第130話 巡る

 王都ユズクとアチク平野での奇襲を成功させたケレム・カシシュは、北部軍の指導的立場にあるドゥシュナン、イーキン、セルハンを取り逃がしはしたものの、その後、次々と弑逆側有力家の領地を掌握していった。

 ゼキ・イスケレは首謀者のビルゲ・ギョゼトリジュと手を切り、ユズクからギュネシウスへ遁走しているところをカシシュ兵に襲撃され敗死。アルテンジュが開発している集落から北へ120キロほどの未開拓地での出来事だった。

 当のビルゲ・ギョゼトリジュは自ら治める港湾都市アイウスに逃げ帰ることに成功するも、10月にはギュネシウスの海軍を掌握したカシシュ家により、民も兵士も関係ない激しい砲撃にさらされて多くの建物が被害に遭った。損壊した建物の中には当然、軍の詰所やギョゼトリジュ家の城館も含まれており、防衛機能をほぼ失ったアイウスは無条件降伏に至る。

 くして仮初かりそめの王は後ろ手に縛られてケレム・カシシュの前に引き摺りだされることになった。


「ビルゲ殿、お久しぶりですね」


 ケレムは紺色のベルベットが貼られた豪奢な椅子に腰かけ、取ってつけたような笑顔で膝をついたビルゲを見下ろす。しかし、その足は組まれ、肘掛けに頬杖をついており、表情と態度はあべこべだった。

 左右の兵に猿轡さるぐつわを外されたビルゲが口を開く。


「おのれケレム! なぜ裏切った!」

「おやおや、先に裏切ったのはビルゲ殿ではないですか」

「私が裏切っただと!?」

「そうですよ」


 ビルゲは身に覚えがないという表情で目元を歪め、ケレムは相変わらず笑顔を絶やさない。


「どう裏切ったというのだ! まったく分からん」

「初めはね、あなたに期待していたんですよ。あの優しいだけが取り柄の惰弱だじゃくなハリト王を打倒して、自ら王になろうなどとはなかなか骨のある御仁だと。あなたならこの緩み切った王国を変えられるんじゃないかと」

「……」

「だが、あなたは違った。王をしいすることだけを考えていただけの人間だった。先のことを考えていなかった。その証拠にショバリエ、ソルマ、オドンジョ、アバレはおろか、蛮族どもへの対策もろくにせず、ただユズクに駐留し続けて起きたことに対応するだけになってしまった」

「奴らもいずれ討伐するつもりであったわ」

「それはいつですか? 玉璽ぎょくじも見つけられず、無為に過ごしていただけでしょう?」


 ケレムの笑顔は変わらず貼りつき、彼より20ほども年上のビルゲは、徐々に声が小さくなっていく。


「だから、私はあなたに失望した。裏切られた」

「それで北部に近づいたのか」

「その通りです。デニズヨルというこの大陸屈指の大都市を、大した被害もなく手中に収めた者がどのようなものかとても興味がありましたから」


 ケレムは頬杖をやめて足を組み替え、膝の前で指を組む。


「しかし、彼らも理想の王ではなかった。私はこの国に真なる王はいないのかと絶望しましたよ」

「それで、裏切りに裏切りを重ねたお前が王になろうというのか。民が支持しないであろうな。それに私は知っておるぞ。お前が実の父を殺したことを」

「それがどうしたというのです。国を統べるのに必要なのは、圧倒的な武力と情報を操る能力です。それがあれば民草の支持などどうにでもなりますよ。印象のいい情報だけ流し、従わない者は武力で脅せば良いのです」

「それがお前にできるとでも?」

「出来ますよ」

「ふん。見ものだな」


 ビルゲ・ギョゼトリジュはその日のうちに処刑された。

 最後の面会も、処刑を検分した際も、ケレム・カシシュは終始穏やかな表情だったという。


 瞬く間にエコー大陸の3割を掌握したケレム・カシシュだったが、旧クルマザの面々に建国への協力を依頼する書簡を送った後は、ピタリと動きを止めた。

 その間、南部のアルテンジュは東からの侵攻に対応するための砦と集落を着々と作り続け、北部のセルハンとイーキンはデニズヨル周辺に土塁と堀で囲まれた砦をいくつも築き、デニズヨル南町の周囲をも取り囲む長大な土塁と堀の建設にも着手し始めた。

 しかし、それは全て防衛のための策であり、ハリト王の殺害に加担し、王の目指した融和政策とは方向を異にするケレムを討滅するための方策はなかったというのが実情だ。いずれの勢力も決定打を欠いた平和な睨み合いが続き、情報の入手、偽情報の流布、集落単位での内応工作などの情報戦が活発になり、主要都市では様々な噂が好き勝手に囁かれるようになった。


 ケレム・カシシュがハリト王の仇を取った英雄だと褒め称える噂と反対に残忍な親殺しという噂、南部勢力はハリト王の血脈が指揮を執っているという噂、ショバリエ家とソルマ家がユズク攻略の準備をしているという噂、デニズヨルでは税金が安いという噂、北部勢力は年端もいかない子供が率いているという噂、今もって立場を明らかにしていないアバレ家がヒ大陸の帝国か、はたまたハレ大陸の神聖リヒトを引き入れようとしている噂、ケモノを見たという噂……


 混沌としながらも秩序が模索されていた中、デニズヨルを訪れる者があった。


「久しぶりだな、イーキン」

「お久しぶりです、兄上」


 南部の有力氏族の一つ、オルマンユユのタネルが自らイーキンに会いに来たのだ。


「息災か?」

「ええ、お陰様で。兄上の方こそご壮健のようで何よりです」


「流石に40も半ばを超えているからな、見かけだけだよ」

「ご謙遜を。……ところで、本日はどんな用件でこちらに? まさか、いつどこで戦が起こってもおかしくない状況で、族長の立場にある者が、ただ身内に会いに来たというわけでもないでしょう?」


 二人は、今や町役場の一つとして大いに活用されている旧バルクチュ屋敷の一室で再会を喜んでいたが、ただ顔を見て話をするだけなら部屋を借りずに、屋敷の庭を解放した公園でも良い。部屋での面会を希望したのはタネルであり、そこに特別な用事があると思うのは必然であった。


「うむ、では率直に言おう。我ら森の民と丘の民は、そちらと手を組みたい。そのために代表のドゥシュナン殿と引き合わせて欲しいのだ」

「生憎とそれは叶いません」


「なぜだ?」

「ドゥシュナンはすでに代表の職を辞しております」


「では、今、町を取り仕切っているのは?」

「代表はエンダー・バルクチュ殿です」


「バルクチュだと!? なぜ有力家が未だに仕切っておるのだ!」

「兄上、落ち着いてください。エンダー殿はフェリドゥン・バルクチュとは別の、商人の家系です」


「そうか。すまん」

「そのエンダー殿でも、お一人で決められる権限はありませんので、実質的にはデニズヨル議会が仕切ってますよ」


「なんと。それでは議員全員を説得しなければならないではないか」

「……ところで、その協力関係は我々にどのような利点があるのでしょうか?」


「どのような利点? 決まりきったことを聞くな。ギョゼトリジュ家が滅んだとはいえ、慈悲深きハリト王を殺害した逆賊の一派は未だにその勢力を保持しておる。我らが組むことでそれを南北から挟み撃ちに出来るのだ。イーキンならば分かっておるだろう?」

「それ以外には?」


「むむむ……。こちらは第6王子のアルテンジュ様が率いておられる。カシシュ家の討伐で手柄を立てれば、デニズヨル議会に下賜される領地も増えるだろうな」

「恐れながら、それではデニズヨル議会は賛成しないと思われます」


「ふむ。それは、なぜだ?」

「兄上が言っているのは武人にとっての利益です。議員たちの殆どが商家であることを考えると、商売をする上の利得がなければ首を縦には振らないでしょう」


「そうなると、……何も思い浮かばんな。イーキンが商人ならば我らに何を要求する?」

「喉から手が出るほど欲しいのは需要があるものの専売権でしょうね。特にドゥザラン島を始めとした小麦や、アイウス、グンドウム、或いはビュークバルク族やウチャン族などの塩は必ずデニズヨルの商人組合を通さなければならないとなれば、賛成は必至かと思います」


「そのようなことで良いのか」

「そのようなことと簡単に言いますが、この大陸の者が毎日のように口にするパンは小麦から出来ております。軍の携行食のユフカも同様。そう考えれば、どれだけのお金がこちらに転がり込むことになるかお分かりでしょう」


「それはまずい。小麦の値段をつり上げられては困る。他に案はないか?」

「生憎と私には思い浮かびませんし、いかに兄上とて、こちらの手の内を明かすわけにもいきません。一度戻り、アルテンジュ様にご決断頂いてから、再度、お使者をたてられるのが良いかと」


「うむ。そうしよう。今回は引き揚げるが、実に有意義な話が出来た。流石は我が弟だ」

「私も久しぶりに兄上にお会いできて嬉しい限りです」


「おお、そう言えばアルテンジュ様からお預かりした書面だがな、ドゥシュナン殿に宛てたものなのだ。このまま廃棄するのは忍びないゆえ、お前からドゥシュナン殿に渡してもらえないか?」

「王族の方からともなれば渡さないわけにもいきますまい。謹んで」


「うむ。頼んだぞ。ではな」

「はい、兄上もどうかご壮健に。帰りもアイナに寄られるのですか?」


「うむ」

「であれば、港まで見送りましょう」

「悪いな」


 船に乗り込む兄を見送り、イーキンは深くため息をいた。ドゥシュナンはなぜこうも巻き込まれてしまうのかと。

 これをなかったものにしてしまうのは簡単にできるが、その後のことを考えれば容易ではない。特に南部勢力が主導的な立場でケレム・カシシュを討った場合には、手紙を紛失してしまったなどという言い訳は通用しない可能性がある上、そのせいでドゥシュナンに火の粉がかかるおそれもあるのだ。


 イーキンはセルハンとエンダーに事の次第を報告したのち、兵士1名をお伴に、重い足取りでイネキの集落へと歩き始めた。

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