モーニングルーティーン
科文 芥
鼠色の朝
鬱陶しい蝉の声、目に刺さるほど真っ青な空と白色に輝く太陽。陽光を受け反射光を辺り一帯にまき散らす小川の清流、むせ返るような草の匂い。濃淡でモザイクの様にも見える山々。瓦屋根と木の雨戸がある小さな平屋。
私は今、夢の中にいる事を悟る。ここに来るのは久しぶりだ。何処か懐かしい気がする場所、安心する場所だ。私の記憶が正しければこの様な場所に夢以外で来たことは無いが、何故か懐かく感じる。何故だかは私にも良く分からない。しかし私はここに来る度に、ずっとこの場所に留まっていたいと思うのだ。今日は出来るだけ長くここにいたい。
『ジリリリリリリ!!』忌々しい音が鳴り響く。意識が夢の中から自室へと転移する。目を覚まさなくてはならない。朝が訪れたのだ。
私は上体を起こし、寝台から足を下ろし、寝台に備え付けられたケタタマシイ音を立てるベルを止める。キッチンへと向かう。
完全保管冷蔵庫を開け、小さいステンレス製の容器に入ったゲル状の栄養食と、「効率型タンパク食糧」と印字された不格好なパッケージに包まれている成型肉を取り出した。
すると部屋に備え付けのホロテレビ(ホログラムテレビ)が自動的に起動し、黒色の作業着を着た女性アナウンサーが軽快な声で挨拶をした。
「世界全土30億人の共同体構成民の皆様!庇護者様のご加護が今日もあらんことを!大災害と終末戦争の惨禍から我々は救ってくださった庇護者様は、今日も共同体の秩序と構成民の安息を祈り尽力されています!」
朝の「真実報道」だ。その名の通り真実だけを報道するニュースだ。内容は大体、反乱者の取り締まりやら、
報道に意識を向ける。
「先日午後6時丁度、アガピト統制官は南米、北米における忌々しき反体制派の暴動を鎮圧したと発表しました!統制官によれば米大陸での反体制派の瓦解は今年中であると発表しました!勝利!勝利!勝利!万歳!万歳!万歳!庇護者様と統制官を讃えましょう!そして共同体に讃歌を!皆様!更に吉報は続きます!お聞きください!欧州のラインハルト統制官は、反体制派が隠れ家としている集落を今月だけで63地点も特定!それらを正義の鉄槌を持って火炎放射器と毒ガス、秩序保安隊の銀弾で攻撃!完膚無きまでに殲滅しました!欧州での秩序化も遠くはありません!万歳!万歳!親愛なる庇護者様に最大の敬意を!統制官に庇護者様と共同体のご加護があらんことを!」
女性キャスターは口角を顔が裂けるほど吊り上げ、腕を激しくデマゴーゴスの様に動かしながら原稿を読み上げ、情熱とはまた別の異質な熱気で語った。
この大袈裟で狂気すら感じる演説に無意識のうちに私もホロテレビの前で声を張り上げてしまう。隣の部屋からも金切り声が聞こえた。
ひとしきり叫び終えると、栄養食を胃へと流し込み、タンパク食糧を一齧りした。見た目こそグロテスクで、食感は悪いが何故かうまく感じる。不気味な感覚だ。成形肉は夜の分に3分の2を残しておいた。
食事を終えると、シャワールームへと向かった。赤色のプラスチックの蛇口と青色の蛇口を捻り、調節する。42度程度の少し熱めの湯が出たのを温度計で確認してから私は服を脱いでシャワーを浴びた。
この住宅は変な所がローテクだ。360度、どこからでも立体的な映像が見れるホロテレビや、決して食品が腐らない完全保管冷蔵庫と言った物はあるのに、このシャワールームや洗濯機はローテクだ。それに生活時間管理装置のアラームも、最近流行りの電子音や音楽が流れるものでは無く、私が故郷とも言え、実家とも言える『共同体孤児院』で過ごしていた頃からある、火災報知器の様な煩わしいベルの音だ。
中堅共同体職員の住居なんてそんな物だ。出世するまでの辛抱だと自分に言い聞かせながら、忌々しい音と旧式の使い勝手の悪い残留物に耐え忍んでいる。
シャワーを浴び、下着だけ着て、歯磨きを終えたら毎日朝晩1錠ずつの薬を飲んだ。「バク」という薬だ。
この薬はある一種のソフトウェアの様なものだ。体内のナノマシンと反応し、脳細胞に作用、薬で指定されている特定の記憶を消去するといった物だ。主にトラウマなどに使われる。私がトラウマと感じていることは孤児院に入る前、幼少期の記憶の様で共同体成立前と設立直後の記憶だと医者から聞いている。
コップの水を飲み干し、玄関へと向かう。ハンガーに掛かった制服を取る。純白のワイシャツと旧時代(共同体成立前の時代、私も暮らしたことのある時代だが記憶がない。どうやら世界は国家と言う小規模な勢力で分断されていたようだ。)の欧州地域に存在したドイツと言う国家の国家人民軍の物とよく似ているベストとズボンを着る。ベストの左腕上部には中国語と英語そしてロシア語で「秩序と平和」の標語が円形に書かれ、円の中心には太平洋を中心にした五大陸の地図があしらわれたワッペンが付いている。
革靴を履き、ゲートルを巻き、制服の襟に受信、発信、音声機能の付いたバッジをつけ、立ち上がる。目の前のムラがあり、汚く薄緑のペンキで塗られた鉄製のドアにネジ止めされたプラスチックのプレートを見つめる。「今日の労働は我が子と明日の共同体の為に」私には子供も伴侶もいない。せめて共同体維持の為になっていれば幸いだ。
ドアを開け薄暗い廊下を渡ると突き当りにエレベーターがある。この住宅で最も旧世代的なデザインで息苦しさを感じる場所だ。
高さ2000メートル、合計533階、東京に無数にそびえ立つ巨大ビルの221階に私は住んでいる。昔はメガストラクチャーと呼ばれていたが、今では5000m級以上のビルにその名を奪われ、元の平凡なビルという名称に戻った。
そんな巨大ビルを上から下まで通るエレベーターはデザインこそ古臭いが1階から屋上までを僅か2分で繋ぐ。
エレベーターに乗り、箱の隅に立ち、対角線上のボタン類やその他を見る。私の住む221階から300階、350階、410...右上のディスプレイに煌々と灯るオレンジ色のLEDが上昇する階層を表示する。500...521...533階、そして屋上だ。
屋上は共同体政府職員用ホバーカーの駐機場になっている。
こんな時間に出勤するのは戦争省の職員か秩序省の諜報部員くらいだ。
だだっ広い駐車場には数えきれない程のホバーカーが止まっているが、それらのエンジンやプロペラの音は殆ど聞こえない。たまに蚊の羽音程度に聞こえるくらいだ。
せっかちに革靴の音を鳴らしながら駐機場を横切っていく。AやGでは無くQ-88へと向かう。
Q-88駐機場に止めてあるホバーカーに乗り込み、運転席の可動式のアームを下ろし、ヘッドマウントディスプレイをかぶる。
目の前にいくつかの幾何学模様が浮かび、二つの大きい丸が私の両目を映す。丸の上に赤い線が表示され、下へと降りていく。
線が下まで降り切ると、「網膜認証完了」とテキストが表示され、ディスプレイに高度計と速度計、その他計器、外の風景が映し出される。
プロペラの風を切る音と共に、男性の声が耳に入る。
「フジモトさん、庇護者様のご加護が今日もあらんことを。天気は晴れ、降水確率は10%、風速は3m。飛行条件は良好です。目的地の指定をお願いします」
サマエルの声だ。今ではホバーカーだけで無く、クローゼット、薬を入れるキャビネット、キッチンに何まで...あらゆるガジェット、家具、乗り物に搭載されたAIと音声補助機能だ。私の襟元についているバッジにも搭載されている。
「やあサマエル、君にも庇護者様のご加護が今日もあらんことを。目的地は香港、戦争省科学局技術棟で頼む。飛行方法はジェット、操縦は自動、経路は最短で。あと星外戦争と文化の最新の報道を教えてくれ」私はいつも通りの定型文を言った。
「指示内容を確認しました。目的地までは予測で30分12.5秒程かかります」サマエルも定型文で返す。
ホバーカーの車体後部に格納されているジェットエンジンが展開し、点火、機体は加速していく。両端に一か所ずつ取り付けられているプロペラは地面に対して離陸時には直角に、先ほどまでは平行になっていたが、今は羽が格納され先端の鋭い円柱になった。
「星外戦争は各省庁や各報道機関の発表を総合的に分析しましたが、オールトの雲ラインからの撤退以降、敵軍の大幅な進軍も見られず、戦線は安定しており反攻作戦の立案に着手しているとの事です。その一環として、太陽系防衛本部は火星基地増設と指令部新設、新たに全環境行動兵科部隊の創設と配備を決定したようです。文化ではまず、先月発表された新小説『多元宇宙にて』が、共同体全土での売り上げ4000万部を突破しました。また音楽は、北アメリカの電子音楽バンド『エイティーンフォーティーツー』の新アルバムが週間ランキング4位にランクインしました。」サマエルは淡々と私の求めた情報を正確に、端的に、総合的に処理して伝えた。私はサマエルに何か知恵を求めるとその度に、感心すると共に一種の畏れを抱く。勿論、サマエルに対する、人類が旧時代から抱いてきたAIへの警戒や偏見に起因する畏れでもあるが、同時にサマエルの創造者、いや命名者だ。命名者に対する畏れである。人間の生活を全般的に、何よりも情報で手助けする者に追放のきっかけの名前を付けるなど控えめに言って悪趣味だ。
「他に何か命令はありますか?」サマエルは私に、わざとらしさを感じさせない丁寧で、少なくとも書類やコンピューターとにらめっこしている政府職員からは消え去ってしまった礼儀を感じさせる口調で尋ねて来た。
「いや、何もしなくて良い。このまま香港まで飛んでくれ。」
私は、サマエルがいつか単なる知識ではなく、イチジクを渡してくるのでは無いかという、私の思考に纏わりついて離れない一種のパラノイアをかき消す為にサマエルの奉仕を断り、外界へと意識を向ける事にした。
ディスプレイに映る外の景色と、計器、ナビの地図を見る。視界の端に巨大なクレーターとその周りに広がる、恐らく建っていたころは5000mほどの高さだったであろうメガストラクチャーが、モザイクの様に見える、家々や雑居ビル(と思われる物)の上で寝そべる光景が入った。
バクで記憶から消えている大災害と、終末戦争の悲劇を唯一私に感覚的に伝える光景だ。
大災害とそのあとに混乱した世界で、国家同士が始めた終末戦争...世界120億の人口をあっという間に20億にまで減らしてしまった惨劇...この時代の記憶を持っているのは統制官や軍の指揮官、そして庇護者様のような共同体の安息を護る人々だけになり、大半の人々はバクや脳手術、またバクを必要としない高性能ナノテクの脳操作で悲惨の記憶を消し去って緩やかの幸せの中で暮らしている。ナノテクや脳手術は本来、高額な費用のかかる施術だが、これらは全て共同体政府が無償で行い、更には義務化までしている。
庇護者様は安定を望み、終末戦争後の世界を一つにし、秩序を取り戻した。更に慈愛をもって、人々の安息を望んだ。そして脳内の奥深くにこびりつき、絶えず深い傷として、人を苦しめる暗部の記録を大衆から消し去った。
しかし、庇護者様や統制官は辛苦の記憶を持ち続けることを選んだ。庇護者様は自らと、自らの使いに過ちを犯さないための調整役、道標としての役割を背負わせることにしたのだ。
視界から建物が消え、陽光を浴びた海洋の青白い輝きが目に入り、真っ青な宝石を惚れ惚れと見つめていた。
「フジモトさん、まもなく目的地に到着します」サマエルの報せで過去と深層心理への旅から引き戻される。
サマエルの報せを聞いた数十秒後には、先ほど見えていた海の水面は姿を消し、叡智と繁栄の権化とすら思えてくる大都市が見えてきた。ヨーロッパにその昔存在した。原生林の針葉樹林のように密集した10000mを優に超えるメガストラクチャーが立ち並び、科学と文明の素晴らしさを街をキャンパスにするかの様に表現する都市、ユーラシア大陸で三本指に入る先進都市、香港だ。嗚呼美しい、共同体に讃美を。
ジェットエンジンの轟音が止み、減速する。プロペラが徐々に展開する。ホバーカーは電波塔とアンテナが所狭しと生え、全体がむき出しのコンクリートと分厚い防弾ガラスに覆われた要塞のような建物の上空で静止し、降下する。
「目的地に到着しました。指示内容を全て終了します」
香港、戦争省科学局技術棟に到着した。
白い作業着を着た20人程の労働者が、黙々と部品と部品を繋ぎ、高さ4メートルほどの人型のロボットをくみ上げている。
ここは戦争省科学局技術棟の中にある、兵器開発局の工房だ。今、目下で作られているのはつい先月、試作設計図が出来上がり、試験的に50機を製造する事が決まった新兵器だ。もしこれが正式採用され実戦投入されれば、星外戦争での小惑星陸戦や、敵艦への強襲戦、そしていつか来たる、
作業員はただ、黙々と単調な作業をこなして行く。端子と端子を合わせる。関節と関節をつなげて腕、脚を作る。関節のむき出しの部分に可変合金のカバーを付ける。本体につなげる。端子と端子を合わせる...繰り返し。
一見すれば、面白みも楽しさも何もない労働なのだが、白装束の作業員は皆、顔に満面の笑みを浮かべながら作業をしている。ルーブルに収蔵されている宗教画にこんな物があった気がする。
私は忠良なる信徒の繰り広げる宗教劇を、ガラス張りの研究者用管理室から睥睨している。それにしても、少し前まで彼らは無神論者だったはずだ。堕落と失楽にまみれ、日々の苦役を全うすることに対して、憎悪すら感じる態度を見せていた。それが今ではこれだ。一体何があった?
眼前に広がる奇妙な光景が解なしの定理のように思え、あてのない思考の演算と脳内のコードを書き出していると、肩をたたかれた。
「フジモト。君に庇護者様のご加護が今日もあらんことを」肩を叩き、他の人間と同じように挨拶してきたのはカワダだ。この戦争省技術棟で脳科学を研究している職員だ。私とは孤児院時代からの友だと言う事もあり、たまに兵器開発局を覗きに来ることがある。
「カワダ。お前にも庇護者様のご加護が今日もあらんことを」カワダに挨拶を返す。
カワダは私のお決まりの返答を聞き流すと、少しニヤリとして、何かプレゼントをするときの様な、それでもっていたずらをする男児の様な無邪気な微笑を浮かべ口を開いた。「なあ、君。何か最近おかしいと思う事はないかね?」
「おかしい事か...特には無かったと思うが...」私は不意な質問に悩んだ。
「いや、強いて言うなら一つだけある。作業員だ。作業員がおかしい」一度は困惑したが、数秒後に答えが出た。
私が悩んだ末に回答すると、カワダは明るい表情になり短く返した。
「ご名答!よくわかったね」
「少し前は働く意欲すら感じられなかったのに、最近じゃ喜んで働いてる。少し気がかりだったんだ。お前、何か理由でも知ってるのか?」次は私がカワダに質問をした。
すると、カワダは先程と同じ無邪気な微笑のまま口を開いた。
「あいつらの頭に、新型の脳制御装置を入れた。もともとは旧時代の中国やロシア、フランスの兵士に使われていた脳に埋め込む電極と、鬱病の治療に使われていた電極だよ。それを現代の技術を使って労働を快楽に感じるように改造したんだ。旧時代より脳の全容が明確になったから、どこにどんな手を加えれば、精神や身体にどんな効果があるかが分かるようになった。それであいつらの脳みそを少しいじってやった。本当はナノテクでバクとか記憶消去みたいにやりたかったんだけど、倫理委員会が、記憶消去、精神安定以外の脳への施術実験はあらゆる懸念が潜むだかで取り外し可能な物でないと実験は認可出来ないと言い出してね...あんな頭脳労働の出来ない、人間のなりそこないなんて、モルモットか家畜同然なのに...まあ、とにかくあいつらを仕事熱心にしたんだ。君が少し前に、組み立て作業員が仕事をしないって言ってたのを思い出してね、実験台兼、君への日ごろのお礼にさせてもらったよ」
私は若干寒気を覚えながら、カワダの答え合わせに一応、賞賛の意を示した。
「ああ、そういうわけか。ありがとう」
私からの謝意を聞いて、カワダは何処か誇らしげな表情で、脳を弄られた作業員を見下すように、同時に動物園で珍獣を見るように一瞥した。その時、襟元のバッジが振動した。
『フジモトさん、張
「悪い、少し席を外す。また後で」カワダに謝罪し踵を返した。
「張局長からの呼び出しかい?もしかしたら昇進の事だったりしてね」
「昇進なんて、そんな事はないだろう。多分、試作機の投入先の事だ。まだ何処の部隊に送るか決まってなくてな...」
一言だけ残し、私は25番執務室へと向かった。
「失礼します」背筋を伸ばし、一声かけドアを開けた。重厚な机に共同体旗、世界地図と宇宙地図で装飾された部屋に入る。張局長は私の前直線上で椅子に座りながら、部屋の側面に位置する窓の外を見ていた。窓の外は広い庭園になっており、ベルリンの秩序省本部から寄贈された「五人の兵士像」が、勇猛な雰囲気を漂わせて置かれている。五人の兵士は世界五大陸に住む人と、様々な人種を現し、共同体の広大な範囲と、調和と協調を表現している。五人の兵士は天に銃口を向けている。
「この書類を読んで欲しい」張局長が一枚の赤色の紙を机に置いた。軍高官からの命令書である。私はおぼつかない手つきで、命令書を取り、内容に目を落とした。
------------------------------------------------------------------------------------------------
戦争省太陽系防衛本部、調和歴0032年12月21日発行 第2066号命令
戦争省大臣カーター・クラーク、戦争省太陽系防衛本部長官兼火星植民軍司令官アーラ・ペトロワ及び、戦争省秩序省合同戦略委員会の名において、タケオ・フジモト(日本民族文化的呼称名 フジモト・タケオ)に火星第十三号基地(以下、略称M13基地と記載)への移住と、戦争省技術局研究官及び共同体航空宇宙軍大尉から、戦争省技術研究官及び共同体航空宇宙軍中佐への昇任を命じる。
尚、M13基地への出発は本命令書発行日(調和歴0032年12月21日)より2週間後(調和歴0033年1月04日)の15時00分とする。また移住と昇任に関する詳細な点については以下に記す。
・フジモト大尉は本命令書が発行された時点で、中佐に昇任した事とする。
・フジモト中佐に1月04日、09時00分に日本地区東京市153番共同体政府職員宿舎屋上駐機場で待機する事を命じる。フジモト中佐の送迎は秩序省保安隊が行う。
・フジモト中佐に本命令書発行日から1月04日、0時まで特例として休暇とする。
・フジモト中佐の移住に伴う、手続きはすでに全て安息省が行い日本地区統制官、マサイチ・ニッタ(日本民族文化的呼称名 ニッタ・マサイチ)が承認し、終了している。
署名 カーター・クラーク
アーラ・ペトロワ
マサイチ・ニッタ
ジャン・ダーハイ
------------------------------------------------------------------------------------------------
私が命令書を読み終わったのを悟ると、張局長は話し始めた。
「この命令書にある通り、君には2週間後、試作機と一緒に火星に飛んでもらう。上層部が試作機をだいぶ気にしているようで、全環境行動兵科部隊での使用と、量産体制への移行も考えているそうだ。特にアーラ司令官はカイパーベルト防衛ラインと、太陽系防衛での実戦投入を相当前向きに考えてるとの事で、戦略、戦術、設備整備、教練のシステムをある程度組み立てたいと、司令官直々に君に呼び出しがかかっている。」
私の視界は色彩を失い、モノクロになっていく。一瞬、死地に赴くことへの憤慨も浮かんだがそれもすぐに無駄な感情だとわかり、無念と脱力へと変わった。
「地球から離れるのが嫌なのはわかるが君も研究官とは言え、軍人である事を考えて欲しい。」
気を失いそうになりながら、命令書を弱々しく持ちなんとか二本の脚で立っている。
「これは火星に行く君になら話して良いと上層部からお達しが来たから話すが、去年、我々がオールトの雲ラインから撤退したあと、系外人の連中は毎月、大体20au(天文単位、1auは地球から太陽までの平均の距離である)の速度で地球まで向かっている。太陽系防衛本部も上層部も状況は非常に危険であると判断している。そういうこともあり、もし太陽系まで侵入されたら月と火星は間違いなくこの戦争最後の最重要防衛拠点になる。火星でも月面でも陸戦が考えられる。」
報道とは違う内容を聞かされ、モノクロの視界は暗転と明転を繰り返す。
私のパラノイアは決して妄想ではなかったのだ。サマエルは私にイチジクを渡したのだった。
その後の記憶はナノテクとバクが激しいストレスとして消し去った。
鬱陶しい蝉の声に、青空、清流。あの夢の中に私は再び訪れている。私はあの日以来、ここへと毎日訪れある事に気づいた。ここが私の故郷であると言う事だ。私から消えた、抜け落ちた物だ。それに気づいてからはますますここが懐かしく、愛おしい場所に思えたが、ここで過ごす事が出来るのは恐らく、今日が最後だ。
『ジリリリリリリ!!』嗚呼、鳴ってしまった。忌々しい音が頭の中で響く。以前からこの音は不快な事この上なかったが、今日のは今までより一層、酷く感じる。
寝台から立ち上がり、食事をとる。起動したホロテレビには黒い作業着の女性が映っている。
「わが軍は止まるところを知りません!オールトの雲ライン奪還も遠くはありません!」報道はデマをまき散らす。
シャワールームへと進み、禊をする。そしてバクを飲み込み制服に袖を通した。
最近、特別に許可が与えられ不適切な物でないなら、旧時代の映像や本を触れられようになり知ったのだが、旧時代ではある時間、ある事をする時に行う儀式のような一連の行動をルーティーンと言い、特に朝に行う物をモーニングルーティーンと言ったそうだ。今日、私が行っているこの行為もモーニングルーティーンと言うのだろう。
だが、それをするのも今日で最後だ。
私は玄関に前日に予め、用意しておいたボストンバッグを持ちドアに打ち付けられた「今日の労働は我が子と明日の共同体の為に」のプレートを読んだ。私には我が子も伴侶もいない、しかし共同体の明日を創るのだ。と心の中でプレートの文言に付け加え、ドアを開けた。エレベーターに乗り込む。
駐機場へと着くと、短機関銃を肩から下げ、携帯した二人の灰色の制服と制帽を身にまとった男が駆け足でこちらへとやって来た。
「フジモト中佐、秩序省保安隊から送迎に参りました。こちらへ随行願います。」
保安隊員は歯切れよく、そう私に告げるとカツカツとブーツの音を鳴らしながら一台のホバーカーの元へと向かい、私は後をついていった。
高度2000メートルの駐機場には冬空の下、寒い風が吹いている。時々強めの風が吹き、珍しく被ってきた制帽が飛ばされないよう片手で抑えながらホバーカーへと急いだ。
ホバーカーに着くと、保安隊員が「こちらへどうぞ」と言い、私を機内中央の席へと案内した。遠くから見ていた為最初は気づかなかったが、このホバーカーは相当な大型機だった。
保安隊員が乗り込むと、ドアが閉まりエンジン音とプロペラの風を切る音が聞こえた。
操縦席に座る運転手が可動式のアーム降ろすと、いくつかのスイッチと計器を弄り私に声をかけた。
「フジモト中佐、お会いできて光栄です。これから当機は北米地区ヒューストンに向かいます。当機はセキュリティと安全の関係上、手動運転で飛行し秩序省の護衛機が付きます。良い旅を」
そう言い終わると、機体はジェット飛行に入り太平洋へと向かった。前後に2機ずつ護衛機が見えた。
私のモーニングルーティーンと、地球での生活は眼下に広がる青い海と5機の規則的な編隊に彩られ、宇宙と共同体への思いの中、終わりを迎えた。
モーニングルーティーン 科文 芥 @Flip1984
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます