第33話 利用価値のあるもの

「恥ずかしながら、龍のことをご存じであるなら――」


 クラは茜草で鮮やかに染められた括り緒の袴を強く握った。


「仙ノ国はわずかな期間であろうが、萼ノ国群がくのくにむれの支援が、喉から手が出るほど欲しいのだとご理解いただけないだろうか」


 舐められようと、見下されようと、クラには国へ持ち帰らなければならないものがある。それはクラの矜持よりもはるかに大きい。

 だが、支援がなければ立ち行かないのだと他国の王の前で認めるのは、クラには耐えがたいほどの屈辱だった。それが真実であればこそ。

 自然、王を見る目つきが不穏になってゆく。


「ほうほう。だが、助力を求めるには遠すぎはしないかね? 萼ノ国群は我が国にとっては隣国だが、其方の国からは巨大な穂高ノ国を挟んだ向こう側じゃないか。なに、仙ノ国は我が国にとっては近しい相手だ。この布谷からも少し支援を進ぜよう」

「はあ。ありがたきお申し出……」

「だがな。近頃、我が国の周りにも龍の兆しがあるそうではないか。聞くところによると、仙ノ国の貴きお方は、名にしうとおりに、未だに仙術を使いこなすとか。もし仮に――仮に其方が黄金日子くがねひこを引き取ったのち、仙ノ国から龍を退け、代わりに黄金日子を失った我が国に龍の痛手が来るようなことがあるとすれば、私は仙ノ国の誠意を疑ってしまおうぞ」


 ばれている。

 なぜ今クラが取引を持ち掛けに来たのか、たった一晩で解き明かされてしまった。

 クラは視線も定まらず、「まさか……」と小さく呟いた。


「ええ。まさか! よもや、そんなことはありますまい。ですが、クラ殿。そのときには、我が国から攻め入られても、やむ無しと思っていただけますでしょうな」

「それは――――」


 横暴だ。と言おうとして、とても口に出すことができない。

 黄金日子だけがいても龍を捻ることはできないが、黄金日子がいればクラには龍と対峙する目がある。黄金日子を一目見たときから、クラにはそれがわかってしまったのだから。

 それが、軽々しく善意で手を貸せるほど、容易くはないことも。きっとまた、痛みで眠れぬ夜を迎える。


「なに。我らも枕を高くして眠りたいだけのこと。龍が追い払われた後であれば、黄金日子のことなどどう引っ立てていただいても構わぬ。そうだ。仙ノ国の不作は酷いそうではないか。昆布と干し魚と、粟か稗をお持たせしよう。どうだ? ん? 悪い話ではなかろう?」

「この蟾蜍ヒキガエルが……!」

「くっ」


 間髪なく吐いたクラの悪態に、少将が噴き出した。

 そのせいで王は反撃する手を上げるか下ろすか決められず、代わりに少将に迷惑そうな目を向ける。


「いや、失礼。クラ殿、老婆心ながら、受け取れるものは多少不愉快でも貰っておくことをお奨めしますよ。要らぬものを要らぬと言っても断れる道理はないゆえ」

「癪だが、もっともだ」

「うん? やってくれるか。そうかそうか」


 クラがしぶしぶ少将に同意すると、王は風向きを読んで喜びの声を上げる。

 憎らしいが、都合の良いところにだけ反応するのも統治者の資質と言えるのかもしれない。


「だが、船には風が欠かせぬように、黄金日子なくば私は龍の前で立ち尽くすしかない。先に黄金日子をお引渡しいただこう」


 王はついと上座に目を向けた。

 少将の目が玻璃のように感情なくクラを眺める。


彼奴あやつに何ができるのです?」

「少将殿は、ご存じだろう。彼にはかつて神の膝元から持ち帰った力があった」

「ええ。今はむしった鱗にも血にも、在りし日のご威光は残っていないようですが」

「毟ったのか」

「いかにも」

「狂人だな」

「そうですか? 使える物は役立てなくては。他人事のように仰りますが、あなたもそのおつもりでしょう?」

「――そうだ。たとえ残り香だろうが、私であれば使える」


 話は済んだ。負けたが。

 クラが立ち上がる傍ら、少将と王は目配せをした。


「カザハヤを此処に!」

「は」


 声と同時に男が現れる。聞いていたとしか思えない。

 王も目玉を剥き出しにして、落ち着かないようにぎしぎしと膝をゆすった。


「其方、聞いておったな。まあいい。仙の王子を黄金日子の元へお連れせよ。其方はそのまま黄金日子に付き従い、勝手せぬよう見張っておれ」

「畏まりました」


 暗い目元の男は、声低く請け負った。

 布谷王の家人けにんカザハヤは、迷うことなくユメを隠した物陰に向かった。

 クラは焦るが、ユメは爛々とした目でカザハヤに命じた。


「案内しなさい」


 聞くまでもなく、ユメは静かに強く怒っている。その歩調はカザハヤとぴたりと会っていた。

 二人、此処で聞いていたのだろうか。何かやり取りがあったのだろうか。

 クラは、置いていかれぬよう小走りでユメの横に立ち、ちらと顔を見た。


 赤く感情的な頬の上で、油断なく辺りを見回す黒目が、ユメの思考に合わせて開いたり細めたりを繰り返す。

 それが何を思う顔だとしても、ユメは怒り顔のほうが生き生きしているな、とクラは思った。

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