第一幕

1-01 覚醒.

 目が覚めた。覚めるというより、覚醒と言った方が近いかもしれない。唐突に意識が戻るような感じだった。

 まぶたの端を両手で擦りながら身を起こして、そのまま大きく伸びをする。眩暈を起こしそうになった頭を抱えて、部屋を見渡して、


 ――違和感が走った。


 何だろう、何がおかしい?

 もぞもぞと体を動かしてベッドの縁に腰掛けたところで、違和感の正体が分かった。


 自分は、この部屋を知らない。


 いや、部屋だけではなかった。眠る前の記憶が一切ない。自分の名、出身、性別、なんて基本的な事ですらも分からない。 つまり、一般的には記憶喪失と呼ばれる状況だった。


 こめかみに手を当てようとするとさらさらとした髪に邪魔された。かきあげてみると指に数本の金髪が引っかかる。

 そうか、自分は金髪の持ち主なのか。でも今そんな情報を手に入れたところで何の役にも立たないか。


 腕を下ろしながら意図せずため息を吐いた。そのまま項垂れて、視界が下に向く。自分の着ている物が目に映った。


 白と黒のボーダーのシャツ。灰色のズボン。 余計な装飾のないこの服装は、まるで……。


「囚人服、みたいじゃないか」


 声に出していた。脳裏によぎったのは捕らえられた罪人が着せられるという服のこと。何でそんな服を着ているのだろうという疑問は湧いたけれど、呟いた声から自分は十代半ば程の少年だろうということが分かった。声で自分の性別を知るなんて滅多にない経験なんだろうな、と状況に合わない事を考える。


 とにかく混乱していた。何故自分はこんなところに寝ていたのか、そして何者なのか。 少しでも情報が欲しくて、部屋を見渡す。


 六畳ほどだろうか、あまり広い部屋ではない。家具も少ない部屋だ。

 自分――いや、おそらく少年なのだから僕とでも言うべきなのだろうか?――が座っているベッドが部屋の大半を占めている。木の台の上にテレビがあり、中央には低めのテーブルと椅子二脚。角に置かれているのはたんす、と呼ばれる収納具だろうか。 部屋の持ち主は相当に質素な生活を送っているらしい。もしここが僕自身の部屋だとしても、特に自分の手がかりになりそうなものはなかった。


 ……いや、それは少し違うな。軽く頭を振る。記憶がないとは言っても名詞などの基本的な情報は覚えているようだ。そう言えば囚人服という概念もすぐに頭に浮かんできた。


 とりあえず、立ち上がってさっき目の端に捉えたものに近づく。テーブルの上に載っていたそれは、テレビのコントローラーだ。 電源を入れればテレビが使える。それも覚えている。 赤いボタンを押すと、液晶画面にニュース番組が映った。 スーツを着た女性のアナウンサーが淡々と原稿を読んでいる。


「……続いてのニュースです。人によって造られた人型の機械、いわゆるロボットが一般家庭に取り入れられ始めました。技術者によると……」


 原稿がめくられる。画面はVTRに切り替わり、居間らしき場所で片言のロボットが話す様子が映される。 どうやらロボットはプログラミングされた言葉だけを話す設計になっているらしい。まだまだ実用段階には遠いように見える。


 その映像を見ながら、何かを思い出せそうな気がした。しかししばらく見続けていてもそれ以上の情報は得られなかった。コントローラーを操作してチャンネルを変える。 切り替わった先はバラエティー番組のようだ。出演者が話題に関して自分の体験を喋る、という主旨らしい。出演者は見覚えがあるような気もするけれど、名前は分からない。 記憶を失くす前の僕はこんな番組には興味がなかったのだろうか。もしくは単に忘れているのか。


 テレビを見るのに飽きて、ベッドに体を向ける。 すると、小さな黒板のような物が下げられていた事に気づく。自分の真後ろにあったからさっきは気がつかなかったようだ。 チョークで書かれた白い文字を読んでみると心配した、とか、起きたら知らせろ、などと書かれている。筆跡は一種類ではなかった。知らせろも何も僕にはここが何処かも、誰に知らせればいいのかも分からないのに。


 でも、ちらりと思う。自分を気にかけてくれる人はいたのか。目が覚めたら誰もいない部屋に一人、しかも記憶がないなんて状況で僕は心細くなっていたのかもしれない。 少しだけ安心した。


 急に頭がぎゅっと締め付けられるような感覚がして、ベッドに崩れるように倒れこむ。


 目覚めるまで十分に睡眠を取ったものだと思っていたのに、とても眠い。何故だろう。分からない事ばかりだ。

 ああ、もう意識が朦朧としている。

 ゆっくりとまぶたを閉じ、意識を切り離した。


 1-01 覚醒.fin.

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