第13話 清華なる身の上
男が庭に降りると、途端に人がやってきた。
さらった池底から笠が出てきたと見せる小男、摘んだふきのとうをきらきらとした目で掲げる童女たち、男の袖を涙ながらに掴んで礼を言う老婆、本当にさまざまな民が一様に信頼に満ちた声で
その集団の中ごろ、この
ユメは声を掛けようとしたところで、別の方向から指先を引かれた。
「いかがした。ゆくのではないのか?」
黄金日子の指だ。
黄金日子は特別なことではないような落ち着いた顔をしている。まつ毛が作り出す影で瞳がやや暗い色をしているのも、それに一役買っているようだ。
それに対してユメはふわとからだが浮いたような心地になった。よく知らない殿方に手を取られている事実に、咄嗟に目を伏せる。
馬を降りる都度クラの手を掴んでいたときにはどうと思うこともなかったのに、どうしてしまったのだろう。まっすぐ見つめ返すには、この鼓動を乗り越えなければならないなんて。
「ゆきますわ」
ユメは恥ずかしくもまごつきながら黄金日子の手を取る。
並び立つために履物につま先を通したそのとき、ひときわ精彩を放った娘の声が響いた。
「
「ちい姫」
人波が割れる。
小柄なユメよりもなお小さな娘の姿に、みなが退いた。
明るい面持ちの娘だ。
似ている。色彩のほかは揃えてあつらえたかのように。
「外の様子を見てくる。夕の下賜までに戻らなければお前が取り計らいなさい」
「心得ましたわ。また頼まれごとですの? 見ないお顔ですが、この方はどなた?」
「ちい、お前が先んじるように」
「あら。身分あるお方なのね、ごめんなさい。わたくしは
にこりと社交的な笑みを浮かべた姫が、期待した目で「わたくし上手にご挨拶出来ていて?」と問うてくる。
十と少しを数えるくらいの年頃だろうか。高貴さと親しみやすさを兼ね備えた様は、人慣れず硬い表情のユメの名乗りよりも数段好ましいように思われる。
ユメは背筋を伸ばしてから、意識して彼女のように頬を持ち上げてみた。
「大層愛らしいご挨拶に心奪われてしまいました、ちい姫さま。わたくしは穂高の王の末の姫です。どうぞユメとお呼びになって」
「ユメさまね! 穂高ノ国からいらしたの? お遠くてらした? お馬に乗ってきましたの? それとも
ちい姫が目を爛々とさせて息継ぐ間もなくしゃべり倒す。前のめりなちい姫に押され、ユメは背中を反らせた。
ぐらついたユメの背に黄金日子の手が置かれる。すぐに離れていったが。
「思い鎮まれ、ちい。姫君が肝を潰しているであろ」
「まぁ! ごめんなさいユメさま。わたくし、近しい年頃の姫にお会いしたのははじめてで、思いがたかぶってしまったみたい」
兄からの苦言におろおろとユメの顔色を窺いだす素直さなかわいらしさに、今度はユメにも自然な笑顔が浮かぶ。
「同じですわ、ちい姫さま。わたくしも、姉のほかの姫と話すのははじめてなの。ご挨拶で名を口にするのも、まだ実は慣れなくてどきどきしているのよ」
「そんなふうには見えなかったわ。とても堂々としてらしたもの」
「付け焼き刃なのよ。神に対峙するときに姉姫がぴんと背筋を伸ばしていたのを思い出して、せめてわたくしも恥じ入らずに顔を上げているようにしているの」
ユメの人生、はじめの日はあの日だったのではないかと思うほど、姉姫の
穂高ノ国、父王の屋敷にあって、乳兄弟や民の娘たちと布を織りながらも、みなが笑いながら囲むこの円は自分の居場所ではないのだとずっと感じてきた。
けれどちい姫はユメと同じ立場から物を見て、同じものを求められて生きていく相手なのだと、少ないやり取りの中、立ち振る舞いの中から感じ取れるのだ。それはクラに対して感じた親近感とも近く――もしかしたら黄金日子も同様なのだろうか。だから彼を見ると胸の内がそわそわとするのか。
「ですから、わたくしに手抜かりがあればぜひ教えてくださいませ」
ユメの言葉に、ちい姫は飛び上がるように「はい!」とこたえた。
その隣で黄金日子が、いまだ手のひらに乗せられたままのユメの細い指にそっと目を落とした。
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