二幕  布谷国の捨て皇子

第7話 龍の起り

 穂高ノ国を南下すること二日。ふたりは穂高ノ国の南端に差し掛かっていた。


 どの夜も明かしたのは穂高に属するサトであったが、クラは他国の者とは思えぬほど堂々とオサと交渉し、ユメに寝所を提供した。ユメの着替えや旅支度も道々の里で少しずつ献上され、まるで初めより持ち合わせていたかのように馬にくくられている。

 ユメは自らの国だというのにクラによって紹介を受け、首をかしげながらもオサの挨拶を受けてきた。


「クラはすごく慣れているみたい」


 羨むようなユメの声音に、クラがうんざりとした顔を向ける。この二日間、ユメが当たり前のことにあまりに驚くのに付き合わされて、飽き飽きしているのだ。


「あんたは本当に箱入りだな。うまいこと話すだけなら誰だってできる」

「そうかしら」

「特に今回は国の姫を連れてるんだ。寝床も食料も立ってるだけでもわいてきたぞ」

「名前だけでも役立てることができてよかったわ」


 おっとりとよろこぶユメに、「志が低い」と鼻で笑った。

 行く先にある川の支流を指差す。

 国の境になる川だ。かけられた橋は頑丈そうだが、時折川の飛沫しぶきが橋桁を濡らしてゆく。常には荷運び船もくぐる橋だという。今は船はすべて止められている。

 ――龍が暴れて川が使い物にならないらしい。


「船が使えない以上、布谷国ふやこくへは穂高ノ国を通るしかないからな。ぼくひとりでは心もとなかった」

「もしかして、そのためにわたくしを伴ったの?」

「人を非道のように言うな。どうせ儀式のできないあんたに居場所はなかっただろ」

「そうやって突き付けられるの、新鮮だわ」


 クラと話していると、取り繕っていたものをすべてほどいて投げ捨てたくなってしまう。


「まさか我が国を抜けるからといって、わたくしを置き去りにはしないわよね」

「だから人をざまにいうなと言っている」


 否定しながらも、クラは口を尖らせる。


「……だがな、初日の様子ではそうせむとも思ったぞ。よくあんな有り様で馬に乗れるなどとうそぶけたものだ」

「でもわたくし、じょうずになったでしょう?」


 ユメの誇らしげな様子に、クラは鼻白んだ。

 たしかにユメはコツを掴むのが早く、多少の揺れにも怯えず楽しむだけの度胸と根性があった。長距離を駆けさせても、クラが馬を休ませる提案をするまで弱音を吐かずに黙ってついてくる。


(他国の姫じゃなくぼくの従者であれば、褒めて褒美でもやっただろうが)


 年齢的に不利だとはいえ男女差と育ちを過信していたクラは、体力面でユメに劣ることは認めざるを得なかった。

 そして、生得のものとしか言いようのない身のこなしと勘の良さが、慣れない旅路において彼女を生き生きさせているのは瞭然りょうぜんだ。


「……まだぼくよりは下手だ」

「もう! そんなことわかっているわ」


 拗ねた顔ながらも、足場がぎしりと揺れる橋の上になっても危うげなく馬を進ませる様に舌を巻く。


 それはそうと、せきもないとはいえ国を跨いだのだ。

 ユメほど不慣れではないとはいえ国越えはまだ三度目のクラは、父やここに来ることができなかった師に教わったとおりに周囲を見回し警戒した。それを見たユメも見よう見まねで首をぐるりと回し――その視線の先が、後方の一点で止まった。


「いかがした?」

「見て。――龍が来るわ」


 そう告げるユメの瞳は乾かぬ墨汁のように黒く濡れており、低空のひとところにつよく釘づけられている。余事よじを意識から完全に弾き出す様子は神懸っているようにも見え、クラは息を詰めた。

 そのもとを目で追う。


「とおいな。あのうねのような雲か? 川の上にうねる……大蛇?」

「いいえ、龍よ」

「なぜわかる」

「八年前の御贄みにえの儀で見たの」

「見たって……不敬だぞ。其方、儀を損ねたおこりはそれではなかろうな」

「過ぎたことを考えても詮方せんかたないわ。……頭を地に擦り付けているみたい」


 ユメの言うとおり、遠目にも身の半分を地に添わせ土煙を上げ、尾は川底までを叩き高く水柱を立てているのがわかる。


「あれは我が国の三の里の近くだ……!」

「洪水や土砂は穂高の里にも届いているやもしれません」

「あれが、龍? 龍とは斯様かようなものか」

「母が、かつて御贄みにえを出せなかった時分には、一晩のうちに里がまるごと無くなることもあったと話していたわ」

「……仙は穂高のように広い国ではない。里がうなれば早晩国も倒れる」


 クラは暗い知らせに肩を落とした。その間もユメは龍からひとときも目を離さない。


「こちらに頭を向けたわ。穂高に向かってる。……ねえ。川伝いに布谷ふやまで来るかしら」

「来るかもしれぬ。ひた走るか」

「ええ」


 クラに目を向けたユメの顔がようやく常に戻ったことに、クラは胸をなでおろした。

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