第41話 人と龍との架け橋

(若宮…………皇の子をそう呼ぶこともあるけど、むしろ、龍の寵児だと言っているように聞こえるわ)


 つないだ先で、手が硬く握られた。

 ユメの頭上で、震える呼吸が何度も行き交う。そして喉から絞り出された声は、低く怒りを帯びていた。


「私は還らぬ。人の世に帰してほしいと、人として生きてゆくのだと私は告げたぞ」

『そうだ。お前が望むゆえ我はお前を手放した。だが、我がお前に持たせた恩寵は、ほとんど全てが剥ぎ取られたではないか』


 龍はすっかりクラから意識を逸らし、アラライへと熱心に訴えかけている。

 クラは、突如緩んだ攻めの手に、顔をむっとさせた。この隙に叩くべきかと迷った顔をしながらも、龍の意識の先であるユメとアラライに目を向ける。

 「会話が成立しているのか?」と怪訝そうに呟くクラに、ユメが(ちょっと待って)と口をパクつかせた。

 聞こえてはいないだろうが、ユメと目を合わせたクラは、不本意そうに頷いた。乱れた呼吸を整えるのに専念し始める。


『人の世に戻るにも、未熟な体では危険が多かろう。そう案じて、お前を比類なく完璧に成長させ、老いも絶えもしない守りをかけたにも関わらず、お前は身を損ねることしきりではないか。人目にも我が眷属であるとわかるよう揃いのいろに染め替えたのに、我が眷属にするようには、人はお前を尊ばぬ。我が持たせた、生涯尽きぬほどの財はどうした? 健やかな生を願い平癒の力を両の手に授けたのに、なぜ失った?』

「あなたがくださったものはすべて、人の身には過ぎたものだ」

『そうやもしれぬ。お前を損なわぬための宝は、人の手に余る。ならば、我が慈しむお前の身も、人の世には余ろう。我がすみかたる川を眷属たる蛇の子の血で穢したこと、覚悟は出来ていような。しかれば、川にお前の血が滴ったことも、同様に人の罪であろう。許してなるものか。ああ。我が鱗の下で蠅の子が蠢くかのようにむず痒い。煮え立った血が冷めやらぬ。今こそ取り返し、我が神域へと隠すのだ』

「断る!」


 肩をいからせて叫んだアラライが、殊更ていねいなしぐさで握り締め合ったままのユメの指をほどいた。

 ユメの肩をそっと後ろに押しやって、自ら前に出る。


「私は何も欲しくはない。御身からの下げ渡しはどれも目映まばゆすぎて、人の欲を生む。一つ一つの宝に百の民が命を賭し、争奪に敗れた九十九の民は補填のため、残った中で目につくものを手あたり次第に奪い尽くす。き物ほど、切り刻んででもみなに行き渡らせなければ、一の宝は百の負債となる。私がその負債を返し切れなくなったとき、人が私を殺すことになるのだと、何故わからない! 御身に貰った物はすべて捨てた。百剥ぎ取られ、百切り分けられ、我が身一つしか残らない。だというのに、御身は、私の残りかすさえも奪い取るのか。御身の慈しみとは、そんなものか」

『そんなつもりではない、若宮よ。我が――――』

「何故答えない。何故唸り声で誤魔化すのだ。それでも私を連れてゆくのなら、私の代わりに約束を果たし、御身を打ち倒すすべをこの者らに与えてゆけ」

『怒っているのか、若宮よ。人らの争いは我が責ではなく、その申し合わせも我が約諾したものではない』

「答えるがよい」


 ユメは手のひらと龍とを見比べた。

 ユメには龍の言葉がわかる。

 けれど、アラライは明らかに龍の言葉を聴き取れなくなった。


(本来、神の言葉は巫女だけが受け取るもの。手をつないでいるときにだけ、力を共有できているんだわ。だけど……)


 ユメはアラライの背に触れようとして、その手を止める。


(本当に聴かせるべきかしら、アラライに。八年分の怒りをようやく口にしている人に)


 アラライはどう見ても怒り慣れていない。

 八歳の頃に傷ついた少年が怒りを代弁させているかのように、感情的だ。

 だからだろうか。話の終着点を見出せていない。


(このままではいけないわ。この国を守りたいアラライの願いは生かされない。アラライを守りたい龍の想いも届かない。でも――――わたくしには、きっと出来るわ。人と龍との架け橋になることが)


 ユメは駆け出した。

 アラライの背を飛び出して、龍の眼前に躍り出る。

 驚いた顔をしたアラライが手を伸ばすのが、目の端に入る。

 だけど駄目。

 捕まってあげない。


「ユメ!?」

「おい、馬鹿っ!」


 勢いは殺さない。

 龍の髭先の位置は男の人の頭上くらい。

 屋敷の裏庭にあった楡の木の枝に、従者のセキマサと共にぶら下げた縄と、そう変わらない高さ。なら、屋敷の塀を飛び越えるのと同じ要領で、きっといけるはず。


 ユメは思いっきり跳ね、両手で髭を引っ張った。そのまま足を振り上げて、鱗の隙間につま先を引っ掛け、全身で龍首にしがみつく。

 龍が振り払うように頭を振り回し、天高く昇り始めた。

 ユメは必至で鱗を掻き掴む。

 当然、並々には考えれない怪力があっても成し得ないような力技だけれど、ユメの金色の瞳は爛々とかがやいている。


 ユメにはほんのひとかけらだが、勝算があった。

 その昔、穂高と仙の国が二つに分かたれたとき、一同は西の地を追われ、山に逃げ込んだ。その山頂、東に下りる崖のあまりの厳しさに、一同は運面を別にした。

 曰く、老人と、病人と、仙術の使い手は山に潜むことを選び、仙ノ国を成した。

 そして穂高ノ国を成したのは、荒々しい崖を下りることを選んだ、若く強健な戦士たちと、戦巫女であった。

 穂高の民は、戦巫女が祈ると百人力を発揮し、巨木をも一人で運んでみせたという。

 もちろん、今の民にそのような力はない。ならば、その言い伝えは、巫女の持つ力なのだ。

 今なら出来る。今だけは出来る。

 仮に出来なくても早々に振り落とされるだけなのだから、やってみない手はない。


 そしてユメは、賭けに勝った。


「あなたね! アラライを守るために御座おわしたのなら、噛み付く先はこっちじゃないわ。あなたの大切な人の敵を、わたくしが教えて差し上げる」

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