第2話

「撃たないのか」

 突然、目の前から男の声がした。いつからそこにいたのだろう、目の前に影が立っていた。ドアが開いたことにも気づかなかった。暗がりの中で顔かたちがわからず、そこだけ闇が濃くなったように見える。

 そうか、撃たなくては。と引き金に指をかけたところで、既に男の手が銃を持つ私の右手を抑えていた。ただ上に添えられているだけなのに、私は肘から先の動かし方を忘れさせらてしまった。はは、わかっているつもりだったが常識が違う。目の前にいるのは人の形をした死だ。抵抗するのも馬鹿馬鹿しくなってしまい、全身から力が抜けた。

 しかし男は攻撃に移る素振りを見せない。妙に思っていると、疑問を見透かしたように男が口を開く。

依頼主クライアントから伝言を預かっている」

 男は言葉を続ける。

「抵抗するなら両手足を切り落としてでも聞かせろ、と言われてきたが」

「…抵抗がこの程度では拍子抜けか。楽な仕事で良かったな」

 精一杯の皮肉。どうしようもない状況だろうと言葉で優位に立とうとするのは身に沁みついた悲しい癖だ。男はほんの数瞬、何かを考えるような様子を見せたが、返ってきた答えは素っ気ないものだった。

「そうだな。助かる」

 声からは一切の感情を読み取れない。これがプロというやつなのだろうか。思えば伝言がどうだというのも、構わず殺してしまえばどうとでも言える依頼だ。律儀にこなそうというのは彼の意識の高さゆえなのだろう。

 状況にそぐわないのだが、私は感心していた。革命軍レジスタンスとやらも思ったより形になっているじゃないか。私を殺しに来たのは、金を出せば何でもやるようなそこいらのチンピラでなく、凄腕の、少なくとも一定以上の実力を持つ殺し屋だ。技能も意識も申し分ない。そうした刺客を選ぶだけのセンスと雇えるだけの財力を彼らは既に蓄えていたのだ。世間の見えていない高官じじいどもよりはマシなつもりでいたが、所詮私も五十歩百歩。結局のところは彼らを侮っていたようだ。気付けば無意識に口の端が上がっていた。はは、やるじゃないか。だが。

「…君は、その伝言とやらを伝えたら、私を殺すのだな」

 殺し屋に向けて問う。恐ろしい事を言っている筈のに、そう感じられない自分が何故か可笑しい。

「そうだな」

 彼が答える。悠長な問答に付き合ってくれるのは、もはや私に逃げる気も抗う気も無いと読み取ってのことか。それとも抵抗されようと問題はないということか。

「…ああ、ああ。わかった。だがその前に、私の方からも伝言を頼めないか、君の依頼主に」

 断られるならそれでも構わなかった。この男に受け入れる道理は無い。だが直感的に、目の前の男はこれから奪う命に敬意を払ってくれるだろうと思った。最期の言葉くらいは聞いてくれるだろうと。そしてきっと相手に伝えてくれるだろうと。事実、男は無言のままだったが、私の言葉を待ってくれているようだった。

 私は言葉を探す。私の命を狙った者共に。これから死刑台送りに、或いは英雄になる者達に。滅ぼされるべき悪が残す言葉を。彼らは殺し屋を雇った。私はそれに感心した。だが同時に幻滅もした。彼らは自らの手を汚すことから逃げたのだ。その方が成功率が高いと考えたのだろう、その方が合理的だったのだろう。しかしそんな道理を隠れ蓑にしてしまえば、結局君たちは私と同じだ。同じであってはいけない。そうだろう。いいや、もはや私の役目は終わるのだ。後は彼らに委ねるべきだ。いいや、やはり何か道を示せる言葉はあるんじゃないか。様々な思考が駆け巡った末に、搾りカスのような一言が残った。

「“この腐った国を本当に立て直せるのか、地獄で見る”と伝えてくれ」

 殺し屋は暫し黙りこんでいたが、私の興味はそこには無かった。もうやるべきことは終わった。いや、死を以て私の役目は終わるのだ。

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