二人は首を
と、突然『所長』が振り向いた。他の白衣の生徒たちも立ち止まる。
そして『所長』は言った。
「おはよう、新入生諸君。明日、体育館にて部活紹介のオリエンテーションがある。ぜひ、我が『研究所』に入ってくれ」
「はい? ……あ、おはようございます、先輩」
和樹たちは、慌てて頭を下げる。
「先輩……あの、『研究所』とは……」
「慌てるな、新入生。明日を待て」
『所長』は「脈あり」と見たのか、眼鏡の奥の黒目が輝いた。
「私は『所長』で、三年生だ。『ほっちゃれ』と呼べ」
「は?」
「おいこら、新入生。『ほっちゃれ』を知らぬと申すか?」
「いえ、知ってます。産卵後の弱った
「さよう。当研究所の所長は、『ほっちゃれ』の名を継承する
「お誘いはありがたいのですが、僕はバイトするので『帰宅部』に」
「心配無用。当研究所は同好会だ。部費も降りぬが、研究に口出しもされん。時間が
『所長』たちは
和樹たちも、呆気に取られて立ち尽くす。
「……変わった人だけど、男前だね。カッコイイかも」
「でも、『オペレーター』って何でしょう?」
「ひょっとして、生物部みたいな? お魚の研究をするとか?」
「何にしても、明日には僕の顔なんて忘れてるよ……」
和樹は、願いを込めて言った。
バイトで、大学進学のための学費を貯めておきたい。
ただでさえ、『悪霊退治』の試練が立ち塞がっているのだ。
変な同好会は、ノーサンキューだ。
「おーい!」
背後から上野の声が聞こえた。
振り向くと、上野と一戸が小股で駆けて来る。
「おはよう。早かったね」
久住さんが胸元で手を振って応える。
「すぐ、次のバスが来たからな。三人とも、おはようさん」
上野は笑い、一戸もごく普通に挨拶する。
彼は、祖父の運転する車で来たらしい。
和樹は、お
「春の書道展の準備があるから、そのまま会場に行った。両親も、店があるから来れない」
「残念だね。じゃ、いっぱい写真とって置こうよ。大沢さんにも送ろう。後ろの桜の木の前が良いかな」
久住さんの提案で、五人は代わる代わる並び、撮影をした。
桜の木の葉が風に揺れている。
半月後には、開花しているだろう。
和樹は、上野たちには『悪霊』のことは、ここでは言わなかった。
上野はテンションが高いし、今は伝える時では無さそうだ。
そして五人は校内に入り、三階の教室に向かった。
事前登校日があり、席も分かっている。
1組の生徒は41人で、男子は14人。
新入生は全員で242人で、男子は70人だ。
思ったよりも、男子の数は多い。
座席は、とりあえずは男子が窓際に固まっている。
窓際の一番前が一戸で、その後ろが上野で、後ろが和樹だ。
五十音順で並んでいるらしいが、和樹の右横の席以外の席は埋まった。
事前登校で、クラスの男子とはそれとなく話をしたが、ひとりだけ欠席がいた。
同じ学校だったと言う『広瀬』によると、欠席したのは市議会の有力議員の息子で、ヤンチャな奴だと説明してくれた。
「
広瀬は、嫌悪感を隠さずに喋った。
「まさか、彼がここに入学して、同じクラスに入るなんて。父親の顔かもな」
広瀬はそう言って、顔をしかめたのだった。
そんなことを思い出していると……ドアが開き、担任と副担任が入って来た。
担任は、来年が定年の『坂井先生』。
副担任は女性で、若くて頼りなさそうな『
号令役を任された一戸の「起立」で、生徒たちは立ち上がる。
すると、ほぼ同時に後ろのドアが開いた。
生徒たちは、音に惹かれてそちらを見る。
髪を金髪に染め、頭頂でお団子に結い上げた長身の男子生徒が立っていた。
彼は、教室内を見回して……やさぐれた声で言った。
「腹が痛いんで、クソして帰ります」
教師たちが言葉を発する間も無くドアは閉まり、彼は姿を消した。
生徒たちは
他の生徒たちは、申し訳なさそうに一礼してから、おずおずと座る。
坂井先生も気まずそうに咳払いする。
向こうの女子ゾーンを見ると、やはり蓬莱さんのエルフ耳がひときわ目立つ。
蓬莱さんは横目でこちらを見たが、すぐに教壇に向き直った。
前途多難な高校生活に、和樹は天を仰いだ。
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