第19話 験者

「ここは神域。社殿の必要はない。必要なのは、依代と、そこに宿らせる魂だけ」 

 掬うように伸ばした男の手が、ゆっくりと下りる。それでも白い玉は、その場を離れる事はなく浮かんだままで、岩の上に片膝を立てて座る男の周りに、次々と白い玉が浮かび始める。

 クスリと笑みを漏らすその仕草が、この様子を見せつけているみたいだ。

 羽矢さんは、大きな溜息をつくと、男に向かって強い口調でこう言った。


「なに格好つけてんだよ? お前……半俗はんぞくである事も捨てたのか」


 半俗……。

「え……? 羽矢さん、彼を知っているんですか?」

 半俗半僧。俗人のような生き方をする僧侶の事だ。

「こいつは……」

 羽矢さんが、男について話を始めようとすると同時に、男が岩から飛び降りると、羽矢さんに触れるか触れないかのギリギリの位置に立った。

 ……近い。あの岩から、羽矢さんの足元ギリギリに飛び降りるなんて……。

 羽矢さんは、かなり間近に降り立った男を前にも、少しも体を動かす事はなく、男をじっと見ていた。

 男は男で、羽矢さんをじっと見つめる。

 まるで意地を張り合うように、互いに目線を動かす事はなかった。

 大丈夫なのだろうか。どんな力を持っている男なのか分からないが、この距離感は……。男にはそれなりの自信があると言えるだろう。

 二人の態度は、無言の中でもぶつかっているようではあったが、緊迫感は見られなかった。

「依」

 蓮が僕の隣に立った。

「蓮……彼は一体……このままで羽矢さんは大丈夫でしょうか……」

「ここは羽矢に任せておこう。羽矢には羽矢の意地がある。羽矢にしてもこの状況になる事は、分かっていた事だ」

「言ったでしょう?」

 僕と蓮の会話の中に割って入る高宮が、蓮の隣に立った。

「公平ではないから怨念が残ると。そして……願いを叶えるのは、神であるのか仏であるのか……と。彼はそれを使い分ける事が出来ますからね……」

 使い分けるって……。それは当然、どちらの道も知っているという事……。

 験者げんざ……か。

 仏の道が開かれるより以前からあった、神への信仰。森羅万象、それは形あるもの全てに魂が宿っているという思想の元から、神奈備かんなび、つまり、神体とするその領域、依代を信仰対象とする。だから社殿を建てる必要はない。そして、そこに併せ持ったものは仏の道だ。神仏混淆は、そこにもあり、神仏分離後、廃仏毀釈も影響して験者も還俗させられた。

 羽矢さんと男の目線が変わらず互いを見合ったままの中、高宮の言葉が続く。

「根底にあるものは、藤兼さんと同じではないですか?」

「お前の考えを、羽矢に当て嵌めるな」

「全てを否定する事が出来ますかね……」

 意味ありげに微笑んで、蓮を振り向く高宮の言葉が続く。

「彼もまた『救済』の為に存在しているのですよ」


 少しの間が開いた後に、男の口元が笑みで歪む。

 羽矢さんを見たまま、男の口が開いた。

 男の口から吐き出された言葉は、胸に刃を突き立てられたように痛みを与えた。


「投げ出された仏の像を目の前に、自らの手で仏の目をけと迫られたら……お前は出来るか?」

 羽矢さんが答える間もなく、男は言葉を続けた。


「俺にはそれが出来るんだよ」

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