第8話 嫉妬

 ……これは……。


「裁くお方がいなければ、裁く事が出来ないのですから」


 そこには、不動明王の像が置かれていた。


 中尊を前にした神祇伯は、深く頭を下げた。

「……瑜伽」

 頭を下げたまま、顔を上げようとはしない神祇伯に、住職が声を掛けたが、神祇伯は顔を上げなかった。

「閻魔天供…… 一時的に中尊を閻王にと……これが……奎迦……無量であるお前の慈悲だというのなら……この私に救いなど値しないと拒否する」

 神祇伯は、顔を上げる事なく、僅かにも震える声でそう答えた。

「それは……私が決める事ではない。無論、慈悲という言葉を重ね合わせる以前の話……」

 住職のその言葉に、神祇伯は顔を上げた。互いに目線を合わせる中、羽矢さんが口を開いた。


「身代わりは大日如来の化身である不動明王……冥府では秦広王なんだからな……秦広王が裁かれる身では、裁きを始める事が出来ないだろう」

 ……確かに……初七日の裁きを行う秦広王の正体は不動明王だ。

 神祇伯は何も答えはしなかったが、羽矢さんは、言葉を続けた。


「本心を話した方がいいんじゃないか? 還俗して神職者になった事に関しては、そこまで深い怨みはなかったはずだ。神への信仰も併せ持っていたんだからな……ただ……許せなかったのは、その神までもに、身勝手な願いを押し付けられたからだろう? 仏は祟らないが、神は祟る……呪殺目的の参拝者が増えるに至って、いつしかここは呪いの神社と言われるようになり、この神社は見ての通りの有様だ。そして、もう一つは……」

 羽矢さんは、言葉を止めると、その先を答えさせるかのように、神祇伯に視線を向けた。


「国の祭祀を司る神祇伯、か……。寺に属し、属した寺は廃寺となった事で還俗し、宮司として神に仕える事に難はなかったのは正直なところだ。殺伐とした状況から一変し、落ち着いたようにも見えたが、こちらの思いとは裏腹に、願いを乞う者の思いが上回り、神木にさえ手を掛ける始末だ。神が宿る依代……そこに触れれば神の力と結び付く事が出来ると、な……」

 神祇伯は、ふうっと長い息をつくと、言葉を続けた。


「廃仏毀釈を行なったのは神職者……神の力がどのようなもので、どのように作用するのかを知らないはずがない。そしてそこには、そのすべをどれ程の力を持って使う事が出来るかと、その者に対しての優劣がつく。そして私は……」

 神祇伯の口調が重く変わった。続けるはずの言葉が続かない。

 間が開いていく中、火の玉がパチッと火を弾けさせる音が聞こえる。その音は、一定の間を開けて放ち続け、次第に間が縮まっていく。


 言葉を止めたままの神祇伯をじっと見つめる住職は、ゆっくりと瞬きをすると、神祇伯の代わりに口を開いた。


「宮司……還俗して神職者になった者が、一つの神社を任される……見る者次第では、不満もあった事だろう。それ故に瑜伽……お前の力がそれ程までに大きいものであると認めざるを得なかった。呪いの神社と言われるようになったのも、この神社ごと、怨みの念が向けられていたのだろう。だが……調伏法を熟知しているお前に敵う者はいなかった。それがまた……境界を越え、新たに迎えた領域での波乱は……」


 住職の言葉が続いた。

 ……悲しい話だった。


「国の中となったのだから」

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