第37話 福多きひと
ぞっとするような目に遭ったとき、感情はどこに匿われるのだろうか。
淡々と語り続けるアラライの眼は揺れることなく、空虚だ。
「身体中を鱗に覆われた大男だ。だが、顔の面影は色濃かった。
「陰陽寮って、暦や
「大陸の天文局のようなものだと聞く。……結論は? 昔語りも結構だが、いい加減終盤にしてくれ」
クラの強い目が、アラライの視線を引き寄せた。軽く頷いてから、口を開く。
「結論は、私が此処にいることでわかろう? 『人で無し。皇の血を繋ぐ者にもあらず。その身を異物へと変じた怪異め。弟皇子が遺した金と翠の呪具を以って封じねば、世の果てまでが洪水で汚濁に見舞われ、地が裂け、あらゆる
「もういいわ」
ユメはアラライの手に触れた。
過去に没入するアラライを驚かせないようにとそっと触れたけれど、アラライの手はユメの手の下でびくりと跳ねる。
「すまない。今考えると、龍の害そのものだな。……斯様なわけで、私は封じられているのが一目でわかるよう飾りを頭部に括ることと相成った」
語りながら、アラライは自らの手で
クラは、金色の頭部に返り咲いた御饌の飾りを眺めて何度も口を開きかけ、振り切るように頭を振った。
「皮肉だな。確かに貴殿がそれを手放していたら、龍の災厄を止める手立てはなかった」
「では、止められるのだな。陰陽
「仙ノ国と穂高ノ国は古来、龍と共に在った。御饌があるのに龍を鎮められないようでは、一の仙を名乗る資格はない!」
「大したものだな。頼もしい」
クラの若さからくる青い宣言に、アラライは素直に羨望のまなざしを向ける。クラはいやそうに顔を背けた。
「貴殿はその身になってから不幸続きのような顔をしているが、ぼくらから見たらそれでも大国の皇子だ。ぼくは御饌印を持ってこれほど『
「……『戴福』とは? 役立つものだとよいのだが」
「『戴福』とは戴き心であり、今までに捧げられた情の欠片をいう。貴殿の前に米や酒を積む崇敬、首を垂れる畏敬、頭を掻き撫でる父母の慈愛、心寄せなど、他者から
「みなからの好意か。それならば、
おおらかに肯定しながら、アラライは瞳を煌めかせて笑う。無垢な笑顔に含みはなく、彼の過去に置き去りにされた少年心を感じさせるようだ。
クラはクラで、目をすがめてアラライの全身を眺めまわしながら、器用にもその笑顔には一瞥もくれない。
「これを龍の一柱と引き換えになんてするものか。ユメ、この男の命はぼくが助ける。贄なんかにせず、『戴福』だけを捧げて、すべての龍の頭を押さえつけてやる」
好戦的な物言いに、ユメは眉尻を下げ、ぽつりと訊いた。
「できるの? クラ」
「ユメにも手伝ってもらうぞ」
「もちろんよ。でも……」
ユメとクラの目はしっかり交わっているのに、ユメの不安はクラには伝わらない。
「寿山福海――長寿と幸福が、山海のように高く広くありますように。優しい願いだわ。それは龍に捧げてしまっても、アラライの中にちゃんと残る?」
「命よりは安い」
ユメは唾を呑んだ。
アラライが静かに目を閉じる隣で、カザハヤが床板を鳴らした。
「黄金日子様が龍神様によきものを譲り渡すのでしたら、黄金日子様には私たち布谷の民が何度でもお捧げいたします」
「自国の王でもないのに、忠義なものだな」
口の隅でクラが笑う。
遮るように、アラライが手と膝を支えに立ち上がった。
ユメが見上げる前で、カザハヤの肩をかろやかに叩く。
「カザハヤ。其方らの真心にはいつも支えられ通しだ」
「勿体無いお言葉でございます」
言葉の端に喜色が滲み出ている。
堅く表情を変えることのない
「先ほど下男がそこの蛇に噛まれていた。タカタダ殿が私の血の治癒力を試していたが、そんな神通力はもう無い。適切な手当てがされたか、気にかけてやりなさい」
「すぐに人を遣ります」
「頼んだ。それから、この蛇は弔ってやらねば」
「刺された蛇から、釘を抜かなきゃいけないわね……」
「おい。それ、嫌な予感しかしないんだけど」
ユメもクラも、ここへきてアラライが過去の話を始めた意味に気づいた。
こおこおと川が鳴いている。
※福=徳利に満たした酒と祭壇から成り立つ
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