第99話 芽吹きの音

 デニズヨルには朝からしとしとと雨が降っていた。島の民たちが北町の役場と詰所を占拠してから4週間。町には特に目立つ動きは無い。

 南町の詰所では雨樋あまどいを通ってきた雨垂れの音と、地面に跳ね返る雨音を背景に、久しぶりの南北衛兵長会議が行なわれていた。


「して、イゼット殿。ご領主様はなんと言ってきたのだ?」


「ご領主様、と言うよりは将軍からの通達という形にはなりますが、昨日、戻ってきた伝令のげんによれば、『兵を割けぬ故、そちらだけで奪還せよ』とのことです」


「なんと!」


 バリスは目を見開き、両手を机に叩きつけながら勢いよく立ち上がる。


「ええ、本当に信じられませんよ。兵を戻すからそれまで待機せよ、でもなく、奪還せよ、ですからね。敵方500人に対しこちら200人、正気の沙汰とは思えません」


 イゼットも不満を明らかに、怒気の混ざった声で同意する。


「バリス殿から伝令を出したデブラーチェニスの町は如何ですか? 返答はありましたか?」


「散々待たせた挙句、向こうも兵は出せないとのことだ。どうやら、あちらも警戒をしなければならなくなっているようでな。戦闘になったことはないが、400人くらいの武装した集団が近くで度々野営をしているらしいのだ」


「400人……となるとあちらの残存兵と同じくらいですよね。こちらと違って城壁があるから、守るには容易たやすいが、迂闊に外で交戦すれば大きな被害が出かねない、そんなところか。奴らめ、よく考えたものだ」


「ふむぅ。これはいよいよ覚悟を決めなければならないのではないか? だが、そもそも銃を持たぬ我らがどうやって銃を持った相手に勝ち、施設を奪還できるというのか。全く見当もつかぬが」


「ですね。私もどうにも……。ところで北町の様子はどうですか? 何か新しい情報でも入ってきましたか?」


「それがのう、何も変わったところはないのだそうだ。役場の業務はエンダー殿が提供してくれた建物で事足りておるから不便はないし、占拠している連中は住民に手を出しておらぬようだ。治安のために警邏けいらの真似事も行なっている。或いは4週間前より住民に支持されているやも知れぬな」


「本隊からの指示もその辺りのことを踏まえてなのかも知れませんが、しかし、兵も送らずに奪還せよとは……。あ、ところで向こうは相変わらず兵の入れ替えを?」


「うむ。律儀に3日で交代しておるな。今日も交代したと言うから、予定通りであれば、明々後日にまた交代であろうよ」


「では、――という作戦はどうでしょうか」


「それは……。だが、他に思い付かぬ以上、貴殿の作戦でやってみるしかあるまい。奪還の指示を無視するわけにもいかぬし」


「そうと決まれば、細部を詰めて2日後に決行と参りましょう」


「ああ、彼らと我らの死にナハトの安寧のあらんことを」



 ドゥシュナンとイーキンは、ルトフの長に付き添い、北町の詰所に来ていた。例の得体の知れない男も連れて。デニズヨルから連れ出したときは荷車で運んだものだが、今は体調がよくなったのか、イーキンが手を引けば歩いて付いてくるようになっている。相変わらず左手に何かを抱えては虚ろに虚空を見つめ、時折、在るはずのない本を読み耽り、そして1日に片手で数える程度、何かの単語のようなものを呻いている。この男のことについてイーキンはまだ名前すら教えてくれないが、ドゥシュナンは回復するまで待っているのではないかと思っていた。


 三人、いや四人は当初、昨日さくじつに様子を見に来る予定だったのだが、雨と街道の泥濘ぬかるみにより、到着が遅れてしまい、不安が頭をよぎっていた。しかし、到着してみれば北町の状況は聞いていた通りの良好な状態である。住民は普段通りに生活を営み、警邏けいら番と住民が気軽に挨拶を交わす。バルクチュ兵からの攻撃もない。当初思い描いていたより良好な状況に、ルトフの長、それからイーキンとドゥシュナンは上機嫌の内に、ルトフの長は役場に、残る三人は詰所に宿泊した。


 そして二日目。その日も朝から四人で町を歩いていたのだが、急に振り始めた雨により視察を中止し、イーキン、ドゥシュナン、それから得体の知れない男は詰所に戻った。イーキンは「役場に行ってくる」と言い残し出ていってしまったため、突き出し窓を目一杯開けて周囲を警戒している詰所番の男たちとは対照的に、誰とも分からぬ男と二人、ドゥシュナンは2階で呆けていた。


「ア……、ア……、……ザー…、…………スタ、……マモ…………」


 男は相変わらずだ。そこに本でもあるかのようにページをめくり、たまに聞き取れない声量で呟く。だが、今日はいつもよりお喋りかも知れない。ドゥシュナンがそう感じたとき、詰所が慌ただしくなった。


「第三港の近くで若者の集団による大規模な喧嘩が発生した模様です」


「何人くらいだ?」


 そんな会話が耳に入ってくる。こんなときでもドゥシュナンは、こんな雨の日は喧嘩などせずに図書館で本でも読めばよいのにと、呑気に思う。

 バタバタと沢山の足音が出ていったあと、1時間ほどでまた足音が入ってきたが、どうやら特別に血気盛んな若者たちがなお、暴れ足りない様子で、その後も1回、同じように詰所から出動があった。

 そしてすっかり日が落ち、雨雲によって月明りも届かぬ闇に包まれた頃、3回目の出動の足音が聞こえる。ドゥシュナンは、もう何回目になるか分からない『英雄王マリクの足跡そくせきとその考察』という学術書を読み、例の男は在るはずのない本を読むことに飽きたのか、床にそのまま寝転がっている。


 しかし、今度の喧嘩は早く収まったのだろうか。じきに沢山の足音が入ってきた。それと主に鳴り響く金属音、銃声、そして――


「敵襲! 敵襲だ!」


 詰所に響き渡る闘いの声にドゥシュナンに恐怖を覚える。


「武器だ。武器を取らなくちゃ……。あれ?」


 ドゥシュナンとて、ただ本を読んでいただけではない。訓練にも参加してはみたのだ。だが、膝が震え、やっとの思いで樽に刺してあったスモールソードを握りしめても、握っている感覚がない。ただ、初めて持った時にさえ感じなかった途轍とてつもない重さが、何故か伝わってくる。そんなはずは無いのに。


「そ、そうだ。あの人、あの人を逃がさないと」


 男のことを思い出し、横になっていたはずの場所を振り返るが、そこに男の姿はない。


「あ、あれ? どこ? どこだ?」


 自分自身に次の行動を指示するかのように声を出すドゥシュナンだったが、男はいつの間にか鎖帷子と鉄兜、それから飾り物だと思っていたラウンドシールドを装着し、樽の中の武器を物色していた。だが、そのときだった。


 階段を駆け上がってきた衛兵と思われる青紫色のチュニックを纏った男が、剣を振り上げ叫びながら、駆けてきた勢いそのままにドゥシュナンに斬りかかる。


「うわ!?」


 なんとかスモールソードで流し、奥に下がろうとするドゥシュナンであったが、その兵士は続け様に斬り上げ、そこから更に横によこぐ。だが、幸いなことに十分に間合いがあり、いずれも後ろに下がりながら移動していたドゥシュナンには届かない。


「落ち着け、落ち着け、落ち着け」


 自分に言い聞かせるように声を出し、スモールソードを正面に構えて相手を見据える。


「ひぃ」


 兵士が気合のこもった声を発しながら素早い身のこなしで一気に間合いを詰め、大上段に剣を振り上げると、ドゥシュナンはその勢いに小さく悲鳴をあげ、思わず後ずさる。


「ぐ……ぅ……」


 しかし、後ずさった先に不運にも転がっていた椅子に足を取られ、ドゥシュナンは転倒してしまった。だが、不幸中の幸いか。勢いよく振り下ろされた剣は、先ほどまで彼がいた辺りを虚しく斬っただけである。その兵士は大きく剣を振ったがために体勢を崩したが、すぐに立て直し、未だ立ち上がれていないドゥシュナンに向かい、再びその命を絶やさんと剣を突き出してきた。


 もう駄目だ! と目を瞑り死を覚悟したドゥシュナンだったが、そのときはやってこない。代わりに聞こえてきた何かがぶつかり合うような音に恐る恐る目を開けば、そこには頭と胴が分かれた兵士の体と、その前に悠然と佇む男がいた。つい先ほどまで虚ろな目をしていた、あの男だ。


 呆然とするドゥシュナンだったが、階段からは次々と青紫色のチュニックを纏った兵士が駆け上がってくる。だが、男はそれらをものともせず、一撃のもとに斬り伏せ、或いは器用に盾で体勢を崩して戦闘不能にする。

 駆け上がってくる兵士が途切れると、男は盾を構えながらゆっくりと2階におり、やがて建物中に響き渡るような低く大きな声が聞こえてきた。


「聞け! バルクチュ家の者どもよ! 我はオルマンドベルの勇士セルハン! お前たちの敵はここにいる! 手柄が欲しい奴からかかってこい!」


 やがて幾度いくたびかの激しい金属音と少しの名乗りが聞こえてきた後、詰所はすっかり静かになった。

 静寂が訪れた詰所に残されたのは、島の民が占拠して以来の双方おびただしい数の死傷者という事実と、南部の英雄という僅かな希望であった。

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