よく行く街の喫茶店

井上 幸

(短編)

よく行く街の喫茶店きっさてん


かちゃり、ととびらを開けてみる。

シャラシャラ揺れるベルと共に、やわらかい声が出迎える。


「いらっしゃいませ」


小さく会釈えしゃくを返して右へと進む。

左も席があるけれど。

君は右が好きだから。


こぢんまりした店内が、今日は僕らの他に1組だけ。

楽しそうな会話が向こうから。

僕らのいつもの定位置ていいちは、暖炉だんろを囲むカウンター。

君はヒトとの距離に敏感びんかんだから、にぎやかな彼女らが少し遠くてホッとした。


「何にする?」


最近の君のお気に入りな、珈琲コーヒーフロートをチョイスするには外がちょっと肌寒い。

そんな僕の想いをみとって、君はちょっぴり苦笑にがわらい。


「私、これ」


君がぴしりと指差すは、『なつかしの喫茶店メニュー』とやら。

その名も『ハニー・ミルクカフェ・コン・レーチェ』。


「え? 聞いたことないな。美味おいしいの?」

「私も聞いたことないよ。でも、甘くて美味しそう」


楽しそうな君の横顔に、僕までほおゆるんでしまう。

ハニーとミルクの文言もんごんに、君の心はとらわれてしまったみたい。


「お決まりですか」


と決まり文句で問われれば、きらきら笑顔で君が答えるけれど。ちらりとよぎる嫌な予感。


「同じにする?」


悪戯いたずらっぽく笑う君。思わずデコピンしちゃいそう。

落ち着け。さすがにここで、それは恥ずかしい。

ひとつにらんで急ぎ言う。


「僕は珈琲フロートで。あと、この豆ください」

「豆のまま?」

「はい、豆のまま」

「かしこまりました。少々お待ちくださいね」


この店のマスタは、隣の小屋ログハウス焙煎ばいせんもやっている。

豆が無くなったのを口実に、ここで美味しい珈琲飲んで。

家では君が淹れてくれる。そんな休日。


「フロートなんて、寒くない?」

「先週、すごく美味しそうだったから。今日はこれって決めてたんだ」

「ふーん。そう?」


ちょっと我慢がまんする僕に、くすくす笑う君の声。

カウンターでは、ぽたり、くるくる、水出みずだし珈琲が踊ってる。

実験器具みたいなその姿、眺める時間は贅沢ぜいたく気分。

目の前には所在しょざいなさげな暖炉が見える。


厨房キッチンでは、何やら珈琲フロートのアイスのすくい方でめてる様子。

何処どこから取っても良いじゃない、という主張のお母さん。

いやいやそれだとコストがね、とさとす息子さん。

マスタはまぁまぁ、やれやれ、と。

喧嘩けんかするほど仲が良い』の見本みたい。


ぼんを持ったマスタが、僕らの方へ来てくれた。


「お待ちどうさま。ごゆっくり」


去りぎわ聴こえ始める鼻歌に、君と目が合いにやけてしまう。

まったり。ゆったり。流れる時間。

幸せだなぁと、そう思う。


「甘ーい。幸せ」


君がそうっとつぶやくから。

いつかこんな場所を持てたら良いね、とんでみる。


***************



よく行く街の喫茶店きっさてん


時々ときどき聴こえる鼻歌に、ついついニヤける君と僕。

今日のマスタは上機嫌じょうきげん


まったり。ゆっくり。流れる時間。


今日のカップは『ジノリ』かな、『ナルミ』かなって話し合う。

厨房キッチンは親子3人、喧嘩けんかしつつも楽しげで。


珈琲コーヒーの、香りにつつまれ夢を見る。


君と僕との”いつか”の形。

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よく行く街の喫茶店 井上 幸 @m-inoue

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