約束

平 遊

約束

佑介を酷く怒らせてしまった。

オレからしてみたら、ちょっとした軽い冗談のつもりだった。

でもそれが、見事に佑介の地雷を踏んでしまったらしい。

もしかしたら、破局、かもしれない。


勤務時間終了間際。

打ち合わせに向かう佑介を何とか待ち伏せて、オレは言った。


「いつものとこで、待ってる」

「・・・行けたら行く」


硬い顔でそう言いながら、佑介はもう背を向けてオレから遠ざかって行く。

それでも、オレは肯定の返事が貰えた事に、多少の安堵を感じていた。

一足先に会社を出て、見上げた空は見事なほどの、曇天。

ひんやりと冷たい風まで吹き始めてきていたが、オレは構わず、『いつものとこ』へ向かった。



佑介との、いつもの待ち合わせ場所。

そこは、オレが佑介に想いを告げて付き合いが始まった、思い出の場所。

夜になればライトアップが綺麗な、大きな橋の上。


あの時は、すげー緊張したんだよな。

一か八かの賭けだった。

佑介を手に入れるか、拒絶されるか。

オレ、よく決断できたよな。

・・・・佑介も、よくオレを受け入れてくれたよな。

オレ、あの時言ったのにな。

絶対に、お前を大事にするって。傷つけたりしないって。

約束、したのにな・・・・


そんな思い出に浸りながら、オレは佑介を待った。



突発事案でも起こらない限り、もうそろそろ佑介も会社を出る時間ではあるが。

時間まで指定しなかったことを後悔しながら、オレは橋の欄干に背を預けて、通り行く人達を眺めていた。

部活帰りの学生達、子供の手を引いて歩く母親、待ち合わせの恋人達。

様々な人達が、橋を通り過ぎて行く。

そんな光景を眺めている内に、あたりは徐々に暗くなり始め、雨が降り出して来た。


(傘、持って来れば良かったな)


小さくついたため息が、気づけば白くなっている。

肌に貼り付く濡れたシャツが体温を徐々に奪っていくようで、オレは襟元をしっかり掻き合わせた。

橋から家までは、そう遠い訳ではない。

ひとっ走り戻って傘を取ってきても良かった。


でも、その間にもし、佑介が来たら。

その時もし、オレが居なかったら。

余計に佑介を怒らせてしまうかもしれない。

そうしたらもう、関係の修復はおそらく不可能だろう。

佑介は結構頑固だし。本気で怒ると、手が付けられないから。


そう思うと、オレはその場から動くことができなかった。

雲に隠されて見えないが、日はとうに暮れている。


(最初から来る気無いなら、来ないって言やいいのにさ)


すっかり濡れてしまった体は、もう、奪われるだけの体温も残っていやしない。


(来ない・・・・かな・・・・)


心まで、この雨に冷やされてしまったようで、弱音が頭をもたげた時。

オレのすぐ側で、足音が止まった。


「・・・・佑介・・・・」

「博也・・・・」


傘を差したまま、佑介は呆然とした顔でオレを見つめていた。


「やっと来たか。待ちくたびれたぜ」


すっかり冷え切った頬は、思うように動いてはくれなかったが、それでもオレは何とか佑介に笑ってみせた。


「ずっと、ここに・・・・?」

「当然。お前をここへ呼びだしたのはオレだから、ね」

「・・・・あ・・・・」

「でも、もう今日は遅いから無理、かな・・・・」


欄干から体を起こし、オレはゆっくり佑介へ歩み寄る。


「悪いな、佑介。また今度・・・・」


付き合ってくれよ。


そう続けようとしたオレの視界が、不自然に歪んだ。

倒れこみそうになる体を支えてくれたのは、傘を投げ飛ばした佑介の腕。


「冷たっ・・・・こんなに冷えて・・・・熱もあるじゃないかっ!馬鹿っ!ずっとここにいたのか!?傘もささないでっ?!何してんだよっ!」


目の前の佑介の顔は、怒っているようにも、泣きだしそうにも見える。

でも、オレを支えてくれる佑介の手は、この上なく温かくて。


「お前を、待ってたんだ」


素直に、言葉が口から出た。


「どうしても、ちゃんと謝りたかった。お前が許してくれるまで」

「だからって、こんな・・・・」

「お前は絶対、約束を守ると思ったから」

「約束?」

「来るって、言っただろう?」

「俺は、行けたら行くって」

「でも、来た」

「博也・・・・」

「ほんとは、お前を連れて行きたい場所があったんだ・・・・けど・・・・」

「・・・・博也?」


話している内に、佑介の顔からは怒りの表情は消えていた。

佑介の温かさが、体だけではなくて、心まで温めてくれるようで。


「ありがと・・・・な・・・・」


オレは抗いがたい心地よさに身を委ねて、目を閉じた。

遠くから何度か、オレの名を呼ぶ佑介の声が聞こえたが、それさえも徐々に、霞の中に消えていった。




「博也。出来たぞ」

「・・・・あぁ」


あれからどうやって帰ったのか、オレは全く記憶が無い。

どうやら、佑介が背負って帰ってくれたらしい。

高熱を出したオレは、そのまま部屋に寝かされて・・・・


「わっ!」

「うん、だいぶ下がったみたいだな」


オレの額から手を離し、佑介は満足そうに頷いた。


「七分粥にしたけど、大丈夫そうだったら、夕飯からは普通の食事に戻した方がいいかもしれないな」

「・・・うん」


恥ずかしい話だが、寝込んで今日で3日目。

その間、会社はもちろん休まざるを得なくなってしまったが、佑介は毎日、会社に行く前と会社帰りに家に来ては、オレの看病をしてくれた。


「・・・・佑介」

「なんだ?」

「その・・・・色々と、世話かけた、な」

「そうだな。ほんとに」


佑介は、大きくため息をついて、オレを見る。

だが。


「この貸しは大きいからな、博也」


すぐに、照れくさそうな笑顔を見せた。


「・・・・あぁ」


食べ終わったらちゃんと薬飲んで寝てろよ、と言い残して、佑介は立ち上がる。

オレはとっさに、その手を掴んだ。


「なんだよ、俺もう、会社に行かないと・・・・」


困り顔の佑介に、オレは言った。

だってオレはまだ、ちゃんと謝れていない。

佑介に、許してもらっていないんだ。


「オレ本当はあの日、一緒に不動産屋に行こうと思ってたんだ」

「え?」

「だから、今度一緒に、不動産屋で部屋を探そうな。お前と一緒に住む部屋を」

「博也・・・・」


佑介の困惑顔が、驚きの表情に変わる。


「オレはやっぱり、お前と一緒にいたいんだ、佑介。ごめんな。あんまりにもお前が女にもてるから。女に優しいから。だから、あれは嫉妬交じりの、軽い冗談だったんだ。そんなに気になるなら、あの女と付き合えばいいだろ、なんて。でも、ごめん。本当にごめん。撤回するから。だから」


佑介の手を強く握りしめ、佑介の目をまっすぐに見つめて、オレは一番伝えたかった言葉を、告げた。


「これからもずっと、オレと一緒に、生きて欲しい」

「・・・・まずはその風邪を治せ」


顔を赤らめながらオレの手を振りほどき、佑介は言った。


「風邪っぴきのプロポーズなんて、カッコつかないぞ。やり直し」


じゃ、な。


と言って、佑介は慌て気味に会社へと出勤していった。


「やり直し、か」


ひとり呟くと、ようやく言葉の意味を病み上がりの頭が理解し、ジワジワとした喜びが湧きあがって来る。


破局はどうやら免れたようだ。

さて、今度は『カッコいいプロポーズ』とやらを、考えなければいけない。

そして今度こそ。

絶対に、佑介を傷つけたりしない。大事にするんだ。


佑介に言われた通り薬を飲んで布団に入りながら、オレは、佑介との生活に思いを馳せ、幸せ気分に包まれて目を閉じた。


※BGM:Present for you by Checkers

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

約束 平 遊 @taira_yuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ