第31話 手引き

 黄金日子くがねひこ様が市中を引き摺り回され、王の手で牢にめられた。

 その風聞は一息に街中を覆った。


 報告を受けた風早カザハヤは、手の者を牢に遣わし、即座に王のもとへと向かった。

 しかし、黄金日子の処遇について問いただした途端、人払いをしろと命じられ、逆に追い返される。


(あの客人まろうとはどこか信用ならぬと思っていた。トヤヒコ様に一体何を吹き込んだ)


 萼ノ国群がくのくにむれの大臣の息子だという少将は、このところ幾度も王を来訪していた。

 下女が騒ぎ立てるような容色優れた男だが、カザハヤはこの男を蛇のようなかおだと思う。好きになれぬ。


 だが、カザハヤの主たる布谷ふや王、鳥屋彦トヤヒコ蟾蜍ヒキガエルのようなかおの持ち主だ。

 並んで座すとおかしげがあり、さも同類だと合点がいった。


 それに、あの少年のことも気にかかる。

 昨晩、カザハヤが取り次いでもいないのに、庇から話を許された異国の少年がいた。

 王と少将によってしとみの内側まで招き上げられた少年との会話を聞くことは、カザハヤには許されなかった。


 その上、今この国には周辺一の広大な領地を有する穂高の姫も訪れている。カザハヤの言に従ってくれていれば、黄金日子のもとで保護されているはずだ。

 こうも役者が揃っては、何も起こらないわけがあるまい。


(どうか転がり落ちずにいてくれよ、トヤヒコ様)


 布谷国の行く先は、贔屓目に見てもやや器量の劣る乳兄弟の双肩にかかっている。

 肩を落とすカザハヤに、簀の子縁の下から声が掛けられた。


「カザハヤ様、あの魚売りがまたいらしてますが……」

「なに? ……いや、ちょうどよい。直ぐに参ると伝え、人払いをせよ」

「はっ」


 あの魚売りはどの家に仕えるでもないが、表立って話すことのできないカザハヤと黄金日子の間に立ち、みずから伝令を引き受けてくれている男だ。金のにおいに敏感だとも、機微に聡いとも言える。

 黄金日子の危機と見て馳せたか、情報があるのか。

 何にせよ、黄金日子の屋敷に言づてを差し向けなければならないところだ。

 あの屋敷の者は耳聡い。大姫もちい姫も、心配は生半なまなかではないだろう。


「もし。此度は如何いかな魚を獲って参った?」


 木戸を内側から叩いていつもの問いを投げると、ややあってから答えが返った。


「大型の上物を二匹ばかり」

「…………聞かん。帰れ」


 間者を二人も引き連れた情報屋に用はない。

 この男との取り引きも潮時か、と思ったところで、外からどすどすと木戸を殴り揺さぶられた。


「たのむから! 早いとこ開けたほうがあんた様のためにもなる。この二人、気が短い上に常識外れだ」

「ならば尚の事入れられぬ」

「あんた様――顔を見てしかと話をしたいのはやつこも同ずるところだ。黄金くがね様はご無事か? いかにお救いする」

「私が王をなだめ皇子みこをお返しする。お屋敷の命婦みょうぶ殿にも、案ずるなと伝えよ」

やつこはながいことあんた様たちの遣り取りを一等近くで見てきたが、カザハヤ殿。あんた様の献言を王は聞き入れないんじゃないかね」


 これまでこの魚売りは、余計な私見を述べることなく使いに立ってきた。そんな男のこらえた声での諫言に、カザハヤは反論の声を失う。


「…………正しいご判断を下されることもある」


 かろうじて捻り出した言葉が、川底の金をさらうような希望であることを、誰よりもカザハヤにはわかっていた。

 魚売りはそれに是も非も言わず、層塔の前で起きた一部始終を語り出した。

 屋敷の下人よりもよほど正確で臨場感のある語りに戸越しに耳を傾けていたが、ふと意識が逸れた。魚売りが要所要所で戸を叩き、塔が崩れたり黄金日子が打たれるのを表現するたびに、木々の葉が不自然に擦れるような気配がする。

 慌てて辺りを見回すカザハヤの背後で、魚売りが話を締めた。


「――――ってわけで、用はしまい。二人組はもう中だ。いつも通り人払いをしてくれてるんだろ、ありがとさん」

(しまった! 私の注意を引くのが目的だったか。どこから入った……!?)


 この一角は庭木が鬱蒼としていて見渡しにくい。密会に適した場所が逆手に取られるとは。

 カザハヤが慎重に人の気配を探っていると、戸の向こうからまだ声がする。


「気をつけろよ。あの姫さんを皇子みこはいたくお気に入りだ。龍の尾を踏むような真似はするな。……次に会うときも味方どうしなことを祈ってるぜ」


 聞き慣れた声。しかしその口調は不遜で、いつもの魚売りのものとは全く違っている。

 足音から、彼が立ち去ってゆくのがわかった。カザハヤは胸騒ぎから、木戸を薄く開けた。すると、木戸押されて籠がころりと転がる。

 魚の詰まった籠だ。


 顔を上げると、魚売りが丁字路で立ち止まり、こちらを見ていた。

 魚籠を下ろした代わりに外衣を羽織っている。そして首の後ろで雑に束ねていた髪を、これ見よがしに頭頂部で一纏めにし、幞頭ぼくとうを被った。


 その姿は魚売りどころか、この国の民にも見えない。


「大陸の……」


 海向こうの大陸から渡ってくる民に、このような格好の者がいたはずだ。

 魚売りはにっと口の端を持ち上げ、路地に消えていった。







幞頭ぼくとう・・・お団子に籠を被せ頭巾で結んだもの。漆で成型等されている場合もある。

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