第29話 捕縛
何も答えないアラライが、無言のまま一歩ずつ足を進める。
赤ら顔の
アラライの足が作業員の男たちの頭よりも前に進んだところで歩みは止まる。
アラライの喉から出るのは、聞き慣れたやさしい声だった。
「そなたらは下がっていよ」
「
「そなたらのせいではない。怪我をした者を労ってやりなさい」
伏せた男たちはその声にそろそろと顔を上げた。そしていつもと何ら変わらない、春の陽射しのような笑みが向けられるのを見て、体をこわばらせた。
硬い顔をしたまま遠のいてゆく彼らの反応から、ユメはこの事態が初めから仕組まれていたことを悟った。
布谷王が突然言いがかりをつけてきたのではない。棟梁がいなくなったときにはもう、層塔を壊すことが決まっていたのだ。
彼らはアラライを嵌めるために、あえてアラライに助けを求めに来たのだと。
当然、アラライも気づいただろう。
けれど彼は顔色ひとつ変えずに、王と対峙した。
人より頭ひとつ飛び抜けて背の高いアラライが、ずんぐりとした王を見下ろしている。
「
「わ、私は事を重く見ている。国の威信をかけて建設している層塔への狼藉を我が治世への叛逆と見做し、く、く、黄金日子様を拘束させていただく!」
「……随意に」
興奮のあまり
鬱積を隠し切らない声は威厳すら帯びているようだ。
あまりの
日頃、高貴ながらも気安さを全面に出している彼が何者なのかを、ひと言で突きつけられたかのようだ。
気圧されて動けずにいる王を後目に、アラライは背に隠していたユメに向き合った。
「すまぬな。私はここまでのようだ」
「アラライ……。どうするの?」
ユメの問いを噛み締めるようにしながら、アラライは苦い顔で首を横に振った。
ユメは目を見張った。
「こんな言いがかりにいいようにされて、抗わないのが、あなたの信念?」
「それは…………」
翠の瞳が迷うように揺れる。自分の意志をはっきりと持つアラライらしくもなく、考えを述べることもしない。
その様子に、ユメは気づいた。
逆なのだ。
自らの身を守ることが彼の信念に含まれないから、不服に感じてさえ彼は戦わない。
「もっと、自分をたいせつにして」
「――そなたもだ」
頷くことなく、アラライは身をかがめユメに頬を寄せた。彼の目元はわずかに甘く、傍目には睦言をささやいているように見えるだろう。
しかし声は険しい。
「事が起きれば、この街は混乱に呑まれるだろう。そうなる前に、そなたはここを出よ」
「できないわ。龍への策が見つからないと、わたくし、国に帰れない。それに、あなたと……まだなにも試せていないもの。あなたとなら、きっと方策が見つかると――――」
「帰らずともよいのだ、ユメ」
焦る言葉を遮り、アラライは懐から出した黒い漆塗りの品をユメの手に滑らせる。
「これを見せれば、東の果てまでゆける。そなたを大事にしない国に、身を捧げてくれるな」
ユメは思わず握らされた物を見た。
つやりとした漆に金の蒔絵で装飾された鞘が儀礼的な印象の短剣だ。
昨夜見た硯箱と同じ菊花の図案の装飾に、それが彼の身分を示す柄なのだと悟る。
「思う
アラライの目が
そしてユメの
自ら
そのこわごわとした様子に、アラライは「おとなしく歩くゆえ」と諭しながら、やんわりと手を
一触即発の空気ながら、アラライが従うことで場が収まるかと思われた。
「アラライ!」
ユメの悲鳴にアラライが振り返るが、遅きに失する。
「捨て
重い銅剣が力まかせに振り下ろされた。
アラライのうなじを正確に打ちつける。
めいっぱい目を見開いたユメの前で、アラライが膝からがくりと崩れ落ちてゆく。両脇から兵が肩を掴み上げた。
タカタダは追い打つように、力を失ったアラライの背を殴りつける。二度、三度、もう一度。
「――――っ! 大君。あなたとの立場の差を分からしめるよう、
「あ、ああ…………」
「やめて! やめなさい!」
ユメは咄嗟に男の背に飛びかかろうとした。
しかし、反対に手首が強く引っぱられた。
「はなして!」
「行くな、ユメ」
「クラ……!?」
いつからこの場にいたのか。低い背に赤い衣のクラが、痛いほどの強さでユメの手首を掴み、締め上げる。
「離して。アラライが……!」
「無駄だ。抵抗しても捕まる人間が増えるだけだとわかるだろ」
「そんなの……!」
わからないはずがない。
それでも理不尽な暴力から彼を庇いたいと思うのの、なにがいけないのか。
誰一人ユメの悲鳴に取り合わないまま、掴み上げられたアラライが連行されてゆく。
ぐったりと顔を伏せた彼の、かろうじて残る意識の証左のように、震える手が口元を覆った。
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