第12話 黄金日子(三)

 萼ノ国群がくのくにむれはユメの穂高ノ国とクラの仙ノ国、それにここ、布谷国を合わせても足元にも及ばぬほどに大きな国だ。

 その名の示すように小国を次々と併合して群れとして率いる国。だが都は遥か東だ。


(その皇子みこがどうしてこんなところに?)


 加えて、二つの名を名乗られたのも奇妙だ。

 男を頼りにする者には黄金日子くがねひこと呼ばれる。では、アラライとは何のための名なのか。

 ユメは今、何を試されているのか。


 頭の裏側がひやりとする。こういう勘を舐めてはいけない。

 糸紡ぎ車の噛み合わせが悪いときのようだ。指先に伝わる感覚にぶれがあり、何かを直さねばならないような。

 情報を得て、感触を試行錯誤するのだ。出方を決めるのはそれからでも遅くない。


「あなたをとぶらわんとした経緯いきさつをお聞かせ申し上げます」

「拝聴しよう。こなたへ。お座りなさい。長途ちょうとに疲れたろう」


 ユメは一旦、の名を呼ぶのを避けた。

 男は口元に微笑を浮かべてユメを屋敷に上げ、わんに茶をいで出した。かめの中で冷やされたものだ。

 馴染みのない生薬のような香りと薄い色のついた茶は、知らず乾いていたユメの喉に染みわたる。その労をなだめるように。

 ユメが一息つくあいだ、男は何も話さず庭を眺めていた。

 拒絶の気配はない。


 説明ごとの経験はないが、ユメは精一杯順序だてて話を始めた。

 男は短いあいづちで静かにそれを聞いた。そして次第に玉容を曇らせる。


「龍の蹂躙じゅうりんがあったか。それは穂高の民も仙の民も一様に困ったことであろう」

「我が国はまだ被害よりも不安のほうが上回っています。国に飛来した龍は田を荒らしていきましたが、幸い田起こしもだの時分ですから。ですが仙ノ国では、方々に龍がうろこをこすりつけてゆくために、崖崩れが頻発し夜間も戦々恐々としているとか」

「気の毒だね。どうにか冬を越えたところだろうに……思わぬものに脅かされるとは、痛ましいことだ」


 人並みならぬ色をたたえる瞳が、持ち主の憂いを映してかげった。どうやら彼は、情の深い人であるらしい。胸の塞がった風情で衣の合わせに手を置いている。


「私に出来る支援があればすぐにでも致そうが、あいにく我がかいなはさほど広くはない。仙の山まで袖が届くとは思えないぞ。私に何を求めに参った?」


 同情の姿勢に、ユメは口を滑らかにした。


「――龍を調伏してくださいませ」

「……私がか? 何故だ。仙にも穂高にも強者つわものろう」


 男は呆気にとられたように目を見開いた。その反応は彼をはじめの印象よりも幼く見せる。


「神問いをしました。水鏡にあなたが」

「神意か……」


 そう呟きながら、彼は脇息きょうそくに片肘を乗せた。頬杖をつき、床板に視線を落とす。


「覚えがあるぞ。幾日か前、自室にひとりでいるのに多くの視線を感じた。あれは煩わしいことであった。其方らの仕業しわざであったか」


 声色から不服の意が漏れる。


りとて、私は巫覡ふげきでも山伏でもない。如何様いかように龍に向かえというのか」

「わたくしには……。論なくあなたがご存知のものと思っておりました」

「であろうな。さて、斯様かようむ方無き頼みは初めてだ。行ってみて何も出来ぬでは済まされぬしな。どうしたものか」


 男はひどく真面目な顔で首を捻る。彼にとっては他所事だろうに、切って捨てないのは性分だろうか。ユメにとっては好都合ながら、今一つ理解できない。

 ただ、彼が動く理由を増やしてやることならすぐにでもできる。


「それともう一点――本来でしたら布谷国王にお伝えしたかったことがあります」

「聞こう」

「わたくしが最後に龍を見たのは我が国との境。龍は巨大な身体を天降山に沿わせ、尾根から流れるさいの川で大きく撥ねて、この布谷国の方向に向かってくるようでした。進路を変えるとも知れませんが……」

「この国も知らぬ存ぜぬではいられないということか」


 仙ノ国を擁する天降山、そこから穂高ノ国と布谷国は巨大な塞の川で一線に繋がっている。

 単語の身近さに男は終始やわらかく持ち上げていた口角を硬くした。自らを落ち着かせるように首の後ろを指先で何度も撫でる。その都度大きな翡翠を黄金で固めた髪留めが耳朶を打つ。束ねられ黄金の川のようになった髪糸がさらさらと音を立てた。


「龍が本当に近付いているのなら民を逃さねばなるまいが。ずは龍の姿をにゆくか。まみえれば分かることもあろう」


 男は立ち上がり外を向いた。撫でていた首の後ろが魚の鱗を貼り付けたように輝いている。

 いや違う。真珠のような虹色の輝き、干渉色を持っているのは彼自身の皮膚だ。うなじから下に伸びる部分だけが人が持たない輝きの鱗に成り代わっている。


 ユメは驚きを声にしないようにしながらその後ろに追従した。

 彼はそんなユメに振り向き、


「龍を退けられるかは、それからであろ」


 そう言って、ユメを思いたゆませるようにやわらかく頬をゆるめた。

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