第39話 一矢来降

「貴様ら、この方を手に掛けたのか!?」


 布谷ふや王の身を抱え起こしたカザハヤが全方位に疑いの目を振り撒いた。

 おずおずと立ちたがっている数人の家臣が、アラライの頷きを得て、すぐさまカザハヤに合流する。

 ただ事ではない空気に、恐る恐る顔を上げた者たちがめいめいに顔を歪ませてゆく。


 ユメは各人の反応を克明に観察した。

 顔を上げるタイミング、驚愕の表情に違和感はないか。不自然に周囲を見回していたり、逆に頑なに目を向けない者はないか。血の付いた銛や鉈を持つ手はないか。

 そして結論付ける。


 この中にはいない。

 ユメは大勢の前で神事を取り仕切ってきた経験上、集団の中から一粒の黒を拾い上げるのが得意だった。


(それなら…………)


 寝屋を見上げると、アラライが格子より中には踏み込まないまま、何かを探すように顔をあちこちに向けている。

 何の不在を確かめているのかは、ユメにもすぐにわかった。

 思案顔のアラライが次第に俯いてゆく。張り詰めた声で、王の警護を担っていた家臣に問い掛ける。


「得物の大きさはわかるか?」

「恐らく、背中に向けて重い長剣が振り下ろされたのだと」

「ああ――――持っていたな」


 アラライが首の後ろを摩った。

 その動作一つで、あの場にいた者には真相が伝わった。

 アラライの目にじわりと怒りが揺らめく。


「カザハヤ。この者たちは全員が布谷の民で、布谷のことを真に案ずる者たちだ。王を裏切ったりなどしていない。事を起こしたのは、我が萼ノ国群がくのくにむれの少将、タカタダだ」

「まさかそんな……国どうしの争いになるようなことを……」

「他に考えられまい。王君は室の外に向かってお倒れだ。警護の者が惨状に気付かなかった以上、ここは人払いされていたのであろ。この状況下で室の中から大君の背を襲える者など、奴だけだ。証左に、随行の者たちもすべて姿を消している」

「……そのような卑劣な沙汰が行われたのでしたら! 私たちは王の名誉のため、奴の頭蓋とうがいを釣り餌にするまで許すことができません。たとえ萼ノ国群に攻め入ってでも!」

「そうだ!!」

「非道を許すな!」

「小国と侮ったことを後悔させてやる!」


 カザハヤの宣言に、伏せていた民がいっせいに立ち上がった。

 クラが警戒しユメを背に隠す。


「我が国の者が本当に申し訳ないことをした。萼ノ国群の皇子として、布谷国にお詫び申し上げる。……人質としての役割をはたせるかはわからぬが、この腕に縄を掛けるか?」

「私に、私たちに斯様なことができるはずがないではありませんか!」

「ああ。それに、貴殿の身柄は仙のものだ。忘れてもらっては困る」


 感情的になったおとなたちを、高く揺らぎのないクラの声が遮る。

 意識外からの横やりに応酬が止まる。その一瞬を見計らって、ユメが躍り出た。


「今は、責任の在処ありかやアラライの取り合いをしている場合ではありません」


 場でただひとりの若い娘の声は、クラ以上に場違いで、なのに誰もが釘づけになった。

 人前に響く声の出し方や、遠くからでも目を引く特別な所作。それこそがユメの果たしてきた生き方だ。


(できれば簀子縁に上がりたいところだけど)


 威厳を持って神秘的に簀子縁の欄干を乗り越えるのは無理がある。欲はかくまい。

 ユメはせめて存在を大きく見せるように、腕を広げて袖を音を立てて払った。


がくの少将がなぜ今、事に及んだのかをよくお考えなさいませ。層塔を崩して目立つように騒ぎ、理不尽な言いがかりでアラライを連行したのはなぜか。これほどこの国で受け容れられている人にそんなことをすれば、アラライを慕う者たちが踏み込んでくるのは余所者のわたくしにだってわかります。ではなぜ?」


 腹から声を響かせる傍ら、ひとりひとりと目を合わせつつ、時間をかけてみなを見回してゆく。すべての者の脳裏に焼き付けるように。


「布谷で内乱を起こすのが狙いか」

「アラライを旗頭にした者たちが侵入する中、布谷王がしいされれば、当然疑いは彼らに、そしてアラライに向けられる。とはいえ落ち着けば誤解は解けるでしょう。それまでの混乱こそが、少将の目的よ。布谷王の家臣たち、アラライを仰ぐ者たちをこの場に集め、留めおきさえすれば、この屋敷を落とすだけでこの国は総崩れになる。彼はその方法を知っているわ!」

「まさか、龍に屋敷を襲わせるというのか」

「龍!?」


 龍接近の噂を耳にしていた者たちが、ぎょっと目を剥く。


「そもそも、おかしいと思わなかった? 八年前に失った愛皇子を今も想ってアラライを恨み続けている少将が、どんな因果で龍が現れたかを忘れ、迂闊にも川の上で蛇を刺し殺すなんてことが、あるはずないのよ。彼は八年前からずっと、龍がこの国に近寄るのを待っていた。この地に龍を呼ぶために」

「それが彼の復讐なのか? 龍と、私と、……この国に対しても、一矢報いようと……?」

「それか、単純に領土拡大を手柄にするためかもしれないわ。ここには萼ノ国群と国境を接する穂高と、その奥にある仙の世継ぎまで揃っているんだもの」

「彼にとっては都合がよすぎる展開だ」

「あなただって、年上の皇子として、彼が新たに擁立している幼い皇子の障害になる立場だわ」


 ユメは身振りでクラを示し、アラライを示し、そして屋敷の奥から連れられてきた美しく重い着物の女と、小さな童に目を止めた。

 聴き入っていた者たちが、ユメのまなざしに誘導される。誰からともなく、同じ希望を口にし始めた。

 場の温度が上がる。

 みなの希望を、カザハヤがひとつの鋭い言葉に替えた。


「布谷にはまだ若君がいる! 大国の好きにさせてなるものか」


 若君は群衆に怯え、母である女は陰鬱な顔で側仕えに手を引かれていたが、それでもその姿は布谷国の心を強固にまとめた。

 その中でクラはひとり、他国の熱狂や感動に乗り切れず、気まずげに口を開く。


「要は、惑わされずに屋敷から離れればいいんだろ」

「ええ。迅速にね」


 そして、ユメも油断のない顔つきのまま、水亭から歩いてきた道を振り返る。

 成り行きを見守っていたアラライは、すんと鼻をすすった。

 いやな記憶が蘇る、濡れた土のにおいがする。

 これは水底のにおい。

 水に棲む者のにおい。

 ――――龍が口を開けたにおい。


「わたくしであれば、自然と龍が現れるのを待ったりしない。みなの目が王に向いた瞬間を狙って、配下に釘を抜かせるほうがずっと確実だもの」


 ぐぐぐぐぐぐぐごごごごおおぉぉぉ。


「おい……嘘だろ」


 空気が持ち上がる。

 世界が軋む。

 川が反転したかのように、濁り水が軒上に弧を描く。

 川底の平たい石が皮葺き屋根を打つ。

 クラが唖然と見上げる前で、誰よりも早くアラライがカザハヤの背を押し走らせた。

 自らも欄干を飛び越える。


「ユメ!」

「アラライ」


 両の袖がユメを包み隠した。

 幸いなるか、庇う相手も庇われる相手もいないクラは、目を見開いたまま、神を迎えることになる。


 屋根を食い千切り、振り回して薙ぎ倒したその巨体は、アラライの頭上で口を穀物蔵よりも大きく開いた。

 日差しが完全に遮られた下で、クラは腕を振り上げた。

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