第32話 取引の雲行き

(ぼくが手を引かないと逃げ出すことすら選べなかったおひめさまに、なんだってこんな行動力があるんだよ!)


 走る足こそ姫君らしくのそのそと遅いユメだが、獲物を見つけた翡翠カワセミのように一直線に魚売りを捕獲した。

 目の前で見ていてもどう脅したのかわからぬうちに契約は成立して、あれよとユメは塀に押し上げられた。急いでクラも隣によじ登ったが、成り行きだ。

 クラは地面までの高さに飲み込む唾で喉を鳴らした。なのにユメの目は、高さを利用し屋敷の造りを把握しようと戦略的に動き回っている。

 そして好機と見るや、屋敷の塀から飛び降りる。そのしなやかな背は、少しのためらいも持たなかった。

 

(なんだそのクソ度胸……! 門に突っ込むのとはわけが違うんだぞ)


 ちらと窺うが、家人けにんは魚売りに気を取られてこちらに気づいていない。

 仕方ない、とクラもユメに続いた。


 ユメは振り返りもせず庭を直進している。

 女衣おんなごろもが新芽を抱いた枝を揺らすのが、桃や朱華はねずが咲いたようで大層目立つ。

 とはいえ、クラの茜色の盤領あげくび|(丸襟)の衣も人目を引くことこの上ない。


「ちょっと待てって。警戒して進まないと見つかるぞ」

「追い出されてもまた忍び込むもの」

「だからって……効率ってものがあるだろ。警戒されたら状況は悪くなる」

「そうお思いならついてこないで」


 つんと顔をそむけたユメに、クラは茫洋とした。


(ついて行かないでなにかあったら、どうするんだよ。そもそも、そんなに怒ることか? ぼくは初めから、手段を問わずあの男を連れ帰ると言ってあっただろ)


 面白くない。自分の知らない男が、ユメの特別になっていることが。

 クラは遠巻きに目にした男の様子を思い出す。見目よい男だ。あの外見と身分が醸す無二の空気感は他では味わえないものかもしれない。

 だから気にかけるのか?

 ユメはあの男が好きなのか?


(だとしたら、ぼくはどうしたらいいんだろう。御贄の場から連れ出したのは、あいつじゃなくてぼくなのにな)


 浮かんだ考えに蓋をして、クラはユメを追いかけた。


「当てなく歩いてどうする。そっちは王の寝屋だ」

「好都合だわ。王たちが連れて行ったのだから、アラライもそばにいるはずよね」


 そのまま堂々と乗り込む勢いのユメの袖を、クラは力いっぱい引いた。


「王とはぼくが話す。勝手に動いてぼくの当てを潰すようなことをするな」

「当てがあるの?」

「なんとかすると言っただろ。ユメの思惑とは違っても、足は引っ張るなよ。このまま王に身柄を任せるよりはいいはずだ」


 ユメは少し考えてから頷いた。

 クラは人目を避けつつ王の居室のそばに寄ると、ユメを死角に隠した。


「布谷国王、トヤヒコ殿。仙の王の一の子が約束のものを受け取りに参った」

「クラ殿か。入られよ。見事な采配であった」

「年若い御身が恐ろしいほどに才走っておられますな。ささ、こちらに」


 やけに持ち上げられながら室に通されるが、当然というべきか、黄金日子はいない。


(ぼくならあんな男は目に入らぬよう蔵に押し込める。先刻の遣り取りを見るに、王も同じだろう)


 代わりに、萼ノ国群がくのくにむれの少将、タカタダは上座で寛いでいる。こちらも、想定通りだ。


 黄金日子の噂は以前から聞き知っていた。

 曰く、皇位を競い合うはずの皇子を見殺しにし、追放された春宮。

 神隠しにい、目を疑うような異彩と、十歳以上も成長した見目で戻って来た異物。

 すり潰せば不老長寿の薬になるのだと、黄金日子の身から引き剥がした鱗だという『何か』を売りつけにきた者もいる。

 きな臭さには事欠かない男。


 それでも替えの利かない身だ。新たなる男皇子 みこが生まれ育つまでのあいだ、彼ごと高貴な血筋を守る国には萼ノ国群から金銭が流れていたようだが、それもじき終わる。

 今はもう、萼の皇が、なんとしてでもと彼の身を惜しむから、生かされているだけの身の上だ。その皇も大臣らに権力を奪われ、愛息子を呼び戻すような力はないという。

 だがまだ排除の許可は出ず、そして、この捨てられた皇子は人心を掴むのが上手い。

下手を打てば民が黙っていないことは、王もひしひしと感じるところだ。


 そしてクラにとっては都合のよいことに、布谷国にはちょうど、萼ノ国群唯一の皇太子候補の叔父が来ている。

 この男も、黄金日子を手にかけるわけにはいかないものの、甥の先行きを明るくするため、出来るだけ速やかに欲しがっているのだと、クラには手に取るようにわかった。


 それゆえ、持ち掛けたのだ。

 黄金日子に謀反の疑いをかけ、名声を落とし、布谷国での庇護を不可能にする。その上で、身柄は仙ノ国が預かる。

 どの国にとっても悪くはないはずだ。

 だが、話のついた今になって、王と少将は意地の悪そうな目配せをした。


「では、約定のとおり、黄金日子は仙ノ国に引き取っていただこう。だが、我らは奇妙な話を耳にしていてな――クラ殿」

「如何なる申事もうしごとか」

「其方の国では今、龍に大層手を焼いているとか。そんな最中に、一の王子みずから我が国に遊山にいらして、わざわざ厄災の種に首を突っ込むとは、なにごとであろうなぁ」


 王に話をさせておきながら、上座の少将がかさりと笑う気配をこぼした。木笏の影から目をすがめて、クラの顔色が変わるのを待っている。

 クラは努めて表情を保ちながら、乾く口腔を湿らせた。

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