1-03 レユニト.

 
「なあ、お前本当に何も覚えていないのか?」


 青年は扉の側に立ったまま、リシャスにそっくりな真剣な顔で僕に問いかけてきた。




 
 リシャスが部屋を出てから、僕は彼女の言う「お兄ちゃん」が来るのを待っていた。小走りに遠ざかる足音が聞こえていたから「お兄ちゃん」なる人物もすぐ彼女に呼ばれて現れるだろうと思っていたのにしばらく経っても扉が開く気配はない。
 リシャスが僕の記憶喪失について説明するのに時間をかけているのだろうか。短い間しか顔を合わせなかったが、あのお喋りそうな彼女ならば余計な事も話していそうだな、と思って気長に待つ事にした。

 
 何十分も経ち忘れられているのではないかと心配になったところで、ようやく青年が部屋に入ってきた。 
 おそらく彼がリシャスの言う「お兄ちゃん」なのだろう。 
 部屋に入ってきてからずっと無言で立ち尽くしていた青年は、意を決したように僕の目を見て話しかけてきた。 
 それが、さっきの言葉だ。


「なあ、答えろよ。全く覚えていないのか?」 



 黙ったままの僕に痺れを切らしたのか、青年は同じ事をもう一度言った。 
 記憶を辿るのをやめて、立ったままの青年と目を合わせる。


 
 短く切り揃えられた黒髪に、切れ長の目。百八十センチメートル近くありそうな長身で腕を組んで僕を見下ろしている。 
 雰囲気も何だか落ち着いているし、見たところ二十歳前後だろうか。 
 顔立ちは何処となくリシャスに似ている。特に口元なんて瓜二つだ。

 
 彼の明らかに悲しそうな声と表情から自分はこの男と知り合いだったのだろうな、と何処かぼんやりする頭で思った。


「残念ながら何も覚えていない。僕からすれば、君が自分の知り合いだったかどうかも疑わしいところなんだけれど」


 
 息を吸う音が聞こえた。青年は虚をつかれたように目を丸くしている。


 
「見覚えもないのか? 名前だけなら分かる、とか……」

 
「全く。さっきまでは自分の名前も分からなかった」


 
 青年はため息を吐き、苛立ちを隠さずに僕が座っているベッドの縁を右手で殴った。衝撃のせいで白いシーツに皺がよる。


 
「まったく……。だから一人でふらふらと歩くなって言ったんだよ。大体さっき何て言った? 僕? トキの一人称が僕だなんて、本当に似合わなくて笑えてくる」

 
「……うるっさいなぁ!」


 頭に血が上った。 
 気付いたら自分は立ち上がっていて、青年はベッドに力なく倒れ込んでいた。眉間に皺を寄せて痛そうに腹のあたりをさすっている。それから、僕の右手も痺れたようにじんわりと傷んだ。

 よく考えなくとも、状況を見れば僕が青年を殴ってしまったのだと理解出来た。


 
「あ、その……ごめん……」


 
 少し慌てている。自分はなんて短気だったんだ、と驚いた。 何も覚えてはいないが衝動的なタイプではないと予想していたのに。恐る恐る青年を見上げると、少なくとも怒ってはいないようだった。


 
「いや」


 
 青年はニヤリと口角を上げる。


 
「それでこそトキだ」



 青年はレユニトと名乗った。 



「とは言っても、レユニトなんて通して呼ぶやつはいないんだけれどな」


 
 僕の隣に座りながら、レユニトは苦笑をもらした。 



「お前にはユニと呼ばれていたし、他の二人からはレユ兄と呼ばれる事がほとんどだ。あいつは何でわざわざ四文字の名前を付けたんだか」

 
「あいつって誰だ? 親じゃないのか?」


 
 名前は一般的には親から付けられるものだと把握していたから、その言い草に違和感があった。


「親ではないな。むしろ親……みたいな奴からはナンバーで呼ばれていた。名前を付けてくれたのはカルムだよ」

 
「カルム……?」


 
 その名前はさっきから何度も聞いている気がする。 
 まだ、少なくとも記憶を失ってからは会ったことがない人だ。 



「そうか、今のお前はあいつに会った記憶がないのか。カルムは……」


 
 レユニトは何か言いかけて、結局首を振った。


 
「とにかく、あいつの事はあいつに聞いてくれ。俺が変な事を言ったら怒られてしまう」


 しばらくの沈黙。カルムという人物がどんな人か想像しようとして、何も思い浮かばなかったからやめた。


「さて」


 
 レユニトが軽く咳払いをする。


 
「お前、何も覚えていないんだよな? 何から知りたい?」 



 大雑把すぎる問いだと思った。何から、と言われても僕は何も知らない。 
 黙ったままの僕に、レユニトがもう一度口を開く。


 
「自分の正体か? それとも今まで俺たちに何があったのか知りたいか?」


 その二択なら、答えは簡単だ。


 
「自分の正体が知りたい。僕は何者なのか、知らなきゃいけない気がする」 
「何者なのか、か……」


 
 レユニトがおもむろに手を差し伸べてきた。 
 そのまま、僕の首筋に掌を当てる。 
 その手は妙に冷たくて酷く滑らかだった。


 
 人間としては、不自然な感触だ。


 
「俺たちは、人間ではないんだ。人に造られた存在なんだよ」


 
 人に造られた青年は、人工的な笑みを顔に浮かべていた。


 
 1-03 レユニト.fin.

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