第34話 欲界

「お前……高宮 右京だな?」

 神に仕える身でありながら、神殺しを肯定する……神司。

 この男の目的って……神を利用する為に神を殺すという事……。

 祟るという、その怨念を膨らませる為に……。


「ふふ……噂でも耳にした事のある名だという事ですか。それでも存じているなら話は早いというものです」

 羽矢さんを見上げながら、神司はそう答えた。

「下界において導き出される答えは、たった一つでしょう? どの界においてもそれは明確ではないですか」

「下界は『欲界』だからと言いたいのか」

「やはり話が早いですね……藤兼さん。あなたとは気が合いそうです」

「好かれるのは嫌いじゃないが、俺にも好みがあるんでね……悪いな。強引に迫られるのは好みじゃない。あまり強引に迫られると……」

 クスリと笑みを漏らす羽矢さんは、指をスッと動かした。

 その指の動きに合わせて、白い玉が大きく口を開けた使い魔の前に浮かび上がった。

 使い魔が白い玉を飲み込むと、羽矢さんは言葉を続けた。


「無にしてしまう」


 その様を見る神司の表情が、険しくも歪みを見せた。

「邪神を……浄界に送ったと……そういう事ですか」

「はは。話が早いな」

「あれ程の怨念を持ったものを……無に変えるとは……」

「そこじゃねえだろ、気づくところは。高宮……お前の攻撃よりも先に、俺は動けるって事だ」

「だから言っただろう。お前はなんにも見えていないってな」

「その言葉……そのままお返ししますよ、紫条 蓮」

 神司は、表情を変え、口元を歪ませると笑みを見せた。


「藤兼 羽矢……あなたにもです」


 ……そうだ。

 この神司は……。


 あの一瞬で。


 僕は、神司へと歩を進めた。

「依!」

 蓮が僕の腕を掴もうとしたが、するりと擦り抜ける。

 蓮が何度も僕の手を掴もうとしたが、蓮の手が僕の手を掴む事は出来なかった。

 それがどうしてなのか、使い魔の背から降りる羽矢さんの様子で理解する事が出来た。

 地に降り立てず、使い魔の背にと戻る。

 ……境界が……出来ている。

 僕と……神司の周りだけに。


「高宮っ……! お前……依に何をした?」

「何を……ですか。紫条 蓮。それは……彩流 依。彼と私には『秘密』があるんですよ」

「秘密……?」


 意識がバラけていくようだった。

『秘密』

 その言葉が僕の罪を表すようで、どんなに消そうとしても、消しても、蘇ってくる。

 神司は、口元を指で触れる仕草を見せ、クスリと笑った。

 その仕草を目にする僕は、蓮に知られたくないと恐怖に縛られる。

「下界の答えは一つ……私はその答えに従っているまでです。欲しいものを欲しいと言って、何が悪いんですか。あなたたちだって、欲したものを手に入れたいという欲望はあるのでしょう? その願いを聞き入れるのは神ですか? それとも仏ですか? それは答えるまでもなく、明瞭ではないでしょうか」


 神司の手が、僕を迎え入れるようにそっと伸ばされた。

 神司が僕へと言葉を投げ掛ける。

 その言葉は、僕に救いを与えたもの。僕の望みを受け入れてくれたもの。


 ……蓮……。

 涙が頬を伝っていたが、その感覚が遠くに感じていた。


「おいで……依。私は、他の何よりも、誰よりもあなたがいい」


 この神司は、あの一瞬で僕を捕まえたんだ。

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