私の書き方

北海ハル

第1話

 複数、くだらない話を書いてきてこんな事を言うのもアレだが、私はどうも無から話を生み出すのが苦手なようだ。


 これはもう、どうしようもないのである。子供の野菜嫌いと同じように、いくら頭を捻ったところで矯正しようのない、ただ漠然と生まれた事実なのだ。


 完結された作品は全て短編であるのも、それが理由である。

 ポっと出てきたアイデアを忘れぬうちに書き殴り、心情的な躊躇いが出る前に世へ晒すことで形に残す。短編であればそれができるから、私は辛うじて物書きとして息をしているのだ。


 ところが長編になるとそういうわけにもいかない。

 ちくちくと書いては、やれ前話との噛み合わせがよろしくないだの、やれここと最初が矛盾しているだのと考えるうち、だんだんと自分がどんなものを書きたかったのか見失ってしまうのだ。


 多くの人は書くにあたって根幹となる主題を固めてから取り組むのであろうが、私はどうも違うようで、「あっ、こんな文章が書きたい」というところから始まる。


 例えば周りが「こんな話を書きたい」から始まるのに対し、私は「こんな文章を書きたい」から始めてしまう。これでは主題もへったくれもあったものではない。


 文章に左右されてしまうから全景がガタガタになるのは目に見えているが、どうにも「こんな文章を書きたい」という欲求からは逃れられない。

 しかも困ったことに、あとからよくよく見返してみればそんな文章も大して面白くないことが多い。


 こんな事を繰り返していると、いつか自分の文章に嫌気が差してしまいそうで、いつもヒヤヒヤしながら妄想を肥大させている。


 これは初めに説明した「矯正しようのない、どうしようもないこと」と同じで、一から自分で手を付けるのはキライなのだ。

 別に一から始めた事に難癖を付けられるのが嫌だとか、今更そんな小さな事にビクビクしているわけではない。


 本当に、大きなモノを想像するのが苦手なだけなのである。


 〇


 そもそもアイデアというのは、小さな一つ一つを少しずつ重ね合わせて、ようやく大きな主題へと進化するものだと思う。

 そこから枝葉が付き始めて、はじめは捨て置いていたアイデアも道中で拾い上げては枝葉に付け加える事もあるだろう。

 だから世の中には傑作が多い。


 私の文章に傑作と呼べる作品が無いのは、要するに小さなアイデア一つで話を構築しようとしているからである。


 普通はそうして生まれた大きな大樹の全景を見て、少しずつ形を整えてから世に広めるのだろうが、やはり私にはそれが無理なのだ。

「書いてしまった以上、早いところ人目に付かせてやりたい」

 自己中心的感情と顕示欲が前面に出てくると、もう止められない。あとはもうなるようにしかならないのである。


 校正もされていない文章を世に出して、大して人目にも付けられず、「ああ、俺ってば、やっぱり才能無いんだな」と落ち込む日々を送ってはまた同じ事の繰り返しで、誰かに脅されでもしないと変えられない形になってしまった。


 何をどうすれば現況が変わるのか、それは前述したところにあるのは理解してはいるものの、それはやっぱり変えようのないどうしようもないところだから、下手に触ると私の執筆活動そのものをぶち壊してしまいそうで恐ろしい。


 そのため私は短編を書き殴り、校正もせずに稚拙な文章を世に送り出しているのだ。


 結局この文章も何を言いたいのか分からなくなってきている。既に問題が露呈しているが、もうどうしようもない。


 と、書き殴ってきたこの文章を特に校正もせずに世へ送り出そう。

 私の心情的に、さして反省の色もないので、このまま破滅する私を楽しみにしておいてほしい。

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