第14話 不安とうかがい

 初対面であるはずの二人の姫の語らいは途切れず、勢いを弥増いやましている。途切れるとも思えぬそれに、黄金日子は影の長さからときを計った。ゆくみちを想うと、日暮れまでさしてゆとりがあるわけではない。


 いやな役目に、黄金日子はほんの少し顔の角度を調整する。

 翠の瞳が、差し込む光により殊更ことさら優しい色を持つように。


「さて。そろそろよいかな」

 

 黄金日子は得意の微笑みの上に言葉を乗せた。


「ちい姫、私たちは暫し表に出てくるよ。姫に相応しき見送りの句を所望するが、いかがか?」


 保護者然とした落ち着いた声に、二揃えの目がどちらも慌てたように黄金日子を見上げる。


兄上このかみ様、ごめんなさい。わたくしまたお話しし過ぎてしまいましたのね。あの、わきまえたいと思って気を付けてはいるのです。ほんとうよ」

「そうであろな。存じている」

「わたくしもお詫び申し上げます。わたくしの用向きで行を共にしてくださっているのに、つい夢中になってしまって」


 眉をへの字にしたちい姫の額をいとしげに指で突いた黄金日子が、ユメの言葉に気に病むなと首を振った。


「お気をつけて行っていらっしゃいませ、兄上このかみさま、ユメさま。お戻りをお待ちしております」

「行ってくるよ」


 短いやりとりの末、ちい姫がわずかにじとっとした目で黄金日子を睨み、黄金日子がそれを笑っていなす。

 親しい兄と妹の間にのみ通ずる戯れ合いに、在りし日を思い出したユメはくつりと笑った。

 その笑いは、果たして憂いをおびていたのだろうか。思考に落ちるよりも先に、手が強く引かれた。


 門を潜る。通りを歩く。

 その道みちをゆき交う民のすべてに、黄金日子は声をかけてゆく。民もかしこまりもせず、慣れた風情だ。

 三軒となりの『おとう』が双六に出掛けて帰って来ぬはなし、大陸染めの布を異国の男が一の通りの古物市に持ち込んだはなし、否やその布は王の屋敷に滞在している客人が買い占めていっただとか、さまざまなしらせが飛び交う。


 合間で、仙ノ国の王子が宿を一部屋押さえた件を三度も聞いた。

 クラはもうこの金の髪の男の居所を掴んだだろうか。


 舟が割れ弟が流されたと訥々とつとつと語る男に見舞うことを約した黄金日子が、人波が途絶えたのを見て取り、ようやくユメに顔を向ける。

 翠の瞳が控えめな仕草でユメの機嫌を探っている。その表情を取り繕う前の顔つきがどことなく不安げに見えて、ユメは急ぎ口火を切った。


「あの、お手をありがとう存じます」

「うん?」

「先ほど、お支えいただきました。それに今も」


 終始繋がれたままのこの手がなければ、ユメは黄金日子のもとに集う人に跳ね飛ばされていたに違いない。

 黄金日子は繋いだ手を持ち上げ、肌色の異なる手が重なり合っているのをまじまじと見てからおっとりと口を開いた。頬を緩める。


「気にせずともよい。私の周囲はせわしなかろ。そなたにはかまびすしかったであろ。私も応じるうちによく連れを見失っては、ちい姫に怒られるのだ」


 黄金日子は案じているが、ユメにとってはそう煩わしくもなかった。いや、次々ともたらされるこもごもとした報知と此の場に生きる人の群れは、新鮮で目新しく大変楽しくさえあった。

 そう告げようとしたが、黄金日子の気まずげな微笑みから繰り出された二の句に、すべてが吹き飛んだ。


「――ああ、それとも気働きに報いて、私にも姫君を名で呼ぶことを許してもらえるのなら、それに越したことはないかな」

「わたくし! わたくし、あなたへのご挨拶で名乗るのを忘れて……!?」


 まさかと思い返すが、名を口にした覚えがない。そして黄金日子の口からは終始『そなた』と呼ばれていたのではないか?

 青くなればよいか赤くなってよいのか、ともかくユメは必死になって黄金日子の手を腕ごとぎゅっと抱き締める。


「礼を失したおこないをいたしました。許してくださいませ」

「よいのだ。私こそすまない」


 すがりつくユメの腕は、穏やかな顔で押し返されてしまう。


「姫君なれば当然物慣れないこと、私が思い至って然るべきであった。恥ずかしながらちい姫と話すのを聞いて気がついたよ。……まごうことなく、私の名を呼ぶ気も、名を告げる気もないのだと思ってしまってね。人の心をしく捉えるのは、ほんに忌むべきことだ」


 黄金日子は自らの過ちであるかのように枝垂しなだれ、恥じ入った笑顔でおかしみに変えてしまおうとする。

 しかしユメは、目が合うたびにとろけるほど甘やかな表情を向けてくる男の宝玉のようなまなこが、今ばかりは沈んだ色をしているのを見逃さなかった。

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