第22話 覚めないもや

 非のないクラをどう慰めようかと思案していると、がさりと背後で音がした。

 次いで、通りから控えめに「あのー……お嬢さん?」と声を掛けられる。


 この声は門番のものだ。

 背後からせたことに気がつき、探しにきたのだろう。

 大層律儀なことだ。アラライからの頼まれごとだからかもしれない。


 クラが気まずげに耳元に口を寄せた。


「まあいい。ふさわしい知恵がないなら僕の言うことを聞いておけ。明日もあんたが一人になるのを見計らって声を掛けるから、僕を見かけても話しかけるなよ」

「わかったわ」


 クラのげんは妥当だ。それを認めながらも、好奇心にふくらんでいたユメの心はしんなりとしぼんだ。


(クラはまるで、わたくしに飯事ままごと遊びの機会をくれているみたい)


 事実ユメにはなにかをすにあたう力がない。なので仕方がないことだとわかってはいるけれど、ユメは自分がこの都に揺蕩たゆたになったかのようなむなしさを感じた。

 一人すべてを背負った顔で日の暮れた通りに舞い戻るクラの背にかけるのに、ふさわしい言葉が浮かばないまま口を開く。


「無理しないでね、クラ」


 いつになく心細そうなユメの声に、クラは足を止めなかった。


「お嬢さん……、ええと……」


 ユメが見つめていても、クラの背中はひるがえらない。

 その代わりに門番が二人揃えたようにそっくり同じ動きでクラとユメを見比べるものだから、ユメはくつりと笑いをこぼした。

 彼らは善良だ。混じり気のなさに心が安らぐ。


「行きましょう」

「今の……あの赤いきぬの童、ここまで同道してきた仙ノ国の王子じゃありませんでした? 一人で行かせてよいのですか?」

「よいのです」


 簡潔に答えて歩き出したユメを見て、門番たちが一拍遅れて後ろを追ってくる。

 なので道を知らないユメは振り返り男たちを急かさなければならなかった。





 兄上このかみさまのお戻りは遅かろうと思い、準備を整えておきました。

 そう言って小さなちい姫は、集った民の先頭から順に手際よく物資を渡していった。

 近隣の民も心得たもので、下賜を受け取る予定もないのにやって来ては豆をひと掬いずつ配ったり、荷を運搬したりなど一働きしてから、振る舞いを摘まんでゆく。

 ちい姫に品を手渡す任を受けたユメは、彼女と共に最後尾の民を見送った。


「とっても助かりました。ユメさま、手伝ってくださってありがとう」

「わたくしにもできることがあってよかったわ」


 話すかたわらで、ちい姫は下女が施錠したのを認め、頷いて退出を許す。


「でも、ほんにお体を休めていなくてよろしいの? お疲れではなくて?」

「よいのよ。このお屋敷で床と御食みおしを賜る民は、かわりにはたらきを差し出しているのでしょう」

「屋敷の皆にも、無理にそうなさいと言ったことはないのよ。それにユメさまは兄上このかみさまが続きの間にお招きしたお客さまですもの。軒貸しの民や使用人とは違うわ」


 アラライからの言伝を受けたちい姫に、屋敷で続きの間と呼ばれるのはアラライの寝室の続き部屋にしかないと聞いた。夜のことを思うとさまざまな意味で、軒貸しの民と同じ扱いでいいのにと思ってしまう。


「それに、今はなにを見てもめずらかで、心が休もうとしてくれないのです」

「そんなに? このお屋敷では当たり前のことばかりだから、わたくしは飽きてすこぉしクサクサしてましたの。たとえば、ユメさまのお国とはなにが異なるのかしら」


 かわり映えのしない屋敷に晴れない心持ちはユメにもよくわかる。

 そうね、と前置きし、諸種のおどろきの中から最もかたちとして見えやすいものを選んで例に挙げることにした。


「筆頭は、下賜を行うことだわ。穂高ノ国では富は家々で蓄えるもので、だからとても興味があったの。わたくしの国では考えられないことですもの」

「やっぱり、こんなことを行うのは我が国……、いいえ、兄上このかみさまだけなのね」

「ちい姫さま」


 未知への好奇心できらきらと輝いていたかんばせが、酢を飲んだようにくっと固まった。


「わたくしも、今でも考えれないもの」


 鈴の鳴るような明るい声がくるりと棘のあるものに変わってしまう。

 今しがたまで文句ひとつ口にせず、平気な顔で民に財をなげうっていたちい姫の胸の内がそれを肯定していないなど想定していなかったユメは、ちい姫の視線の先にはっとする。

 ひさしの床に散らばる黒豆は、配りたてのものだ。

 ユメは咄嗟とっさに拾い集めようとして、ちい姫の手で制止された。


「いいの。鳥が啄んだって兄上このかみさまはよろこぶわ」


 ユメよりいくらもちいさな姫が諦め声で語るのを、ユメはなんとか挽回しようとするけれど、なんの言葉も浮かばない。


「……すばらしい行いだわ」

「もちろんすばらしいことよ。ですけど――わたくし、冷たい姫なのです」


 怒ることも嘆くこともできないでいるちい姫の顔は、途方に暮れているようだった。

戸惑うユメのかたわらを淡々とくぐり抜けていってしまう。そして何歩も離れてから、思うようについてこないユメを振り返った。


「ごめんなさい。ユメさまに言っても詮無いことなのに……わたくし、いつも話し過ぎてしまうの。早早はやはやと片づけて夕餉にいたしましょう」


 その少し眉尻が下がった目元とふんわりとした口元のほころばせ方は、不完全ながらもアラライと似ていた。

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