第100話 日常

「ぜえええええい!!」


 北町の詰所の中、目の前の兵士が大音声だいおんじょうを発し、こちらに向かって大上段からあらん限りの力を込めて剣を振り下ろす。


(恐い! 動け! 動け! 逃げなきゃ! 動け!)


 まさしく必死の思いに反して体は全く動かない。剣が自分を切り裂こうとしたその瞬間、別の兵士がその首をね飛ばし、足元に転がる。

 だが、安堵も束の間、今度はその兵士がこちらを目掛けて剣を構える。しかし、それもまた別の兵士によって首をね飛ばされ、それが延々と、永遠と繰り返されていた。




「ドゥシュナン、起きろ」


 聞き慣れない声で目を覚ますと、ドゥシュナンの視界にはあの男、自分を助け、セルハンと名乗り上げたあの男がうつった。


「汗がひどい。水を飲め」


 男はそう言って、目覚めたばかりの少年に水が注がれた木製のコップを渡す。


「あ……、ありがとうございます」


 どうやら自分は昨晩の襲撃の後、へたり込んで壁にもたれかかっている内に、そのまま寝てしまったようだ、と少年は思い返す。渡された水を飲み干し、周囲を見れば床や壁に生々しい血のあとがあり、鉄とあぶらが混ざったような異臭も漂っていた。


(ああ、そうだった。ここで戦闘があったんだったっけ)


 どこか他人事ひとごとのように思ったが、それはやがて胃から込み上げてきたものによって自分の事となる。


「うぼあ……、がっ……げっ……、ごほ、ごほ」


 少年には昨晩のことがどうにも受け入れられていないようで、その場に先ほどの水と胃液が混ざりあった液体を盛大に吐瀉としゃしてしまった。


「落ち着いたか?」


 セルハンはそう言うとドゥシュナンの手からコップを取って階段を降りてゆき、やがて戻ってきた。その間、ドゥシュナンはただ座り込み項垂うなだれていただけである。


「ほら、また水を持ってきたぞ。飲め」


「ありがとうございます……」


「うん、飲み終わったな」


 ドゥシュナンが飲み干したのを確認して、セルハンは話を続けた。


「ところで、お前に頼みたいことがあるんだが、良いだろうか?」


「頼みたいこと? どんなことですか?」


「なに、簡単なことだ。これから昨晩死んだ戦士たちをとむらわなければならないんだが、島の民たちはとむらい方が分からないようだ。そこで、お前から俺と島の民たちに指示なりお願いなりをして欲しい」


「セルハンさんの頼みならやぶさかではないですけど、どうしてそんな回りくどいことをするんですか? あなたほどの有名な人なら、皆も話を聞いてくれると思いますけど」


「だと良いんだがな。同族意識とか仲間意識っていうのはなかなか厄介で、表面的には協力してくれても、心の奥底では高い壁を作ってしまうものだ。それだと時間がかかってしまうだろう?」


「イネキの皆はそんなことはないと思いますけど、そういうものなんですか?」


「それはお前が同族の中にいるからだな。外に出れば他所者よそものが信用を得ることの大変さが分かるよ」


「そういうものなんですね」


「そういうものだ。だが、その社会で地位のある者、影響力の強い者、信用されている者のお墨付きを頂ければ壁は低くなる。それが、この状況であればドゥシュナン、お前からの指示という事になる」


「ええ? 僕はそんなんじゃないですよ」


「謙遜する必要はない。お前みたいな子供の案を島の民たち、それとイーキンが取り入れているんだ。それに、他にもちょくちょく相談されているじゃないか。信頼されているのは、1ヶ月そばにいただけでも分かる」


「そうですか?」


「そうだ。だからドゥシュナン、俺がお前の後を歩くから玄関先まで移動してくれ。そこで皆が見ている前でとむらいの指示を出してくれれば、後はなんとかなるだろう」


「あ、そうか。なるほど、そういうことですね。セルハンさんは勝手に動いているのではなく、あなたの言葉を借りれば、島の民から信頼されている僕からのお願いで動いている。つまり敵でも、いきなり来て偉そうに命令する他所者よそものでもなく、仲間、味方、協力者であることを印象付けたいと」


「そういうことだ」


 先ほどまで青い顔をしていたドゥシュナンの顔色もようやく戻ってきたようだ。


「ところでとむらいというのは、何か儀式のようなものでもするんですか?」


「特別なことは何もしない。衛兵の遺体は身に着けている装備一式を取り外して、名簿を作りながら町外れの墓地に埋葬する。衛兵なら大抵の場合、所属票を身に着けているからな。名前もすぐに分かるだろう。それから、こちら側の遺体は麻の袋に入れてそれぞれの集落に送り届けるんだ。あとはそれぞれでとむらえばいい」


「僕たちを殺しに来た衛兵もこっちで埋葬するんですか? どうしてそんなことを? 皆、納得しないんじゃないでしょうか?」


「色々理由はあるが、同じ人間だから自分がして欲しくないことはしない、戦士の死に様しにざまへの敬意、味方と住民感情への配慮、敵兵士の敵意を和らげる、こんなところだな。最後の二つは、死体を乱暴に扱う敵部隊から味方全員を殺さない条件で降伏を促されたとして誰がそれを信じるのか、住民は守られるのか、我々もゴミのように扱われるんじゃないのかと、こういう話だ」


「……理解できました」


「そうか」


「理解しましたが、ただ、納得できそうにはありません」


「……そうか。ま、個人の感情としてはむを得ないところだろうな。だが、集団同士の取引では、ときに納得していなくとも損得勘定で動かなくてはいけないこともある。一応、覚えておいてくれ」


「分かりました。ご忠告痛み入ります。あとは歩きながら話しましょうか。僕も遺体は早く片付けて欲しいですから」


「そうだな」


 そう言って二人は階段を降り始める。


「ところで、セルハンさんはやっぱりあの南部のセルハンさんなんですか?」


「そうだ。だけど、どうして今更いまさら確認したんだ? イーキンから何も聞いていないのか?」


「あー、はい。イーキンさんからは『事情が有ってこんな状態になっている知り合い』としか。そもそもあの人も南部の出だと自分からは話さないですしね」


「そうか」


「そうです。ところで事情というのは、いつも大事そうに読んでいた『本』と関係あるんですか?」


「! お前、えるのか!?」


「いえ、見えませんよ。だけど、はたで見ていても、本を読んでいる仕草などすぐに分かるものです」


「そうか、そうだな。落ち着いたらお前と、それからイーキンにも話をしてやらないとな」


「楽しみにしてますよ。っと、これは……」


 玄関の外には、敵味方関係なく無造作に並べられた遺体が広がっていた。それを見たドゥシュナンは言葉を失い、先ほどのセルハンとのやりとりも忘れかけてしまったが、気をしっかりと持ち、どうにか実行に移す。


「それではセルハンさん。先ほどの打ち合わせ通りに、とむらいをお願いします」


 それからドゥシュナンは近くにいた武装した男たちにも声を掛ける。服装の色合いからしてマビキシュの者だろう。


「おはようございます。僕はイネキのドゥシュナンです」


 声を掛けられた男は一瞬、怯えたような、驚いたような表情を見せたが、すぐに声を掛けられる前の沈んだ表情に戻った。


「おはよう。君がイネキのドゥシュナンか。長から話には聞いてたが、本当にまだ子供なんだなあ。役場の方から応援に来たが、それにしてもこっちはひどいもんだ」


「ええ、本当に。早くご家族のもとに帰してあげないと。それに、このままだと近隣住民の迷惑になりますしね。……それで、ご遺体の運搬について、あそこにいるオルマンドベルのセルハンさんに協力してもらえることになりました。すみませんが、皆さんもセルハンさんと一緒に運搬をお願いします」


 声を掛けられた男たちは「セルハン!?」「生きていたのか!?」などとくちにし、我先われさきにとセルハンに駆け寄って話しかけている。


(あ、おさの誰かに遺体の片付け方について話しておかないといけないな。役場に誰かいるかな?)


 北町役場に行こうと詰所の門を出たとき、今度は正面からの聞き慣れた声に足を止めた。


「ドゥシュナン君、おはよう」


 声の主は数枚の麻袋を抱えて持ったイーキンだった。


「あ、イーキンさん。おはようございます」


「どこか出かけるところだったのかな?」


「はい。おさの誰かに遺体の片付けについて報告しようと思って北町役場に行こうとしてたところです」


「そうだったんだ。それなら、君は運が良いね」


「え?」


「昨晩のことがあるから、ルトフを始めとしたおさの方が、朝から何名か役場に見えていてね、弔いの件は私から話して承諾を取っておいたんだ」


「そうだったんですか」


「とは言え……」


 イーキンは詰所の門から玄関までの空間を眺めながら、暗い表情で話す。


「君はここにはいない方が良いかも知れないね。この光景は、正直、大人でもこたえるものがある」


「ああ、分かりました。役場にいますので、何かあったらそちらまで連絡ください。……僕もここにいるのはつらかったんです」


「すまないね。寝ている間に役場まで運んであげれば良かったのだけど、そこまで気が回らなかったんだ」


「いえ。でも、本当は……」


 でも、本当はイーキンさんの方が辛いんじゃないですか? と言いかけて言葉を飲み込んだ。


「本当は?」


「い、いえ、何でもありません。気のせいでした」


 イーキンに続きを催促されたが、ドゥシュナンにそれを最後まで言い切る勇気は無かったのだ。


「そうか。ま、ゆっくり向こうで休むといいよ」


 ドゥシュナンはイーキンの言葉に見送られ、自身が殺されかけた詰所を後にし、15分ほど歩いて北町の役場に入った。詰所とは違い、こちらは何事も無かったようで、臨時で設けてある柵なども壊されることなく、実に整然としていた。


 詰所であれだけ人が死んでも、日常というものはつねで在り続けるのだ。

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