第8話 関所破り

 翌日、布谷ふや国の都入りを目前に、ユメとクラは馬頭を向け合い言い争っていた。

 目前といっても文字のとおり。関に立つ番兵からも姿が窺えるほど近くだ。

 どんよりと厚い雨雲の下、一刻も早く背負った荷を下ろすべく急ぐ民ばかりがいる中で、立ち止まる馬上の旅人ふたりは番兵からうろんな視線を注がれている。


 それに気づくこともなく、ユメは苦心しながら言葉を捻り出した。


「だめよ。まず真っ先に布谷の王に龍のおとずれをお示ししなければならないわ」

「いいや。そんなものは我が国の益にはならぬ。龍の姿が見える前に男を押さえねば」


 生真面目な顔をしたクラが指折り手順をさらう。ユメはその言葉の意味するところを脳内で並べて考えた。

 先んじて見つけてどうするか? その奥は一本道だ。


「……まさか、クラ。布谷の目から隠してかの者を連れ出すおつもり? 布谷国は救わせないというの?」

「自国を救いえる者をやすやすと手放すほど布谷の王も愚かじゃないだろ。ぼくは何としてもあの男を最短経路で国に連れ帰る。こればかりは、非道と言われようと譲らぬぞ」


 クラの意思は終始筋が通っている。仙ノ国を救う、そのために躊躇なく名乗りを挙げたクラは、その方法にも迷いがない。余所事にかかずらうことなく目的を遂げるのだろう。

 それを察しながらもユメの気持ちは二の足を踏んだ。

 かの者の協力を得るのにそれが最適な手段かどうか――ユメには確信できない。合点がいかない決定に従うのは慣れたことだが、ユメの心は警鐘を鳴らした。


「非道とは言わないわ。だけど……」

「邪魔立てをするな!」


 ムッと頬を膨らませたクラが、苛立ちまぎれに手の甲でユメを退ける。

 ユメの肩がびくっと揺れた。

 馬を落ち着きなく歩かせるユメの背中に、クラは幼さを恥じた。


「すまない。乱暴なことをするつもりはない」


 仙の民ではないが、クラには世間知らずの姫を連れ出した責任がある。ユメには優しくしなければとは思うのだ。

 けれどぱちりとしばたく睫毛の間、濡れた夜空のような黒目を見ると不思議と――この物言わぬ瞳が感情にまみれるところが見たいという渇望が、どうしてかクラを動かす。

 この瞳を試したいのだ。

 軽く唇を湿らせる。


「……それとも異論があるのなら、ユメは穂高の姫としてぼくより先にあれを奪うか? それであればぼくも止めない。名目上はそのために来たのだものな」


 ユメの目に戸惑いと、かすかな苛立ちがともった。


「口実だというの?」

「そうではないのか。ここで意固地になるほど、あんたが穂高ノ国を案じているようには見えなかったぞ」

「それは……」


 ユメが小さな唇をきゅっと引く。穂高ノ国を思うためか、背後を向いたことでクラからは顔が窺えなくなった。


「クラの言うとおりだわ。わたくしにはクラのように自国への愛はないし、ここへは逃げてきただけだもの」

「わ、悪いとは言っていないぞ。そそのかしたのはぼくだ」


「いいえ。わたくしは自由になりたかった。この身も魂も解き放ってみたかった――だから飛び出したの。だけど、わたくしにはその先がないのだわ。何を成すのがよいのか、考えるのははじめて。けれど不見識だからといってクラに従うのは、間違っているわ。わたくしはまず判断材料の不足を埋めて、こうと思ったことを試みてみるべきよ」


 ぴんと伸びたユメの背中は、「おとびら」の前で見たものと同じく凛とした静けさを持っている。

 クラは畏れを表に出さぬよう、殊更大きくためいきをついてみせた。


「この状況がわかっているのかと言いたいほどに悠長な話ではあるが、思えば――あんたはぼくの従者じゃないんだ。好きにせよ」

「ええ。でもわたくし、クラの成すことが上手くいけばよいと思ってはいるのよ」

「ぼくも、ユメにとって悪しかれと思っているわけではないからな。だけど協力はここまでだ。窮した際には頼るがよい。もうゆけ」

「ありがとう」


 ツンとわざとに尊大な態度で先を促すクラに、ユメは迷いなく頷いた。

 通り抜けざまに、こらえきれないとでも言うように高揚した顔でつぶやく。


「困り果てるまで試みることができるなんて、なんて素敵」

「えっ……。はぁ?」


 新しい玩具を見つけた子どものようにうきうきとした顔で馬に合図を送る顔に、クラはいやな予感を覚え手を伸ばしかけた。

 ユメは気にも留めない。


 ユメは走り出す瞬間がたまらなく気に入っていた。馬の揺れは臀部の感覚を既に奪いつくしていたが、そのはずみは何度でも心を浮揚させる。


 声は届かぬという程度の隔たりしかない関に向かって思い切りよく馬を駆けださせたユメに、二名の番兵はどちらも驚きと困惑を顔に乗せた。

 どう見ても関で止まろうとする者の駆け方ではない。

 常ならばどんなに不審な男や粗暴な者が来ようと太い槍でゆく手を阻み、ためらいなく誰何すいかしてきた番兵たちではあるが、ことここにきて顔を見合わせた。


 どの国、ムラにおいても長が管理し育てているはずの貴重な馬に乗る、年若い女。それも、旅をしてきたにしては明らかに整った、ゆく先々で世話を受けてきたことのわかる身なりの、美しい絹の服を召したつややかな髪を持つ女。

 道を歩く娘たちとは一線をかくした楚々とした地に足つかぬ雰囲気と美しい顔立ちの女を手荒く止めれば、この勢いでは間違いなく落馬し怪我を負わせることになるだろう。身分によってはまことに筆舌に尽くせぬ展開になる。


 その恐ろしさに「申し」とだけ声を張り上げた番兵の顔色に、ユメは小首をかしげた。

 そして、その顔つきが少女らしいものから、ゆく先々で挨拶を受けてきた立場ある姫のそれに切り替わる。ここにいるのが当然と言わんばかりに堂々、ゆったりとした表情に、番兵はなぜか頭を地に擦りつけたくなった。


「ごきげんよう」


 ユメはそれしか言い置かなかった。


 もちろん速度を微塵も緩めぬその姿を成すすべなく見送った番兵たちは、縋るような目をクラに向ける。

 指先でこめかみを押さえたクラは、彼らの言いたいことを正確に読み取った。


「よい。問いたいことは私に聞け。苦情はこちらに寄越よこせ。あれとは違い、私は話が通じるぞ」


 クラは連れ出した者の責務というものについて熟考することに、しばらく飽きることはないだろう。

 そんな残念な確信を胸に、侮られてはなるまいと精いっぱい気難しげな顔をつくった。

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