第15話 楡芽と荒雷
いや、ユメの目が曇っていただけで、黄金日子の目は先にもこんな色をしていなかったか。
口に出さずにいただけで、ほほえんでいただけで、目の奥は気懸かりをこらえてはいなかったか。
(どうして苦慮なさらずにあの場でお
その見立てはユメの胃の腑にしっくり落ちた。
ユメはあまり事を
ゆえに過分な配慮を必要としていないのだが、黄金日子の翠の瞳は幾度もユメの心のうちを覗きにくる。
心
ユメが織機をとき
であれば、上っ面をすべるような返答をするのはあまりに不誠実というものだろう。
「
「わかっている。あれほど含むところのある名乗りでは無理からぬ。道理であろ。私が悪かったのだ。私は……そなたが然様に慎重にいずれかの名を選ばんとするとは思い至らなかったのだよ」
わかり合えたような安心感にユメは力を抜いた。途端に握り締めた手のぬくもりが胸をくすぐる。そして往来を通る民の日常感と黄金日子の真剣なまなざしとの間の隔たりに、どうしてかとても、とても面白みを感じたのだ。
くふふとくだけた調子で笑い始めたユメに、黄金日子が目をまるくしたのち、同じような面持ちでふふふふと肩を揺らした。
「もしかして、わたくしたちはどちらもちい姫さまよりご挨拶が下手だったのではないかしら」
「さもあらん」
「ね。もう一度機会をくださいませ。わたくし、あなたの声で呼ばれたい名があるのです」
距離が縮まったことを確信して、ユメは黄金日子を見上げた。背の高い彼は少し身をかがめてくれている。顔は手の届くほどに近い。
彫りの深い美貌は彼をとおい人に感じさせるけれど、きっと心映えまでそうではないのだ。その証左に、彼の瞳は終始やわらかく人に寄り添っている。
「よいよ。伺おう」
目礼を確かめたユメは握り続けていた黄金日子の手を離し、『おとびら』の前でするように身なりを整えた。肩肘を張らずに、背中の一本線を意識する。龍のものと寸分変わらぬ天上のまなざしを感じる。一呼吸を置く。
「わたくしは穂高の王の末娘で、国に残されたただひとりの姫です。国ではもっぱら巫女姫、もしくは
「わかった、ユメ。私からも改めて名乗ろう。私は
「そんな呼び方って……」
「よい。事実、私は手にしたものは何でも捨てるとしている。身ひとつで居たいのだ」
きっぱりと首を振る黄金日子の目に悲壮感はない。ただ、地に足はつかず気持ちも遠くに向いているようだ。
指先がわずらわしそうに髪飾りを引っ搔いた。彼が身に着ける中でも最も高価であろう、重たげな黄金に大振りの翡翠がはめこまれた装飾品は、意に反して彼が捨てられないものの大きさを思わせる。
「その後うらぶれた身をこの布谷国が引き受けてくれた。その礼に、私を新たなる名――
「必ず龍を……」
たとえばクラであれば、ためらいなく彼を黄金日子と呼ぶのだろう。
けれどユメの喉はひりついた。彼を黄金日子と呼んで縛り、龍に立ち向かわせるのがほんとうにユメのしたいことなのか。
ユメがクラから離れたのは賢く生きるためでも、成果を持ち帰るためでもなく――自らの心を解き放つため。なにを成すのがよいのか考え抜き、選んだ答えを成すべく困り果てるまで試みるため。
黄金日子と呼ぶよう言われて抵抗を感じるのなら、ユメの心は決めているのだ。そう呼びたくはないのだと。
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