従服姿勢

灰崎千尋

アキとリョウ

「おうアキ、お前免許取ったんてぇ?」


 流石リョウちゃん、耳が早い。僕のことは何でもお見通しだ。


「うん、先週」

「ほいじゃあ『山賊』行かんといけんのう」


 リョウちゃんはにいっと唇を歪めて笑った。これはもう決定事項みたいだ。とはいえ──


「でも僕、まだ自分の車ないんじゃけど」


 僕がそう言うと、バチンと頬を叩かれた。あんまり良い音が響いたので、ファミレスの周りの客が一斉にこっちを見る気配がした。


「何言うとるんじゃ、親の借りて来いや。当たり前じゃろうが、ったく」


 じんじんと熱をもつ頬をさすりながら、やっぱりそうなるよな、と頭の奥で考えていた。こうして叩かれることをわかっていて、僕はさっきの台詞を言った気がする。そうしてその通りになったことに安心している。

 僕はもう、長いことこんな感じだ。






 ファミレスでのやり取りがあった次の週末。僕は親に頼み込んでマツダのミニバンを借り、初心者マークをぺたぺたと貼り付けて、リョウちゃんの家までおっかなびっくり一人で運転した。その距離、約百メートル。何の連絡も無しに僕の家のチャイムを鳴らすことはしょっちゅうだけど、約束のある日は絶対に自分からは来ない。僕とリョウちゃんは幼い頃から、そういうご近所さんで、幼馴染だ。あんまり詳しくは知らないけれど、僕の父さんとリョウちゃんの父親も似たような関係らしい。

 リョウちゃんの家の前で、何度も切り返しながらのろのろ車を停めていると、しびれを切らした様子のリョウちゃんが玄関から出てきた。エンジン音で気づいたのだろうか。僕はまだ苦手な縦列駐車を中断することができて、ほっと胸を撫で下ろした。

 リョウちゃんは運転席のドアを一発蹴りつけてから助手席に乗り込んだ。


「お前はほんっとにトロくさいのう」


 ハンドルを握っているからか、流石に頭を殴られはしなかった。




『いろり山賊』、通称『山賊』は、中国地方の一部では有名なものの他では全く知られていない、摩訶不思議な飲食店だ。不思議なところはまぁ色々とあるのだが、広島と山口の県境辺り、大昔には本当に山賊が隠れ住んでいたという山奥にあるので、ほぼ車でしか行くことができない。だが、料理がやたらうまい。特に名物である、若鶏を炭火で焼き上げた「山賊焼」がマジでうまい。そんなわけで、周辺の地域ではいつからか、「車の免許をとったら記念に行く場所」となっているのだ。

 カーナビにはもう目的地を入れてある。方向音痴の僕にとっては本当にありがたい機械だ。車と一緒に借りたETCカードも挿入した。僕らの住む東広島からは、志和しわインターから山陽自動車道に乗れば、一時間半ほどで着く予定だ。



 そんな僕の初ドライブは、なかなかに刺激的だった。

 助手席のリョウちゃんは教習所の教官よりも厳しく過激で、右折でもたもたしていると太腿をバシンと叩かれ、ちょっと強引に車線変更してきた車には横から勝手にクラクションを鳴らされ、山陽道で走行車線をのんびり走っていると「おい高速道路なんじゃけ、もっと飛ばさんか!」と追い越し車線に出ることを強制されたりした。まぁでも、大方予想通りだ。リョウちゃんの運転する車に乗せてもらったこともあるけれど、それはそれでスリリングだったし。

 日が傾きかけた頃、僕らはどうにか玖珂くがインターを出た。道はどんどん暗くなり、山へ入ってぐるぐるとうねる。こんなところに店なんてあるのか、という気持ちにもなるけれど、案内看板がぽつぽつと矢印を示していた。僕自身何年も行ってなかったし、自分で運転して行くのは勿論初めてなので、なんだか妙に不安だ。リョウちゃんはさっきから、車のFMチャンネルをザッピングしてばかりいる。

 と、それまで他の車をほとんど見かけなかったのに、前方に赤いブレーキランプがいくつも並んでいるのが見えた。


「おーおー、やっぱり週末は賑わっとるのう」


 隣のリョウちゃんがダッシュボードに身を乗り出した。この車の列は、『山賊』の駐車場待ちのようだった。前の車に付いてじわじわ進みながらカーブを曲がりきると、突然目に飛び込んでくるのは、あかあかと灯るたくさんの提灯。これでやっと、『山賊』へ来たなぁと思える。周りに何もない静かな山の中に現れるこの、謎のド派手な集落。

 どうにか駐車して車を降りると、やはりだいぶ運転に緊張していたようで、全身が痛かった。肩をぐるぐる回している僕の尻を平手で叩いて、「ほら行くぞ」とリョウちゃんは先に歩いて行ってしまう。小走りに追いかけていくと、どぉん、どどぉん、と、すこぶる適当な太鼓の音が聞こえてくる。あちこちのスピーカーからはドンチャンピーヒャラとお祭り騒ぎ。

 ひときわ目立っているのは、ジャック・オー・ランタン型の巨大な提灯。クリスマスツリーみたいな背の高い木には電飾とカボチャの飾り、願い事を書いた絵馬型の紙が吊られ、その周囲には大量の鯉のぼりがぶら下がっている。


「うわぁ、滅茶苦茶じゃあ。まだ九月のはずじゃけど……」

「ま、『山賊』じゃけぇの」


 久しぶりの『山賊』に僕は完全に圧倒されていた。リョウちゃんはそんな僕の二の腕を掴んでぐいぐいと進んでいく。まずは食券を買う列に並ばなきゃいけないのだ。結構な混雑だったが、みんなうきうきとした笑顔を浮かべている。肉を焼く香ばしい匂いが食欲を刺激する。「腹減ってきたのう」と、リョウちゃんもいつになく嬉しそうで、僕もニコニコしてしまう。

 欲望のまま食券を買って席を探す。滝やら森やら城やらのある広い敷地に、屋内屋外あわせて四百席以上あるという。道中には無造作に和太鼓が置かれていたりして、子供からおじさんまで雑に叩いていく。縁日みたいなたくさんのお土産屋を通り過ぎて、リョウちゃんは橋のかかる川のそば、紅葉の木の下に赤い敷物の敷かれた席に陣取った。僕は近くを通りかかった店員さんに食券を渡してからその向かいに座ろうとして「おい」とリョウちゃんに止められる。


「あっちに茶があるけぇ取ってこんか」

「あ、うん、わかった」


 そういえばお茶はセルフサービスなんだっけ、と僕は二人分のお茶を取りに行った。まぁリョウちゃんは、ビールも注文しているのだけど。両手に湯呑を持って席に戻ると、リョウちゃんは案の定先にビールを飲み始めていた。


「今日はアキの免許祝いじゃけぇ」


 リョウちゃんは乾杯するように、飲みかけのジョッキを持ち上げた。僕もちょっとはにかみながら、湯呑を掲げる。僕のお祝いにリョウちゃんだけお酒を飲むのはよくわからないけれど、なんだか今日のリョウちゃんはとても機嫌が良さそうだ。


「リョウちゃん、そんなに『山賊』好きじゃったん?」

「嫌いな奴なんておらんじゃろ」

「まぁ、そうじゃね。僕も運転できるようになったけぇ、これからいっぱい来れるよ」


 僕がそう言うと、リョウちゃんは僕の頭のてっぺんに拳骨を振り下ろした。


「お前はなんもわかっとらんのう。こういうのはたまに来るけぇええんよ」

「そっか、ごめん」


 頭がびりびりくらくらする。嗚呼、いつものリョウちゃんだ。




 席について三十分くらいだったろうか。いよいよ料理が運ばれてくる。

 太い竹串に刺さった骨付きの鶏肉を、炭火で焼いて甘辛いタレをつけた「山賊焼」。手を付けようとしたところで、リョウちゃんに僕の皿を取り上げられた。


「俺はモモでうて手羽がええけぇアキのと交換な」


 そう言って問答無用で取り換えられた。僕はどちらでも良いから構わなかった。熱々の山賊焼は、表面はパリッと焼かれて中はふっくら、大口を開けてかぶりつけば、肉汁とタレが絡み合って喉を伝う。炭火の香り。単純で豪快で、それがうまい。旨味の張り付いた骨や筋もしゃぶってしまう。ビールとの相性も抜群だろうなぁ、とリョウちゃんが喉を鳴らすのを見ながら思うけれど、運転しなきゃいけないんだから仕方ない。

 他に注文していたものも続々とやってきた。もう一つの名物、「山賊むすび」。赤ちゃんの頭くらいあるでっかいおむすびは、丸く包まれた中にほぐした鮭と昆布と梅。満足度が半端ない上に、山賊焼と一緒に食べるのがまたうまい。そして何故か餃子もうまいし、締めのうどんがまたうまい。もう考えるより先に口に突っ込んでしまい語彙がなくなる。リョウちゃんも僕も、黙々と箸と口を動かしていた。「山賊うどん」の、あっさりしているがほんのりと甘い出汁を啜って、ようやく少し落ち着いてくる。薄切りの柔らかい牛肉も乗ったうどんは、最後までボリューミーだ。僕らのように食欲旺盛な男二人でも、これだけ食べれば腹一杯になれる。


「いやー、食ったのう」

「うまかったわぁ。久しぶりじゃけどやっぱりうまいね」

「アキ、お前途中から『うまい』しか言うとらんかったぞ」

「へへ、そうじゃった?」

「何笑うとるんじゃ」


 へらへらしていたら、また殴られた。






 オリジナルグッズがいっぱいのお土産屋をちらっと冷やかして、帰り際にどどんと太鼓も叩いて、リョウちゃんと僕は駐車場に戻ってきた。


「ほいじゃあ帰ろうか」


 僕はナビに自宅へ帰る設定をして、車を発進させた。駐車はまだ下手くそだけど、出るのは楽だ。警備員のおかげで道路に出るのもスムーズ。山道を下り始めると、先ほどまでの賑わいが嘘みたいにしん、と静まり返る。リョウちゃんも何故か、行きにはずっと流していたラジオを切ってしまうし、黙ったままだ。


「リョウちゃん、どうしたん?」

「うん? おう」


 僕が尋ねても、リョウちゃんは答えにならない返事をするだけだった。運転しながらリョウちゃんの顔色を伺う余裕は、まだ無い。とりあえず僕は、車を走らせるしかなかった。




 そんなにすぐ運転がうまくなるはずもなく、僕は行きと同じようにもたもたしていたけれど、リョウちゃんは何も言わないし殴りもしなかった。上りの山陽道に乗って走行車線をのんびり走っていても同じだった。僕は段々気分が落ち着かなくなる。運転する状況としては、本来こっちの方が良いだろうことは僕にもわかっているのだけれど。

 それからしばらくして、ようやくリョウちゃんが口を開いた。


「アキ、そこのパーキング入れ」


 そう言われて確認すると、もうすぐ奥屋おくやパーキングエリアがある。僕は「わかった」と答えて、分岐でウインカーを出した。カッチカッチという音がやけに車内に響く気がした。

 そのパーキングエリアはこぢんまりとしていたけれど、セブンイレブンと松屋の看板がビカビカと明るかった。週末の午後九時前。トラックと普通車がまばらにいるくらいで、駐車スペースは空いている。適当なところに停めようと思っていたら「奥にせぇ」とリョウちゃんが言う。トイレには遠いなぁと思いつつ、「うん」と素直に従った。周りに車がいない方が、初心者には停めやすいに決まっている。

 エンジンを切ってしまうと、車の中は一段暗くなり、ただただ静かで、僕はとりあえず運転席から出ようとドアに手をかけた。でもドアを開くより前に、リョウちゃんが僕の顔を掴んで強引に引き寄せる。唇がぶつかるみたいなキス。リョウちゃんの舌がねじ込まれて、僕の口をこじ開けていく。並んだ歯を、顎の裏をなぞって、僕の舌を絡めとる。嗚呼なるほど、と帰り道のリョウちゃんの様子に納得しつつも「ま、待って」と口の端から唾液を垂らしながら僕は言う。


「なんじゃ、止める気はないぞ」

「するのはええけぇ、ラブホとか入らん? 高速沿いならだいたいあるんじゃけぇ、言うてくれたら降りたのに」

「わからんのんか。ここがええんじゃ」

「待って、親の車汚せんて。ほいじゃあ僕、口でする。それじゃいけん?」

「お前が汚さんかったらええ」


 リョウちゃんが首筋に嚙みついた。思わず僕は声を上げて体を震わせる。


「口だけで済ませるわけなかろうが。アキが俺のも、お前のも、こぼさんかったらええ。そうじゃろ?」


 耳元で低い声が囁いて、後ろで縛っていた僕の髪がほどかれた。ぐしゃぐしゃと髪を乱された中に、リョウちゃんの顔が寄ってきてスン、と嗅がれた。


「炭の匂いでシャンプーの匂い、割と消えとるのう」


 リョウちゃんがつまらなそうに言って、運転席のシートを倒した。貧相な胸の突起をぐいと摘ままれ、リョウちゃんの膝に股間を圧迫されながら、シャンプーのことを思い出す。そろそろ詰め替えを買わなきゃいけないんだった。

 数か月前だったか、ゴムを買いに行ったドラッグストアで、リョウちゃんは急にシャンプーとコンディショナーのセットも買って僕に「使え」と渡してきた。それはフローラル系の香りのする、明らかに女性向けという感じのシャンプーだったのだが、素直に使ってみると伸ばした髪にもちょうど良く、リョウちゃんは僕の頭を嗅いでにやにやするようになった。まぁ、髪を伸ばしているのも、リョウちゃんに言われたからなのだけれど。

 いつものように後ろから挿れられそうになって、僕はまたリョウちゃんを引き留めた。


「待って、これ絶対シート汚れる」

「はあ? じゃあどうするんか」

「……僕が、上でする」


 僕が言うと、リョウちゃんは目をギラつかせながらにやりと笑った。


「できるんか」


 僕はうなずいて、仰向けになったリョウちゃんの上に跨った。自分から迎え入れるのって、もしかして初めてだっけ。

 車の中はやはり狭い。そんなに体の大きくない僕でも、体をかがめなきゃ頭を天井にぶつけてしまう。いや、そもそも車はそういう用途で作られていないというのは、重々わかっているつもりだ。

 上からみるリョウちゃんの顔は、なんだか不思議だった。リョウちゃんってこんな顔もするんだ。火照って、余裕が無さそうで、ちょっと切なげで。抱かれているときの僕は、体の感覚に振り回されてリョウちゃんの顔を見る余裕なんてなかったり、そもそもバックだと見えなかったりするものだから。


 リョウちゃんと僕は恋人ではない。ゲイかどうかも、よくわからない。だけどこうしてセックスしている。

 初めてはそう、高校生の時だっけ。僕みたいなのに告白してくる珍しい女子がいて、初めてのことだったからつい、リョウちゃんに相談してしまったのだ。物心ついたときから、僕らはずっと一緒だったから。

 それを聞いたリョウちゃんは、なんだかものすごく怒り狂って、僕を殴りまくった挙句押し倒した。ほとんど強姦といっても良かったと思う。初めてのセックスは散々で、体も制服もどろどろに汚れて大変だったし、なによりめちゃくちゃ痛かった。昔から殴られたり蹴られたりしていたから痛いのには慣れていると思っていたけど、あれは全く別の痛みだった。「なんでこんなことするん?」と泣きながら尋ねても、リョウちゃんは絶対に答えてくれなかった。

 それでも僕は、リョウちゃんから離れなかった。リョウちゃんと一緒にいるのが当たり前すぎて、他にどうしたら良いかわからなかった。リョウちゃんの方がそんな僕に戸惑っている気配すらあったけれど、そうしていると後日、今度はものすごく優しく僕は抱かれた。その結果、僕もセックスは気持ちいいのだということがわかって、こういう関係が今まで続いている。


 僕だってこれが世間的に普通のことだとは思っていない。でも僕自身がもう普通じゃないから仕方ないんだと思う。リョウちゃんに叩かれて、殴られて、蹴られて。そういうときに僕は安心してしまう。たぶんこれが「好き」ってことなんじゃないかと、錯覚してしまうほどに満たされてしまう。セックスと同じくらいに。

 だけどそんなことを言ってリョウちゃんから離れられたら困るので、何かとぼんやりしている自覚のある僕だけど、これだけは言わないようにしている。




 親に借りたミニバンの中で腰を振って、リョウちゃんと僕は二人とも果てた。僕の作戦が功を奏し、シートはほとんど汚れずに済んだはずだ。自分の穴から漏れてくるのをティッシュで拭きとって、リョウちゃんの腹の上で混じり合う白濁液は舐めとった。そこまで済ませたところで僕はもうぐったりとしてしまって、いつの間にか寝てしまっていた。






 目を覚ますと、僕は何故か助手席にいた。自分で履いた記憶はないけど、下半身にも服を着ている。寝ぼけまなこで運転席を見ると、リョウちゃんがスマホをいじっていた。外はもう夜が明けているようだった。


「おう、起きたんか。よう寝とったなぁ」


 僕は目をしばたかせ、首を傾げながら、とりあえず「おはよう」と言った。すると不思議なことに、リョウちゃんに頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。そういえば昨日髪を縛っていたヘアゴムは、もうどこにあるかわからない。


「一応アキの免許のお祝いじゃけぇのう、帰りは運転しちゃるわ」


 僕がびっくりして目を見開いていると、「何ちゅう顔しとるんか」と小突かれた。


「しかしまずはどっかで風呂でも入りたいのう。まぁ適当に走らすけぇ寝たかったら寝とけぇや」


 最近のリョウちゃんはよくわからない。ときどきこうやって、僕に優しくする。それは僕らが「普通」になってしまうみたいで怖い。だから僕は、わざとリョウちゃんが怒るようなことを言ってみたりする。


「リョウちゃんの運転で寝られるかねぇ」

「何やと?」


 パン、と頬を叩かれて、ようやく僕は安心する。

 僕はまだ、このままで良い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

従服姿勢 灰崎千尋 @chat_gris

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ