第20話 帰途一人……?

 対岸に着くと、何人もの男が船の帰りを待っていた。

 中でもずっと地団太を踏んでいた男たちが、待ちきれないといった様子で争うように躍り出る。


黄金日子くがねひこ様、至急お頼み申します!」

「おい、此方こちが先に来ていただろう。黄金くがねさん、助けて欲しいんだ。明日の早いうちに王が異国の客人を連れて層塔そうとうの建築現場の視察に来るんだが、棟梁とお抱え衆が工事を擲って全員雲隠れしちまったんだよ。どうにかしてくれよぉ」


 大量の木簡を抱えた男が二人と、大柄で荒っぽい仕草の男が一人。

 そのうち木簡を抱えた男たちに見覚えがあるような気がしてユメが気を取られているあいだに、アラライは大柄な男に詳細を尋ねていた。


「進捗が遅れているのか?」

「ちっとも間に合ってない。俺たちではこのまま進めるのが良いのかも判断つかねえ。かといって残った者が打たれるのも困る」

「わかった。私が行こう。しばし待て」


 簡潔に請け負うと、次の待ち人に歩み寄る。

 手慣れた様だ。実際、街中の者から頼り切られることは彼の日常の一部なのだろう。


「して、其方の困り事はなんだ?」


 アラライが男たちと話すのを待つかたわら、ユメは木簡を持つ男たちについて思い出そうとしていた。布谷ふや国に来てからそう経っていない。短い記憶を辿ってゆくと、男たちのほうが先にユメに気づいたようでぎょっと目を剥かれた。その表情に覚えがあって、ユメも彼らの正体に思い当たる。


(門番の方々だわ)


 夜番と交代したのか、門を閉ざす時間にでもなったのだろう。一人納得するユメの背を、アラライがそっと押した。門番の男たちもユメに向き合う。


「ユメ、其方はこの者らを供にして戻るがよい」

「アラライは……力添えにゆくのね?」

「ああ。用を済ませてから帰る。送り届けられないがよいだろうか」


 アラライはそうしておのれの理想を体現するのだ。彼の背は泰然たいぜんとして力強い。


(理想のためにがんばるあなたを応援したいわ)


 優しい想いが心からにじみでる。


「ええ。ご無理のないよう力をお振るいくださいませ、アラライ」


 自然とこぼれた笑みからは、アラライに寄り添うような信頼感が余すことなく表に出された。


 ふんわりとした女性的でやわらかな雰囲気をまとったユメが思い慕うような表情で、小さな花びらのような唇から励ましの言葉をかけてくる。

 焦り勇んで取り囲んでくる男たちとのあまりの落差に、アラライはふっと息を止めた。

 どうしてか、今まで心に欠けていたものが埋められてゆくような心地がする。


 アラライが産まれたての猫の仔を撫でるようにいとしげにユメの頬を手の甲で撫でた。

 常でさえ甘やかなほほえみを絶やさないアラライではあるが、喜色を満面に出して全霊でユメを見つめる瞳の熱はその印象を打ち砕くほどだ。


「其方はいな」


 ただの一言が、ユメの膝を打ち砕くかのように思えた。

 ぱっと両の手で覆い隠した頬が真っ赤に熟れている。

 顔を上げられないまま頭蓋とうがいを反響する言葉に打ちのめされていると、頭上から言葉が追って降った。


しばらく滞在してゆくであろ。続きの間に其方の寝所を設えるようちいに伝えてくれ」

(続きの間って、どなたの……!?)


 ユメが混乱のあまり立ち尽くすあいだ、周囲の男たちも突然始められた貴人たちの恋模様からめいめいに目を逸らしていた。

 アラライだけが上機嫌に男たちを引き連れ、なにか声をかけながら去っていく。


 ユメが顔を上げたときには、門番たちがこちらを気遣いながらおろおろと立ち尽くしていた。


「なんだったんですの、今の」


 門番たちは慎み深く明後日の方向を見ながら、あー、うー、と唸るだけで相談相手になりそうにない。

 仕方なしに彼らについて慣れない道を行きとは反対に辿り出した。


 民が帰途につく頃合いでもあるのか、相変わらずに人波は多い。アラライに手を引かれて歩いた行きとは違い、帰りみちは長くなりそうだ。

 夕暮れのなか、行き交う人々の顔も見えにくくなってくる時分である。見失っては大変と、門番のうしろから離れぬよう前に気を配りながら歩いていたユメの手が、死角となる横合いからきゅっと引かれた。

 悲鳴を上げようと開いた口もすかさず押えられる。


「――――っ!?」

「ちょっとこっち」


 小路こうじに引き込まれると、夕日の差さぬそこには早くも夜が敷かれていた。

 震える体で振り返り、手を振り上げるがその手は難なく掴まれてしまう。


「なんだ、乱暴だな」


 その声に、ユメははっとして顔を向けた。

 ユメよりも低い背丈に、つやりとした黒髪と汚れひとつない赤い衣。


「クラ!」


 昼間別れたきりの姿がそこにあった。

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