第21話 秘策の耽り

「先ほどの痴態、見ていたぞ。随分と親しくなったようじゃないか」


 少年の薄い唇がおもしろくなさそうに言葉を吐く。

 愛想一つもない態度に、ユメはいっそ安堵した。

 アラライは常にこちらの様子をうかがいながら、幾重にも重ねられた気遣いとやわらかな口調でユメをくるんできた。

 けれど本来ユメが生きてきたのは、もっと硬質な世界だ。

 割った竹の断面まで見えるようなはっきりとした飾らなさが心に馴染む。

 そうは言っても、あまりに鋭い切れ味ではあるのだが。


「痴態って……そんなにひどい顔をさらしていた?」

「猿の尻のようだったぞ」

「あんまりだわ! よく男の方たちが指を差して笑わずにいてくれたわね……」


 秋に真っ赤になる猿の小さな尻を思い浮かべる。

 それが人の顔面についているだなんて!

 門番たちが言葉を濁すのも当たり前だと言えよう。

 ユメが頭を抱える隣で、クラがいらだつように土を二度踏みつけた。

 そろりとクラを窺う。


「クラは今までどこにいたの? わたくし、クラもの人と接触すると思っていたわ」

「そのつもりだったけど――」


 クラがユメをじっと見た。


「ユメが正面から当たりに行ったから、ぼくは下準備に専念させてもらったよ」

「下準備が必要になるの?」

「おそらくな。どうだ? 龍を征することができそうな男か?」


 問いかけにユメは思う。

 アラライは水鏡で垣間見たときの印象よりも無力なひとで、龍を殲滅するような圧倒的な力も、制圧し従わせるような心性しんせいも持ち合わせないように見える。

 さりとてなにも持たないわけではなく――


「わからないわ。お小さい頃に龍とかからったようだけれど、だからといって龍に対抗できるものかしら?」

「ふん。どうかからったのだ?」

「ひととき龍に隠されて、戻されたときには人とは異なるいろになっていたのですって」


 異国にはあのようないろを生得する人間も居ると聞く、と呟いたクラが空に目をやる。

 空の色は刻刻移ろうが、人のいろが無意味に転じることはない、と続けられた言葉に、ユメは雲の切れはしが藍色に染まってゆくのを目で追いかける。


いろが変ずるのは、神の残滓ざんしだ」

「神……? 龍ではなくて?」

「同じものだが、ただ暴れるのみならず知性を持って人を隠す生き物は神と呼ぶべきだと思わぬか?」

「神と呼んでしまえば、わたくしたちに取り成せる相手だとは思えなくなるわ」

「そう言われると呼びたくなくなるな。ともあれ力の残滓はいろに限ったことじゃない。なにか常人の持たぬ力を行使してはいなかったか? 治癒の力が発現した例を耳にしたことがある」

「今のところは」

「そうか……残念だ」


 クラは口をへの字にむすんだ。わかりやすく気落ちした様だ。


(仙ノ国にだれか病人を置いてきているのかしら)


 そうでなくとも、龍に身を打たれ怪我をした民がいるかもしれない。仙ノ国のムラのあたりを龍が過ぎてゆくのを、国境で目にしたのは記憶に新しい。


「とはいえ、当てにするには残りかすとしても古過ぎるか。の男の幼い時分なら十五年前か、二十年前か――」

「八年前よ」


 ユメに言葉を遮られたクラは、怪訝な顔をした。

 ユメは構わず家壁に背をもたれさせ、簡明に述べる。


「遠目に見るより若いんだわ。あの方、わたくしをして同じ年齢としよわいだと言ったもの」

「あれで十代か。悪くはないな」


 腕を組んだクラの真剣な顔は、おとなびて見えた。

 ユメよりも小さな頭でどれだけものを考えているのだろう。そう思うと彼の熟考の邪魔をするのはしのびなく、ユメはわからぬ話の流れに言葉なく寄り添った。

 しばしのちに、地を見て考えを巡らせていたクラから問いが発せられる。


の男――黄金日子くがねひこは、龍を封じたり、打ち倒すすべを知っているようではないのだな」

「ご存じないようだったわ」

「知らぬのなら是非に及ばず」

「そうね――でも龍が姿を見せたら力添えしてくださるとおっしゃるから、わたくし、少しばかりあの方と行動を共にしようと思うの。クラは? もっと龍に有効な手を探してみる?」


 責任感の強いクラは確実性のある龍への対処法を求めているはず。そう考えての問い掛けであったが、クラは一頻ひとしきり迷った末に口の中で言葉を転がした。


「……僕に考えがある」

「わたくしにもなにかできる?」

「いや。ユメはユメの思うようにせよ。だが、つまずいたら僕を尋ねてこい。宿はこの通りを戻って左手だ」


 首を横に振るクラの目が巧妙に逸らされているのに気づき、ユメはピンときた。

 照れ屋なムラの子どもと同じ顔をしている。


「もしかして、それを言いにきてくれたのね?」


 嬉しくなってユメが指摘をすると、クラは肩をいからせた。

 それからなんと二拍で自分を落ち着かせた彼は、むっすりとした顔ながらも声を荒げずに話す。


「ユメが世間知らずなのは僕の責任じゃないが、それを知りながら連れ出しておいて何かあったら寝覚めが悪いだけだ」

「だとしても、ありがとう」


 クラの大人な対応にユメも真摯にお礼を告げる。クラはたじたじと体の向きを変えながら、視線を彷徨わせた。

 めずらしく年相応な反応に、ユメは心をあたたかくする。

 そんな反応を見とがめクラが視線を強くした。


「それから一つ忠告だが、黄金日子にあまり心を傾けるなよ」


 姿を現さないことといい、クラはあまりアラライをよく思ってはいないのかもしれない。

 そう思いながらも、理由のわからぬことにユメは端的に訊くことにした。


「どうして?」

「おそらく、いやな思いをすることになる。わからないなら、の男の髪留めをよく見よ」


 彼の髪留めといえば、本人が不本意そうに触れていた黄金づくりのもののことだろう。


「大きな翡翠が填めこまれた髪飾りね?」


 口にすると、げんなりとクラが肩を落とす。


「……穂高ノ国にもあれに関する口伝か書物くらいあったはずだ。不勉強だぞ」

「うーん。それを言われると、そうですとしか返せないわ」


 開き直ったユメに、クラが「こういうやつだよな……」とぼやいた。

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