第36話 神隠し

「アラライはこの国で八年前に、弱って小さくなった龍によって神隠しに遭った――――そのときね?」

しかり」


 ユメの推察に、アラライは目を伏せながら笑んだ。


「これは私の遭った神隠しに関わる品だ。ユメには謝らねばならぬやもしれぬ。少し長くなるが、龍に関わりのある話ゆえ、つまびらかにしよう」


 顔を上げた彼の目は、夜の森のように深く暗い。その目が抜け目なく、水亭の床板の隅に磔にされた蛇から釘を引き抜こうとしていたカザハヤに向いた。


「カザハヤ、其方もこちらで座して聞くがよい」

「私でございますか?」

「仙と穂高にだけ話して、布谷ふやに伝えぬわけにはゆくまい。立ち会ってくれ」

「では、末席を汚させていただきます」


 カザハヤはすぐさま指示に従った。けれどユメは、その場に残された蛇に視線を残す。


(蛇が出たのだとしても、釘で打ち付けて殺すなんておかしいわ。なんとなく、あの少将の仕業のような気がする)


 ユメは唇を噛んだが、アラライの声に意識を戻した。


「このカザハヤは布谷王の側近だ。布谷の民は、王への献言も、王には言い難い相談事もすべてカザハヤを通す。信頼の置ける男だ」

「この者は布谷王を訪ねたわたくしに、アラライを頼るように言ってくれたわ。ありがとう、カザハヤ」

「勿体ないお言葉でございます」


 慇懃な家人の態度に、クラは面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 取り合うことなく、アラライが声低く話し始めた。


「八年前の夏の終わりだ。当時八つであった私は、布谷王の即位に祝意を述べるため、この地に訪れていた。一つ下の異母弟と共にだ。先程布谷の王と懇意にしていた者があろう。あの崇縄タカタダ殿は、その後見人として同道していた」

皇子みこを二人も外遊に?」

「我が国では皇子は主に外交を担う。二人揃っての往訪となったのは、いずれの後見も皇子に実績を望んだからであろう」

「一方に先んじられては決まりが悪いか」

「左様」


 クラの合いの手と共に、昔話は進む。


「その帰り、休憩のため輿こしを降ろされたのは、我が国との国境を目前にした、さいの川の支流であった。後見らの思惑はどうあれ、旅の道中ですっかり親しくなった異母弟と私は、国では出来ぬことをしてみたくなった。旅が終わればまた、めいめいの屋敷に仕舞い込まれ、会うことは叶わぬのだ。この機に兄弟らしいことをしてみよう、と」


 アラライの目がほんの少し上向く。

 きっとアラライは、の子らしく悪戯好きなところのある子どもだったのだろう。ユメの脳裏に、弟の手を引いて目を輝かせる小さなアラライが浮かんだ。


「私たちは浅く流れの緩やかな川に入って涼みながら、どちらがより大きな魚を見つけられるか競争して歩いた。りがすぐ後ろに着いているゆえ、足を滑らせても問題なかろう。そう、川縁からみなにほほえましく見守られていた」


 無邪気で仲のよい二人の皇子。誰にとっても希望の象徴のような光景だったろう。


「――が、思えばあれが私の幼き日の終わりであった」


 アラライの声は書を読み上げるように淀みない。けれど、ほのかなほほえみは立ち消えた。


「川底に煌めくものがあった。異母弟も同じく覗き込んでいて、私たちは頭をぶつけ合いそうになりながらも、共に川底からそれを拾い上げた。煌めいていたのは、この御饌みけの首飾りと、首飾りの金具が刺さって身動きできずにいる真珠のごとき色の鱗の水蛇――少年の腕に収まるほどに縮んだ、龍だ。私たちは、その珍かな宝に夢中になった」


 アラライは腕で蛇の大きさを示して見せるが、視線は誰にも向かない。頬がとても青い。


「抱え上げたのは私であったが、異母弟が羨ましがった。私は、腕の中の龍が弱って力なく、血を流していたゆえに答えに窮した。異母弟は残念そうにしたが、皇子とは思えぬほど物分かりがよく、前向きな性分であった。よく回る頭で、『では私はこちらを貰うぞ』と刺さっていた飾りを引き抜いたのだ」


 語りが止まった。

 アラライは腕の中に未だ龍がいるかのように、空虚な腕の中を睨みつけた。


「それが間違いであった。ユメの話を聞いた今ならわかるぞ。龍を討ち殺そうとした姉君の信念を、私たちの愚かしさが打ち砕いてしまった」

「どう、なったの?」


 重い空気に、ユメが細く問い掛ける。


「どうやってか、龍を仕留めかけていた首飾りを抜いたんだ。反撃にあったんだろ」


 クラの推察に、アラライは目を向けた。まぶしいものを見たように、ほんのりと口の端を上げる。

 一際強く風が吹いた。床下からは水の音が絶え間なく続いている。


「うん。私には龍が大きく膨れ上がったように見えた。私の最後の記憶だ。実際には突如怒涛が逆巻き、土石流が私たちを覆い尽くしたらしい。異母弟は首飾りと共に、川底の土砂の下から見つかった」

「あなたは?」

「私は見つからず、七日七夜命がけで川底が浚われた。そして、冴え冴えとした満月の夜、掘り起こしたばかりの泥土の上で、汚れひとつなく立ち尽くしているのを発見された」


 ユメは胸を破りそうな強い動悸に、胸を押さえつけた。

 無事でよかった、と言うことができない。


「だが、私が真に皇子であるかについては、揉めた」

「まさか! 顔を知らなかったわけじゃないんでしょう?」

「知っていればこそ。探していたのは背丈が四尺120cmほどのの子だ。現れたのは、現在の私そのものの――六尺180cmをゆうに超えるおとなの男であった。どれほど見慣れた顔であっても、齢八つの皇子とは思わぬであろ」


 アラライが眉尻を下げて、これは仕方がないことなんだというように笑った。

 たった七夜でおとなになってしまった彼らしい、忖度された笑顔はぐしゃぐしゃに見えた。




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