第10話 黄金日子(一)

黄金日子くがねひこ様、ですか?」


 黄金を名にしおうとは、高貴であるとしても随分と思いあがったことである。

 怪訝に問い返したユメは、直後水面に浮かんだ輝きを思い出した。その名にふさわしい人物を、ひとりだけっている。

 胸の奥が早鐘を打ち始めた。


如何様いかようなる方なのです? その者、黄金くがねというと……」

「まばゆかなる陽光の色の御髪おぐしを持ちたる若君であらせられる。困り事のある民に大変親身になってくださる方だ。姫君に対してもお力添え召されるであろうし、案ずることが真に王のお耳に入れるべき事柄であれば直に言挙ことあげされよう」

「よくよくご立派なお方なのですね」

「まことに」


 ユメにさほどの敬意を払おうとしない男は、黄金日子のことは大層評価しているらしい。肯定を込めた頷きには、信頼の情が深く込められている。

 家人けにんの男が歩いてきた通りの先を指差し、ユメの目線をその先に向けさせた。


「この通りを六つ進み、近くの者に問うとよい。いささか治安のおろそかなる辺りではあるが、黄金日子様の客を無碍にはすまい」


 大きな通りではないが、の光が差し込み感じのよい通りである。

 ユメは迷わず頷き、家人に向き直る。


「お訪ねしてみます。助言に礼を言いますね。そなたの行いがとおつ神の目に止まり、その身と田畑に豊かな実りをもたらしますよう」


 やわらかい手のひらとひらとを合わせる動作はごく自然で、僅かに引いた顎の角度さえもがうつくしい。

 ずっと取るに足らないという顔で話をしていた娘の唇が、神を語る段になってはじめてやわらかく弧を描いた。

 瞼を薄く伏せたために睫毛がすだれのように隠す先に、男は神を見た。黒石のように染まらぬ瞳にひとさし星の輝きが通ったのだ。男は一瞬の空気の霊妙さに息を飲んだ。


「――――っ」

「それでは」


 ごく軽い別れの挨拶とともに、神は消え去った。あっさりと手のひらはほどかれる。


 ユメはくらの端を引っ張って――少しばかり馬の様子を見てから手持ちを手綱に変更した。

 無駄な力の入らぬ様子で歩くその背中は馬上になくとも過ぎたるほどに別格だ。


(まるで黄金日子様のようではないか。王に血の連なる者はみなだとでも言うのか? いや。私は日々そうではない例を目にしているはずだ。あらば何故)


 男は幻を振り切るように首を強く振った。


たえなる姫君だ……」





 さて、そんな反応を気にも留めなかったユメは、物怖じもせず通りすがりの母子に声を掛けていた。


「黄金日子様のお屋敷はどちらに?」

「え? あ……あ、はい。こん左手の塀続くところすべて黄金日子様のお屋敷です」


 着古した麻の衣を纏う女は幼い娘の手を強く握り締め、戸惑ったようにユメを三度見した。

 そしておずおずと小規模な常用門を指差す。


ゆうつ方にご下賜かしされるのは其処そこの西の御門ですよ。あんた様もそれで訪ねてきなさったんでしょう」

「わたくしは……物乞いに来たのではないわ。黄金日子様にご用があるの」

「さようですか。しからばその、次の角を曲がった正門が入り口です。私どもも向かうところなんで、よければお連れしますが」

「お父ちゃまをお迎えにいくの」


 女の衣の端から顔を飛び出させた娘が、にこにこと歯抜けの口で笑う。

 その愛嬌ある様子にユメの表情もほころんだ。ぐっと親しみやすい雰囲気になったユメに、女の手の力も緩む。


「それでは頼みます。お父様はお屋敷勤めを?」

「そんな大それたものでは。ただ、今日はご下賜のお礼に男衆が朝からお池の掃除に出てるんです。黄金日子様は手余りな日にはいつでも屋敷で仕事をしてよいと言って賄いを与えてくださるから、辺りの者はみなお屋敷に出入りしている有様で」


 女の恥ずかしげながらどこか誇らしいような顔は、彼女の屋敷の主への敬意をまっすぐに伝えてくる。


「黄金日子様は素晴らしい方なのね」

「あのね、この辺にあるのはみんな黄金日子様をおしたいして建てた長屋なのよ」

「黄金日子様のお屋敷ができてから考えられないほど人が増えてしまったんですよ」

「これがすべて? 随分と人徳がある方なのね」


 言われてみれば、このあたりの区画に入ってから風化した屋根や朽ちた木壁を一度も見ていない。どれもが造りは簡素だが、色褪せず若い風合いだ。

 驚き見回すユメは、そこに見逃せぬほど場違いなものを見つけた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る