第28話 事故と責任
翌朝、アラライとユメは連れ立って物見台へと向かった。
手を繋ぎ歩く姿に、水汲みをしている老婆がトヤヒコ様とヤヒメ様の若いころのようだとしわくちゃの笑顔で言った。
老婆の家へ水桶を運びながら聞くと、
「申し訳ないが、今日は渡し船にはちと荒れすぎてるもんで」
「波を飼い慣らすことはできぬ。気に病むな」
頭を下げる渡し船の舵取りに、アラライが穏やかにほほえむ。
彼のおっとりとした仕草は周囲にまで落ち着きを与えるようだ。川縁から怒声混じりに荷を動かす親分株が指示出しの手を止め、ふっと汗をぬぐった。
アラライがユメの手を取り直す。
「他を当たろう。昨夜様子伺いに行った
「ええ。……布谷王に龍のことを伝えるのは難しいかしら」
「王か……」
道ゆく者の挨拶に笑顔で応えていたアラライの顔が曇る。
「近づいている可能性だけでもお伝えしたら、手を打ってくださらないかしら」
「そう……そうだな」
心ここに在らずといった様子のアラライは、少し言葉を止めてから、それでも自分に言い聞かせるように頷いた。
「杞憂で終わればそれでもよい。それに、川の件も伝えておきたいところだ。層塔から龍の
「アラライがそう言ってくださるなら安心だわ。アラライなら王と直に言葉を交わせるのよね」
「出来る。だが、好まれまい」
ぽつりと呟くアラライに、ユメは意外な気持ちになった。
彼は、顔を合わせて好感を得ながら方向性を擦り合わせ、協調することを選ぶ人だと思うのだが……あまり関係がよくないのだろうか。アラライはこの国に対して恩義を感じていると言っていたのに。
「自国のことで、私から口を挟まれるのはおもしろくなかろ。布谷王の下に信の置ける者がいる。その者に進言を頼むとしよう」
ユメには、多少王に嫌がられてでも、身分あるアラライの言葉の方が効果的に届くように思われたが、アラライに方法を見直す気はなさそうだ。
アラライはユメよりもずっと布谷王に詳しい。アラライが言うならそのほうが適しているのかもしれないけれど、やはりアラライが布谷王を避けているような気がする。
これだけ誰とでもこころよく接するアラライが、布谷王に対してはそうあらないとは思わなかった。
(布谷王が行き場を失ったアラライを庇護して、鷹揚に見守っているのかと思っていたのだけど、ちがうのかしら)
首を捻ってみても、ユメにはわからない。
かといって、邪魔立てされることもなくこの地に馴染んで暮らしているアラライを見ると、望まれない賓客というわけでもなさそうだ。
大通りを外れ、街の奥へと進んでゆくと、建設中の層塔の上側が姿を見せた。
見上げたアラライが怪訝そうに眉を顰める。
「
その言葉に再度眺めると、まっすぐに天を突く柱を取り囲む屋根の小屋組の一部がばらばらな方向に崩れ、高い位置の側柱が完全に落ちているのがわかった。
塔に近づくにつれて、人々のざわめきが大きくなってくる。
同時に、アラライに助けを求めるような目も。「
「なにがあった」
遠巻きに層塔を見守る作業員にアラライが手早く声をかけると、近くの男たちが「ひっ…………!」と肩をびくつかせる。
「黄金日子様……」
「あっ、その……」
様子がおかしい。
言葉にできずに押し付け合うような仕草の男たちに、アラライは首を横に振った。
「驚かせたな。すまない」
より年配の、立場ある作業員を探しに進むアラライの目の中に、惨状が広がる。
昨夜呼ばれて来たときには、ようやく三重もの小屋組が完成したところであった。それゆえ工事を進める手を止めさせ、視察の際に見栄えがよいよう邪魔な足場を避けたり、木屑や石を片付けたりと今日に備えたはずだ。
それが、昨夜掃き清めた土の上には、これから屋根材を乗せるため、緻密に組んで互いを支え合っていたはずの木材が無惨にも散らばっている。
日々組み上げるために力を合わせていた作業員の気持ちを思うと、不憫だ。
下半身が下敷きになった者を引きずり出すため、何人もの男が声を合わせて木材を持ち上げようとしている。
そんな中、昨日
多くのお付きを連れた、一際腹の突き出た男がアラライに気づくと、大袈裟に目を見開いた。
隣に
「これは黄金日子様! お屋敷に伝令を走らせたのですが、お早いお着きですな」
「
「お久しゅうございます、一の
三十手前だろうか。男盛りといった様相の色男が、アラライのことをじろじろと眺めて、笏で口を隠しながらもにやりと笑う。
敬意を感じない、すごくいやな態度だ。
ユメは気色ばんだが、アラライはずっと繋いでいたユメの手を離した。困ったように口元だけでほんのりと笑い、首を傾げる。
「――――? ああ、このような事故の後ではな」
「事故だなどと! 私がこの三重塔の建設にどれほどの情熱と金銭をそそいでいたかご存知召されましょうか、黄金日子様。私はこの件をただの事故で済ませるつもりなどありませんよ」
赤ら顔を近づけ唾を飛ばしながら話す布谷王は、常になく興奮した様子だ。
アラライは眉根を寄せて袖を広げ、その後ろにユメを隠した。
「……話が見えぬようです。あなたの遣いとはどうも行き違ったらしい」
「とぼけるなど、らしくありませんな。職工たちから裏は取れているのですぞ。現場の責任者たる棟梁が不在の中、あなたが指揮をして無茶な工事を進めさせた挙句、工程に極端な手抜きを加えたと! その結果、
ユメは咄嗟に、頭を地になすりつけている作業員の男たちを見た。彼らは誰も頭を上げようとしない。
周囲を見渡すと、ユメと目が合いそうになった男たちは次々に顔を逸らしてゆく。
誰もがアラライに注目する中、アラライは周りの者には一切目を向けず、優雅に頭を下げた。
「それは、申し訳ないことをいたした」
一帯が張り詰めたようにしんとなる。
そこに柏手を打つ乾いた音と、たったひとりの場違いな笑い声が響いた。
「はっはっは。ご心配なく、布谷の大君。我が国の皇子は他国の王に損害を与えて何の責任も取らぬほど、恥知らずではございません」
「おお、そうでしょうな。そうでなくては、建設に関わったすべての者の手を落とさねば気がすまないところでした。……当然、そのような事態にはならないでしょうな、黄金日子様」
頭を下げている男たちも、遠巻きにしている男たちも、一様にびくりと手を隠す。
未だ倒れた木材の下から抜け出せない者のいる中、アラライはぎりっと唇を噛んだ。
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