第40話 仙の術、巫女の語らい

「ゆけ」


 鋭く投げられた小石が龍の喉奥に飲まれてゆく。


さいの石は今より塞の仙、クラの指先とる。逆巻け!」


 クラの声に従うように、手のひらで濁流が渦巻き、小石の後を追った。鉄砲水のように荒々しく飛沫が飛び散る。

 アラライはその行く先を仰ぎ見た。クラに掴まれた髪の一房がピンッと伸びた。

 虚空から生み出された水流が、巨大な孔のような龍の喉を突き塞いでいる。

 龍が怯んで後退りした。

 と同時に、クラも右腕を掴んで大きく舌打ちする。


「まるで足りない! 懐剣があっただろう。出せ」

「アラライの物だけど……どうするの?」


 ユメは言われるがままに合わせに手を差し入れた。懐剣が現れると同時に、ユメの手から抜き取られる。

 そのまま澱みない動きで、クラが滑らかな金糸状の髪に刃を当てた。


「御髪、貰い受ける」


 当事者であるアラライは、刃の先をまるで見ない。龍を目で追ったまま、動きがあればユメを囲い込むというように腕を広げている。

 ユメが小さく袖を引くと、短く昰と返った。

 クラとユメが注視する中、クラが慎重に刃を滑らせる。

 しかし、懐剣はやわらかな柳の枝にいなされたように流され、滑り落ちた。

 クラの手の中には、髪の一本も残らない。


「…………!?」

「其方でも断てぬか? この髪は、切れぬのだ。それゆえ斯様に長くなった」


 アラライがそっけなく言う。

 目が龍から外されることもない。

 龍もまた、そっくり同じな翠の眼でひたすらにアラライだけを見つめ続けている。吐息に合わせて体が揺れる。

 ただならぬ様子に目を奪われたユメの手に、クラが小剣を握らせた。自らも手を添える。


御饌みけ供えの句とかそういうのがあるだろう。唱えろ」

「うーん……塞の龍への御饌だから――――」


 御贄の巫女には得意の要請に、ユメは気持ちを切り替えた。

 腹に圧を感じるまで息を吐いて、そして鼻からすっと吸う。


「掛けまくもかしこき塞の大神おおかみさま。うず御幣みてぐら取り持ちて、綾なす詔戸のりとぎ、称辞たたえごとをへまつりいたします」


 声が、弦を爪弾いたかのようにゆっくりと空を震わせる。

 いた大根おおねのようにやわらかに、刃が通る。

 二つとない黄金が、束になって手中に落ちる。

 そして、熱して延べたようにとろけて、指の合間を伝って消えた。消え失せた。


「……えっ?」

「いや、これでいい。――見てみろ。あんたの目、いろを持ったぞ」

「クラの目も、まるで……まるで金烏きんうが宿ったみたい。日輪が嵌ったよう。アラライの色だわ」


 向かい合う二人の黒い双眸からは、立ち昇る炎のようにめらめらと緋色と黄金色が揺らめいて、すぐに黄金に覆い尽くされた。

 クラの指がユメの眼下に伸びる。下瞼を引き下げ、しげしげと角度を変えて観察するのを気まずく思っていると、褐色の大きな手がやんわりそれを遮った。


く用いられようか?」


 ユメの頭上で、アラライとクラの視線が交差する。

 破裂音がする勢いでクラが手を払い除けた。


「充分だ。あんたの載福さいふくはぼくが使う。オヒメサマと下がって見てろ」


 下がるまでもない。クラが龍に向かって飛び出したからだ。


「渦巻け! ばくせよ! 尾を潰せ」


 クラの声に従って、地の下から水柱が噴き出した。

 水柱が屋根よりも遥か上空でうねり、巨龍に負けぬほど太い水縄となる。

 唸りをあげ、顔をもたげて建屋に身を打ち付ける龍と対峙すると、水縄までもが大龍のようだ。

 人工の偽龍が自在に跳ね、龍神を狙う。

 誰も見たことのない、神代にも聞かぬような光景に、逃げ遅れていた下男下女が腰を抜かして指を差す。


「化け物じゃ……!」

「あんなものは人のみちに外れておる」

「国の外から来たあやかしだ!」


 一人一人の声ではない。恐怖がいくつもの口から同じ言葉を垂れ流される。

 アラライが強く目尻を釣り上げた。彼らしくない荒い仕草で、立ち去るように命じかける。

 その間にも水縄が龍を打ち据えている。

 拘束しようと巻き付いては千切り逸らされ、また鞭のように跳ね戻ってゆく。


 ユメは両瞼の端に指先を当てながら、固い顔で戦況を見ていた。

 クラの操る水縄は、決して龍に負けてない。

 けれどクラの体は押されている。

 肩を前後に揺らしながら苦しそうに息を吐き、気づけば一歩、一歩と下がらされている。


(クラにはこんなに力があるのに、わたくしは何も出来ないのかしら。穂高ノ国と仙ノ国は元々は一つの国なのに。巫女と仙は、力を合わせて国を治めていたのだから、巫女にだって力があるはずなのに!)


 ユメは人ならぬ力を持たない。

 姉姫や歴代の贄姫たちが持っていた力。巫女として欠かせない霊験なる力は、御饌の首飾りなきユメには現れなかった。

 つらい。

 はがゆい。

 けれど目を逸らせないでいる中、やるせなさに冷たく震えている手が、外側から大きなものに包まれた。


「アラライ」

「大丈夫か?」


 やわらかな手のひらと湖面のように静かな声が、ユメにあたたかさをくれる。

 心がほっと落ち着く。

 しかし、アラライの翠の目に映るものを見たユメは、ぱっと目を背けた。


「わたくしの目――」


 アラライは珍しいいろの髪と目を疎んでいる。ユメはとても顔を上げられない。

 それなのに、頭上からふわりと笑う気配がした。


「私の色だ。其方がえてうつくしく見える」


 思いがけない言葉に、咄嗟に顔を上げた。顔が熱くて、おそらく赤い。

 不安がするするとほどける。今度はアラライの手を、ユメが取った。


「アラライはいつも私の欲しい言葉をくれるの」

「うん?」

「だから言って。わたくしにも出来るって」

「ユメには出来る。なんだって出来ると、私は信じているよ」


 なんのことだと聞き返すこともなく、アラライが笑んで請け負う。

 その無根拠な頼もしさに、ユメは肩の力を抜いて笑った。


「もう一度だけ、試してみたいの。わたくしも、塞の龍の巫女だから」


 巫女の力は、クラのように自然を操るものではない。

 ただ、神の声を聴くこと。

 ユメは龍に向き直った。


「とほかみえみため」


 神に語りかける言葉は、どうしてか空を大きく震わせる。

 よもや応えたのか。龍が大きくいなないた。

 ごおごおと空を脅かすような鳴き声だ。その鳴声に被さるように、低く地を這う音がある。ユメは耳をそばだて、そこから意味ある声を拾い出した。


『若宮よ』


 アラライが表情を削ぎ落として静かに龍を見据える。


い子、我が子よ、眷属たる若宮よ。我が元へ来たれ。此度こたびこそ、我が宿へ還れ』

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