第131話 王子の手紙

「あの子なら裏の畑を耕してるよ」


 アルテンジュの手紙を携えたイーキンがドゥシュナンに会いに家を訪ねると、家には誰もいなかった。そこから周囲を見渡して目に付いた女性に声を掛けたところ、ぶっきらぼうな言葉ながら、表情はにこやかに教えてくれた。その通りに家の裏手に回り込めば、抜けるような天色の空の下、ドゥシュナンが牛にすきを曳かせているところだった。

 イーキンが声を掛けようと近づくと、先に気付いたのはドゥシュナンで、すきから手を放してイーキンにのんびりと歩み寄ってくる。牛はどうなるものかと見ていれば、少し歩いた後にやがて止まり、腹を地面に付けて寝そべった。


「イーキンさん、デルヤさん、お久しぶりです」

「やあ、ドゥシュナン君、久しぶりだね」


 イーキンはいつも通りに挨拶し、デルヤは愛想の良い笑顔で応えた。


「今日はドゥシュナン君へのお手紙を預かって来たんだ」

「お手紙、ですか? それをわざわざイーキンさんが?」

「うん。まあ、色々あってね。ともかく目を通してみて欲しい。あ、出来れば手を洗ってから」


 手紙を受け取ろうとしたドゥシュナンのその手を見て、イーキンは慌てて手を引っ込めた。差出人は仮にも王族である。手紙が汚れて判別できない文字が出てしまうことは防がなければならない。


「では、家に戻って読みましょう。お二人にも何か飲み物をお出ししますよ」


 大きくも小さくもない灰色のレンガで作られた簡素な家。ドゥシュナンはひなびた木の机と椅子を部屋の隅から運び、3人は腰かけた。明り取りの窓は大きいが、その為に室内の陰影はハッキリしている。

 イーキンがそれとはなしに目で追っていると、今度はかまどの上の鍋から不格好な陶器のコップに液体を注ぎ、二人の前に並べて置いた。辺りにはかすかにリンゴのような匂いが漂う。


 ドゥシュナンは、出来るだけ紙が傷まないように丁寧に封を開けて手紙を読み始めたが、明るさが足りなかったのか、椅子ごと移動して目を通している。その表情は視線が進むにつれて徐々に暗くなり、読み終わった頃には、さもつまらないといった風だった。


「何と書いてあったんだい?」


 イーキンがゆっくりとした口調で問いかけると、ドゥシュナンはそれには答えず、「どうぞ」と、退屈な表情で手紙を返す。

 作り置きされたカモミールティーとその態度に少年の心の状態を感じ取った彼は、特に返事をするでもなく手紙を手に取り、一言一句間違えぬように視線を這わせる。

 曰く、我はハリト王の末子にして正統な後継者、アルテンジュ・ハリカダイレである。

 曰く、ケレム・カシシュ一党は天下の大逆人である。

 曰く、大逆人を討伐するために一も二もなく我のもとに集え。

 曰く、ケレム・カシシュはビルゲ・ギョゼトリジュと同様に14氏族をこころよく思っておらず、早晩、力ずくで服属を迫るだろう。

 曰く、大陸再統一を成した暁には、功のあった者は特別の臣に取り立て、向こう50年は税や労役の減免を約束しよう、云々。


 それは、おおよそ想像した通りであり、利に聡い者には有効とも思える内容だったが、自ら代表の座を捨てるようなドゥシュナンや、有力家のクルマザによる支配体制に疑問を持つイーキンにとっては、心が動かないものだった。一部の有力家による氏族への侮蔑も今更言うまでもないことである。


「ところでドゥシュナン君――」

「僕は戻るつもりはありませんよ」


 イーキンの言葉を予想していたのか、彼が言い終わるのを待たずに冷たく突き放した。


「……しかし、君がいなくなってからというもの、メティン殿が頑張ってはいるが議会はどうにもよくなくてね。デニズヨル側の議員たちはお金の管理は上手なのだけど、町の治め方は知らないんじゃないかと思える。もっとも、今の情勢では、私も何をすればいいのかなんて、分からないけど。君ならどうする?」

「町の運営は今の方向性で大丈夫だと思いますよ。問題は立ち位置で、アバレ家には……あ。……その手には乗りませんよ」


 これではほんの少し前までと何も変わらないではないか、こうして否が応にも人の生き死にに関わってしまうのかと、また裏切られるのかと、ドゥシュナンは口を真一文字に結び首を振るのだ。


「すまなかったね。ただ、今は何をするのが北部の民のためにいいのか、さっぱり分からない。君のように幅広い知識を持っている人間が必要だと痛感しているよ。もう一度力を貸してくれないだろうか」

「駄目なものは駄目です。お引き取り下さい」


 イーキンはこうなることを分かっていたようで、鰾膠にべも無い答えに悄然しょうぜんとするでもない。


「ドゥシュナン様、先ほどの牛の様子はいかがですか? 俺はあのままどこかへ逃げてしまわないかと心配なんですが」


 デルヤはデルヤで畑の牛のことがどうにも気になる様子で、イーキンの勧誘が終わったと見ると、確認を促した。


「あ、そうでした。じゃあ、僕は畑に戻りますので」

「うん。邪魔して悪かったね。この手紙は君宛だから置いていくよ」


 イーキンがカモミールティーを飲み干して席を立つと、男3人、ぞろぞろと外に出てそれぞれの場所に戻っていく。

 ところが、畑に戻ったところでドゥシュナンは立ち止まり、やおら振り向いた。


「イーキンさんと一緒に帰らなくて良かったんですか?」


 何食わぬ顔でデルヤがついてきていたのだ。


「ああ、なに、ちょっとした用事があったのを思い出しましてね」

「用事?」


「用事というほどのものでもないけど、俺はドゥシュナンにお礼が言いたいんだ」

「なんのお礼か分かりませんけど、お礼なんて別にいりませんよ」


「そうだろうと思っていたが、どうしても言わせて欲しい。俺や俺たちダルマク族はドゥシュナン君たちがいたから今があるんだ。昔と変わらずバルクチュ様の言いなりのままだったら、今頃、カシシュ家かギョゼトリジュ家によって、もっとひどい目に遭っていたかも分からない。物知りの君なら知っているだろう? あの2家の領地では、氏族を名乗ることも許されていないって」


 デルヤはドゥシュナンの無表情な顔をじっと見ながら、その反応を待たず、滔々とうとうと語る。しかし、締めくくりは言い回しでも考えたのか。少しの間を置いて口を開いた。


「だから、ありがとう。君はダルマクの恩人だ」


 そこまで聞いても、ドゥシュナンの表情に特別な色はない。それは、退屈や不満が顔に表れているわけでもないということだ。

 じっと見られ、じっと耳を傾けている。


「ダルマクの恩人であると同時に、マビキシュとイネキ、それにデニズヨルやデブラーチェニス、それ以外の北部の住民にとっても恩人じゃないかと俺は思ってる」


 そしてドゥシュナンは感情もなく反論する。


「僕なんてそんな大それたものではないですよ。すべて図書館で読んだ本のお陰です」

「俺が素晴らしいと思うのは、正しくそこだよ」


 この会話でドゥシュナンは初めて表情が出た。顔をしかめ、小首をかしげたのだ。それがなんだと言うのだろうと。


「君はデニズヨルの図書館でいったい何冊の本を読んだ?」

「えっと、3分の2くらいは……」

「それは凄いなあ」


 そう言ってデルヤは目を細め、眩しそうに遠くの空を見る。すぐに少年に目線を戻し、彼は話し続けた。


「普通はそんなに本を読まないんだ。それは並大抵のことではない。でも、何よりも俺が凄いと思っていることは、読んだ本の知識を使えることだ。知識を使って考えられることだ。実行できることだ」

「それって、みんなやってることなんじゃないですか?」


 きょとんとした顔でドゥシュナンが聞くと、デルヤはぶんぶんと大袈裟に首を横に振って答える。


「違うんだよ」

「違う?」


「そう、違うんだ。俺なんかは、まず本を読むのが難しい。そして内容がほとんど頭に残らないから使えないし、ただ読むだけで考えられもしない。つまり、ドゥシュナン君は素晴らしいんだよ。なんていうか、こう……、素晴らしいんだ」

「何ですか、それ」


 身振り手振りも交えてどうにか伝えようともがくデルヤの様子に、ドゥシュナンは思わず笑みをこぼすも、しかし、次の瞬間には真剣な表情になったデルヤがドゥシュナンを見る。


「だから、……君は無責任だ」

「ど、どうして!? 僕のどこか無責任だっていうんですか」


 声は上ずり、視線が泳いでいる。ドゥシュナンは思ってもいない言葉を投げかけられ、明らかに動揺した。


「人と異なる能力、それも優秀な能力を持つ者は、他の人々を導くべきだ。もちろん、タダではなくしかるべき地位と財と、そして尊敬を他の人々が提供した上でのことだけど。俺はそんな風に考えているから、君のように優秀な人間が、我々を助けもせずに安穏と過ごしていることに憤りを感じるし、俺たちの尊敬が足りなかったのではないかと情けなくもある」


 ドゥシュナンはそれを聞いて、初め何かを言おうとしたが、口を何度か虚しく動かした後は、ただ唇を噛みしめていた。もう、牛のことなどすっかり忘れて。


「セルハン様もイーキン様も、エンダー様にも、たまには顔を見せてあげて下さい。みんな楽しみに待っているはずですから。それじゃ、俺も帰ります。話を聞いてくれてありがとうございました、ドゥシュナン様」

「……うん」


 デルヤの背中を見送った後、ドゥシュナンは辺りを見回した。すると牛が小川で喉を潤していたところを見つけ、すかさず小走りで近寄る。

 そのとき、先日の大きなフクロウを見かけたが、ドゥシュナンと目が合うと、じきにどこかへ飛び去ってしまった。

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