第15話 不足

「それで? こんな早朝から訪ねて来たんだ、手土産くらいあるんだろ?」

「あのなあ……俺、あの後、また冥府に行って寝てねえんだけど? お前が俺になんかあんだろ。例えば……」

 羽矢さんの目が僕に向く。

 ……これってやっぱり。

 僕の予感は的中する。


「依」


 布団の上にいた僕は、羽矢さんに押し倒され、羽矢さんの黒衣に包まれた。

 ……あれ……? この匂い……。

「羽……」

 いつものごとく、蓮が直ぐに羽矢さんを僕から引き離そうと動いたが、その前に僕は羽矢さんの両肩を掴んだ。

「羽矢さん……」

「うん? なに、依? やっとその気になってくれた?」

「そうではなくて……」

 僕は、羽矢さんの目をじっと見る。


「本当は……何処に行っていたんですか……?」


 僕の言葉に羽矢さんは、ニッコリと笑みを見せると、パッと僕から離れた。

 起き上がる僕は、羽矢さんの黒衣の袖を掴む。

 黒衣の袖には、微かではあったが、土が擦れたような跡がついていた。

 羽矢さんは、笑みを見せたまま、僕から黒衣の袖をそっと引き離した。


「羽矢……お前……」

 蓮も気づいたようだ。

「ああ、構うな、気にするな、俺の好奇心が掻き立てられただけだから」

「……あの後……あの山に行ったのか、羽矢。だって夜だろ……陽が昇っていたって生い茂った木々で薄暗い場所だ。道は険しく、明かりのない夜になど、よくお前……」

「よく登れたなって? はは。俺にとっては、何処も同じだ」

「ふ……闇など存在しない、そこに光がないだけ、か。流石は冥府の番人ってところだな」


 黒衣から感じた匂いは、微かにだったが、木々の葉の汁の匂いだった。

 嗅覚は、時を思い起こさせる。覚えのある匂いだった。

 枝を掻き分けて進んだ時に、葉が千切れて衣についたのだろう。

 粘土質の土は湿り気があり、払っても跡を残す。


「なあ……蓮」

 羽矢さんは笑みを止めると、蓮に目線を向けた。

「言っただろ……ないものをあると認識するのは無知だと」

「……ああ」

「だけどさ……」


 羽矢さんは、寂しげな目を見せて言った。

「そう思うものは確かに存在しているんだ。闇を闇だと呼ぶ、その理由だけはな……」

「頂上まで……登ったのか?」

「ああ、登ったよ」

「道が分かれていただろう? お前はどうしたんだ?」

「道を選んだのかって事か?」

「……ああ」


 蓮の問いに羽矢さんは、穏やかに笑う。

「選ぶ道なんかないだろう。もう道は決まっている事だ。それに俺は、既にその道を進んでいる……」

「お前……」

「道は自分で開けばいい。蓮……お前だってそうなんじゃないのか。それがお前がこれからやろうとしている事だろう?」

 穏やかで楽天的にも見える羽矢さん。

 だけどそれは本来の姿を隠す、仮面のようだ。

 見えないものさえも見えてしまう……実体のないその理由の成り立ちを捉えているように。

 その目の奥にある、彼の真意は揺れ動く事はない。

 その真意の為に、仮面を被る。


「あの場所に依代は、数にして百八十八。大霊山でもあるあの山が、冥府から繋がる抜け道だ。だが、蓮……」

 真剣な目を向ける羽矢さんに、蓮の目が動く。

 真っ直ぐに互いを見る二人。羽矢さんが口にする言葉で、僕は僕の意味を知る。


「一つ……足りない」

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