5分で読める物語『推しごと』

あお

第1話

 都内のあるオフィスでは常に怒号が飛び交っていた。


「おい森崎! A社の資料まだか!」

「もりさきぃ‼ このレイアウト直せぇ‼」

「森崎さん、次の営業リスケになりました!」

「なあコーヒー頼んだよなぁ森崎⁉」


 俺が返す言葉はひとまず「すみません」だ。

 仕事が悪い、というわけではない。入社し七年のキャリアは相応の能力を俺に与えた。


 ではなぜこんな有様なのか。


 それは俺が『キモオタ』だからだろう。


***


「うりゃおい! うりゃおい!」


 当たり前となった残業を必死に片付け、俺はとあるライブハウスに来ていた。

 目の前には水色のドレス衣装に身を包み、スカートをなびかせながら可憐に踊る少女の姿。


「みーゆたん! みーゆたん!」


 ステージの上でスポットライトを浴びる彼女――『みゆたん』こと水篠みゆに向け、俺はコールを叫んでいた。

 渋谷駅から徒歩数十分の小さなライブハウスでみゆたんのライブは行われている。

 客席には、スーツ姿に推しタオルを首から下げ、両手にペンライトを携えたキモオタ一人と黙観する客が数名。

 残念だが、彼女の人気は高くない。

 それでも俺はみゆたんを推し続ける。

 なぜかって? 出会ってしまったからだよ。他に理由なんていらないね。

 彼女はもっと多くの人に見てもらうべきだ。沢山の人を幸せにする才能に満ち溢れている。それをライブのお客さんが少ないとかいうくだらない理由で潰させはしない。

 毎週行われるライブには絶対参加。終演後のチェキも逃さず、グッズも全部買い揃える。

 これは俺の『推しごと』なんだ。


「今日も、みーんなと過ごせて幸せでした! 来週もまた会おうね、チュッ」


「フゥ~‼」


 お決まりの投げキッスをして、みゆたんはステージからはけていった。

 この後はこちらもお決まりのチェキ会。みゆたんがステージに戻ったところでスタートだ。


「森崎さん! 今日も来てくれてありがとうございます!」


 ぺこりと丁寧にお辞儀をして、彼女は出迎えてくれた。

 あぁ、なんて健気なんだ。


「今日のライブも最高だったよ! やっぱみゆたんは天才だ!」

「も~、調子いいことばっか言って~! 何も出ませんからね?」


 天使だ……天使がここにおる……


「はーい、それでは撮りますネー」


 スタッフの気だるそうな声。


「森崎さん撮りますよっ! ポーズどうします?」

「ハ、ハートで‼」


 食い気味に答えたのが面白かったのか、みゆたんは口を押えて笑っている。

 ああ、会社で受ける罵声も、理不尽な扱いもどうだっていい。

 彼女の笑顔にはそれだけのパワーがあった。


「じゃあ一緒にハート、作りましょ?」


 みゆたんは右手でハートの形を作りながら、上目遣いで俺の顔を覗いてくる。

 直視したら卒倒するので、顔を背けて左手を突き出した。

 クスクスとこぼれ聞こえる笑い声、と同時に指先に彼女の指が触れる――


「んんっ!」


 我ながらキモい声が出たと思う。恐る恐る横目でみゆたんの表情を伺うと、彼女は頬を少し赤らめながら俺のことを見つめていた。


「少し……照れちゃいますね」


 もぉむり――


「撮りマース」


***


 昨日のチェキを胸ポケットに忍ばせ、会社のデスクに着く。


「おい森崎。ちょっと来い」


 椅子に座るなりのお呼び出し。

 それは窓際の机にどっしりと構え、明らかに不機嫌な顔を見せる部長からだ。


「な、なんでしょうか」


 どうせ資料の修正だ。だが素知らぬふりを見せるのが体裁というもの。


「これ、なんだ」


 そう言って無造作に投げられた紙を取る。そこにはSNSの投稿が印刷されていた。


『こんなクソ会社やってられっかよ』

『窓際族の部長様、今日は競馬のお勉強ですか?』

『取引先の期限明日までだったわーww なんもしてないけど、とりまゲームすっかぁww さっさと信用失くせクソ会社ww』


 他にも身の毛のよだつ投稿が多数。その資料は六ページにも渡っていた。


「これ書いてるの、お前らしいな」

「はい⁉」

「これ書いたのお前だって言ったんだよ‼ てめぇ舐めるのも大概にしろよッ‼」

 部長の怒声は背後の窓を震わせた。


「俺じゃないですって! 誰の報告なんですかこれ⁉」

「藤田だよ! お前見たんだよなぁ⁉」


 名指しされた藤田という男は俺の直属の上司だった。

 彼は誠実な顔つきで部長に答える。


「はい。彼と一緒に仕事をしていた際、ふとスマホの画面を覗くと、彼が会社の愚痴を投稿していました。お渡ししたそのアカウントは森崎で間違いありません」

「違います! そんなことやってません!」

「そんなこと誰だって言える! これがお前じゃない証拠はあるのか⁉」


 部長は詰め寄りぎっと睨め付けてきた。

 その威圧感に圧倒され、俺の口はひらかなかった。


「お前、もうクビ。さっさと出てけ」


 部長に突き飛ばされ、俺の身体は地面に倒れた。


 は?


 クビ?


 なんで俺が?


 ………………はあ?


 感情の整理がつかないまま、なすすべもなく自分の鞄を取りに行く。

 その時ふと藤田の顔が目に映った。

 彼の目尻は笑っているように見えた。


***


「あのクソ上司がっ‼」


 身体が望むままに、ガードレールを全力で蹴り続ける。


「クビ……クビって、なんだよ⁉」


 ガンガンと音を立てながら、何回も何回も気が済むまで物に当たった。

 気づけば空は鮮やかな茜色をしている。


「あ……ライブ……」


 時計を見ると、既にみゆたんのライブが始まる時間。

 俺の『推しごと』の時間だった。

 初めての遅刻をしつつ、俺は会場に入っていく。

 ステージでは、みゆたんが静かに何かを話し始めていた。



「私、水篠みゆは、今日のライブをもって地下アイドルを卒業します!」



 ……


 …………


 ………………え



 唐突な卒業発表に、目の前が真っ暗になる。

 気づけば身体が勝手に会場を飛び出していた。

 何か言葉を叫んでいた気がする。

 息が苦しくなって、地面にへたり込んだ。

 どれだけそうしていたのか。

 気づけば街の街灯は消えていた。


「あのっ!」


 ふと後ろから声が聞こえる。

 顔を見なくたって分かる。みゆたんの声だ。


「森崎さん……」


 振り返るとみゆたんの顔はしおれていた。


「やっぱり嫌でしたか……?」


 自然と涙が溢れてくる。


「みゆたんが決めたことなら、仕方ない……よ。きっと事情があってのこと、なんだよね。でも、でもみゆたんはもっと輝けた! もっともっと上に……っ‼」


 こんなみっともない姿を目の当たりにしても、彼女は困ったように笑いながら、俺の前に立ち続けてくれた。


「あのー」


 みゆたんが伺うように口を開く。


「もしかして何か勘違いを?」

「……え?」


 彼女の言葉にさっと顔を上げると、よっぽど顔がひどかったのか彼女はクスクス笑いだす。


「ふふふっ、ごめんなさい。ちょっと反応がおかしいなぁ、とは思ってたんですけど。本当に聞いてなかったんですね」


 みゆたんの目は、真剣な眼差しに変わる。


「私、新しい事務所に移籍してメジャーデビューします。そのための卒業なんです」

「……え?」


 そして彼女はためらいがちに俺を見つめた。


「――そして、その、新しい事務所に入るにあたって、向こうからマネジャーさんを用意しろと言われまして……」


 彼女は困ったように笑いながらも、すっと俺の瞳を覗いた。


「私の、マネジャーさんになってもらえませんか?」


***


 新調したスーツを身にまとい、緩んだネクタイを締めなおす。

 ライブのリハーサルが終わったタイミングで、外の物販ブースから呼び出された。

 どうも、お客さんとのトラブルらしい。

 人だかりを割って入ると、スタッフに文句を垂れている男がいた。


「お客様、どうされましたか」


 男がこちらを振り返ると、彼は目を見開き一歩後ずさる。


「おっ、お前! 森崎かっ⁉」

「……藤田さん?」


 トラブルを引き起こしていたのは、俺をクビに追い込んだクソ上司だった。

 腹の底に眠らせていた怒りが沸き上がってくる。しかし私情を挟まないのがプロというもの。

 俺は背筋を伸ばし、現場スタッフとしての対応をとった。


「お客様、どうなさいましたか?」


 途端、彼が怒声を上げる。


「おまっ、森崎てめぇ何様のつもりだ⁉」

「すみません。他のお客様のご迷惑になりますので、別室にてお話を伺います」


 そう言って俺が右手を上げると、傍に控えていた警備員が藤田を囲む。


「くそっ! ずいぶんお高くとまったもんだなぁ‼」


 藤田は強引に警備員を振りほどき、舐めるようにこちらを睨んだ。


「こちとらお前がいなくなってから、取引先と揉めるようになって全部キャンセル! その責任取らされて俺はクビ‼ 全部、ぜーんぶお前のせいだからな‼」


 そんな捨て台詞を吐いて彼はその場から去っていく。


 ――どうやら俺の復讐は成功したらしい。


 復讐といってもそんな難しいことはしていない。クビにされた一部始終を文書にまとめ、取引先に片っ端から送った。

 あとは彼の実力不足が露呈した、そんなとこだろう。

 俺はスーツの襟を直し、水篠みゆの控室へと向かった。



「何かトラブルがあったって聞きましたけど、大丈夫ですか⁉」


 俺の顔を見るや、慌てて駆け寄ってくれるみゆ。


「ああ、大丈夫だよ」


 一呼吸置いて、彼女の瞳を見つめる。


「今日のライブ、最高のものにしような」

「――はい‼」


 みゆは俺の目の前で満面の笑顔を見せ、ステージへと駆けていった。


 毎週行われるライブには絶対参加。終演後はチェキを撮り、グッズの監修も行う。

 彼女のスケジュール管理に、イベントの手配や運営、厄介なクレーム対応も。


 ――そして誰よりも近くで応援する。



 これが俺の『お仕事』だ。

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5分で読める物語『推しごと』 あお @aoaomidori

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