第6話 出立

 場がしんと静まる。

 信じられぬものを見る目で周囲が振り返る中、一の仙だけが真剣なまなざしでユメを見据えた。


「ええい。せぬことを言うな!」


 ユメの一世一代の決意を、叔父は手の甲で払いのける。


「いいえ、します。仙の王子、わたくしを伴ってくださいませ」

「ゆくのならお早く、穂高のヒメ。私はせっかちな性分なのです」

「ええ。ただ今」


 急かすクラの目に引きずられるように母と従兄を引きはがした。


 もうこの場に用はない。ユメは夢見ていたような軽やかさで床板を踏み、わき目もふらずにクラを追いかける。

 すがすがしい背中を叔父のがなり声が衝いた。


「ヒメよ! 仙ノ国よりも我が国の被害が浅いうちに連れてまいれ。そうでなければ即刻連れ戻すぞ!」


 振り返りそうになったユメの手を、クラが掴む。

 目を丸くするユメに構わず、クラはそのまま駆け出した。


「返事をするな。口をくに足る器じゃない」

「怒られるわ」

「今更だろ。とうに怒られていた。気づいてないならどうかしている」

「……それもそうね」


 少しも取り合わないクラの態度に、ユメは悩むのが馬鹿馬鹿しくなった。そんなことよりも目の前に迫る問題について考えるので精いっぱいなのだ。


「どちらへ向かうのですか? 仙の王子」

「クラでいい。布谷国ふやこくへゆく。あの着物は布谷の様式だ」

「クラはお小さいのに詳しいのですね」

「小さい言うな。お前が無知なんだ」

「お前ではありません。あの……わたくしのこともユメとお呼びになって」


 知らない者と話すのなんてはじめてだ。

 こうやって、名乗り合ってみたかった。簡単に名を呼ぶことを許すのが早すぎて、はしたなくはないだろうか。年下の子ども相手だから、気にせずともよいのだろうか。

 胸が高鳴る。予感がする。きっと今までにないことが起きる。


「ではユメ。馬に乗れないなど言うまいな」

「乗れます。先ほど乗ってまいりましたもの。わたくし、お馬が好きよ」


 ユメはそれがはじめて乗った引き馬だという事実をしれっと隠した。クラとは対等でありたいと思ったのだ。


(それに、嘘ではないわ。馬の背は気持ちよかったもの)


「ならよい」


 クラは手早く馬を放つ。高床のまわぶちに立って目を輝かせるユメを高欄こうらんの切れ目から、手慣れた様子で馬上に座らせた。

 次いで自身も階段を利用し別の馬に飛び乗る。


「え? あら? セキマサがいないわ」


 山を登る際に付き従っていた従者の姿がない。早く呼ばねばと周囲を見回すユメは、はたと気づいた。


(もしや、馬に乗るとは、の子のように独力で駆けさせるということ?)


 馬頭を並べるクラに振り向く。クラは試しの目でユメを眺め、ゆっくりと口を開いた。


「行かぬのか?」


 応えあぐねるユメの背後で、神殿の中が我に返ったようにざわめきだした。

 ユメは腹に力を込めた。馬の背は高いが、おとびらの先から落ちるよりはずっと低いはずだ。


「いいえ。ゆきます」

「では少々飛ばすが、ついてまいれ」

「え? え? きゃっ……」


 身を乗り出したクラがユメの月毛の馬を歩き出させる。

 すぐに先導するように青鹿毛あおかげで前に躍り出たが、後ろにつくユメは目を白黒させたまま流されるようにそれを追った。





※ 月毛=クリーム色の被毛の馬

  青鹿毛=黒色の被毛の馬

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