第38話 決起

 ささやかな衣擦れの音をさせて、アラライが刺しおかれた蛇の隣に膝をついた。


「釘を抜くと龍が来る――きっと、八年前の焼き直しになろう。だが、其方らに訊きたい。川に蛇の血が流れ落ちるにまかせておくのと、どちらが大過なかろうか」


 ユメは眉を曇らせる。


「蛇は祟るわ。穂高では蛇を無碍にはしないの」

「仙もだ。小さな龍とも言われる蛇が、龍の膝元で祟りを起こす……考えたくもないな。どちらも大過だが、襲来が想定できる分、抜いたほうがまだいい」

「やはりそうか」


 アラライの額から垂れる髪が影を作り出し、彼の表情はよく読めない。


「あの……素人考えですが、床板を外して蛇ごと街の外に持ち出せば、龍を誘い出すことができましょうか?」

「カザハヤ、よくない思念は場にも残るの。動かしても害が増えるだけに終わることが多いのよ」

「であれば、やはりこの場に龍を呼ぶしかあるまい。先に屋敷の者たちと近隣の民を逃そう。カザハヤ、采配をとれるか?」

「それは――先に我が王の承認が必要でございます」

「然様にせよ」

「それでは、一旦御前を失礼いたします」


 座したアラライの膝ほどまで深く頭を下げ、カザハヤは水亭を後にした。先ほど布谷ふや王に呼びつけられた際にそんな動作がなかったことを、クラは知っている。


「ぼくはどうかと思うけどな、ああいうの」

「カザハヤのこと?」

「王の最側近をたらし込んで、気分いい? あいつ、あんたのためなら主君を刺すぞ」

「知っている。だから、カザハヤとはあまり顔を合わせぬことにしている」


 クラは鼻を鳴らした。


「やり取りを断たないなら同じことだろ」

「やめて、クラ。アラライはそんな指示を出さないもの、問題ないわ。それより、龍を討つことを考えましょう。龍とここで対峙したら、どのあたりまで被害が出るかしら」


 クラはじとりとした目を向けたまま、黙り込んでいる。


「ねえ、クラ」

「ぼくにだってわからないよ。ただ、まあ……ここで暴れられたら、この屋敷はひとたまりもないのは、確かだ」

「顕現した龍を誘導できぬものかな。海か――川上に辿るのでもよい。ここからであれば、街はずれまでそれほどない」

「ぼくには無理だ。できるのなら国を離れず、龍を他所に追いやってるさ。それとも、貴殿なら龍と交渉ができるのか?」

「どうであろ。話が通じる相手だとよいな」

「本気で会話する気かよ」


 ふわりと理想を撫でるようなアラライの言葉をピリリとクラが締める。棘あるクラの物言いをアラライはそつなく逸らしているし、急拵えにしてはいい感じの関係ではないかしら。ふふと笑うアラライと呆れ顔のクラを見て、ユメはにんまりした。

 空気が緩む。

 そんな束の間の穏やかさを、屋敷中を揺らすような怒号が引き裂いた。


「これはどういうことだ!!」


 逸早くアラライが腰を上げた。

 彼の印象からはかけ離れているが、これはカザハヤの声だ。

 足早に水亭を出たアラライに、ユメとクラ も続いた。


「総員動くな! 武器を置け」

「そんな話が聞けるか! 王を出せ。黄金日子様は返してもらう!」

「黄金日子様はご無事であらせられる。の方のお立場を悪くしたくなければ、今は引け」

「俺たちは王の所業に愛想が尽きた。この国のことを真に案じていらっしゃるのは黄金日子様だけだ!」


 一瞬、アラライが耳を塞ぐような動作をした。すぐに振り払うように顔を上げる。


「私は此処だ!」

「黄金日子様……!」

「みな、武器を置き、伏せよ。立っている者、口を開く者はすべて私の敵と見做すぞ」


 顔を見せるや否や命じるアラライを前に、人々が引き潮のようにさあさあと低頭した。屋敷の兵も、カザハヤも、余さず額を地につけている。

 静まり返った一同を前に、アラライは厳しい声で続けた。


「カザハヤ、布谷王は突然のことに驚いておいでか? この事態だ。お出まし願いたい」

「ご様子を確認してまいります」


 事は王の寝屋の目の先で起きている。気づいていないとは思い難い。

 カザハヤが速やかに室の中へと声をかけ、身を滑り込ませた。

 そのとき、ユメには、カザハヤが驚愕のあまり息を強く啜る音が聴こえた。


「トヤヒコ様!!」

 

 ただ事ではない悲鳴が耳をつんざく。

 アラライが簀子縁すのこえんに乗り上げ、格子を乱暴に開け放つ。


 布谷王はうつ伏せで血を流し、事切れていた。

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