第98話 残照

 アルテンジュが挙兵の意志を示したところで、ブラークは押し黙り、何かを考える仕草をしている。


「見ての通り、着の身着のまま逃げてきた私には、抗える力と呼べるものが何も無いのです。この南部で一人でも多く味方に付け、そしてビルゲたちを殲滅したい。そのために、力を貸して頂けないでしょうか」


 アルテンジュはまたもとの話し方に戻り、座りながら頭を下げた。


「いやいやいや、殿下。どうか頭をお上げください。それにしても南部に逃亡して味方を探し、ギョゼトリジュ家への復讐を図るなど、英雄王マリクと簒奪者さんだつしゃエルトゥールの物語をそのままなぞろうとしているかのようですよね」


「ええ、その通りです。過去の物語があり、そして、最近も森の民たちがコル家に立ち向かった。そんな人たちだからこそ、一緒に戦ってくれる可能性があると思っています」


 嘘……ではないが、まるで自分一人で考えたようなひどい後付けだ、とアルテンジュは思う。乗船中に考えたのだ。なぜ、タルカン殿は南部に自分を送り出したのかと。自分一人では南部など思いもよらなかったであろうに。


「そういう事でしたら、不肖、ブラークが殿下のために一肌脱ごうではありませんか。幸いにしていくつか当てがございます。今時分いまじぶんでしたら教会内にいるはずですので、早速、会いに行きましょう」


 どうやらこのブラークという男、思い立ったらすぐに行動しなければ気が済まないようだ。それは危なっかしくもあるが、今のアルテンジュにとっては頼もしく映った。


「殿下、ここは歴代の教主や布教活動に特別な貢献があった方たちを顕彰する施設です」


 足早に進みながら教会内の施設を案内し始めるブラーク。今はシェスト教会の特徴とも言える八角形の柱のを抜け、別の建物に差し掛かったところだ。1600年を超える歴史があるだけに、教主を含め功績のあった者など優に500を数える。壁に取り付けられた、その一つ一つを説明しようとするブラークに、アルテンジュは待ったをかける。


「ブラークさん、人前で殿下と呼ぶのはめて下さい。それから、あなたが教会を誇りに思う気持ちは大変よく分かりますが、それは後で楽しみにしていますので、今はあなたの言う当ての一つに急ぎましょうか」


「これは、殿下のお立場も考えず、大変失礼しました。釈明のしようもありません」


「それから、人前では、その臣下のような口調も無しでお願いします」


 再び殿下と言ったブラークに呆れながら、口調も指摘する。教会の関係者が、あどけなさの残る若造にへりくだるなど色々と勘繰られかねない。


「は、はい。では、アルタン君、行きましょうか」


「はい、行きましょう」


 気を取り直して建物の2階へ上がると、先ほどよりも一人に割くスペースが広い箇所が目に付いた。そして、その中に明らかに他とは違う異質な物がある。


「ブラークさん、あそこに見えるあれは何ですか?」


 どうにも好奇心を抑えられずに、指を差しブラークに質問をするアルテンジュ。


「ああ、あれはですね、口で説明するよりも実際に見てもらった方が早いですね。あっちに行きましょう」


 近づけば、そこは神託を授かり、教会によって聖人と認定された者たちをその功績とともに紹介する一角だった。だが、それだけではおかしいとは思わない。異質だと感じたのは、最も時代の近いもの、井戸端の聖女と諡号しごうされたクリスタ・ホルツマンの紹介である。そこだけ、中性的でとても若い顔立ちの人物画が飾られているのだ。

 版画で刷られているようだが、輪郭以外の細かい線をもって陰影と凹凸を表現するのが通常の手法であるところ、この絵には全くそれがない。アルテンジュが今まで見たことも無い、シンプルな描き方である。

 そして、その絵の説明にはこうあった。「クリスタ・ホルツマンの死後、孤児院を引き継いだコジマ司祭より原本が送られた。これは原本をもとに複製した銅版画である。右下隅に”神様”と描かれていることから、初めて確認した神の似姿の記録として厳重に保管されている。なお、右下隅には”親愛なるマザーへ”ともあることから、クリスタ・ホルツマンの証言をもとに孤児が描いたものと推測されるが、作者は不明である。また、6柱のどの御姿であるかも分かっていない」と。


「へぇ、これが神の御姿ですか。神像やこよみのものと随分とおもむきが違うんですね」


「そうですね。私も初めて拝見したときには驚きましたよ。今までの白渡りの記録でも神像と同じだったというものしかないですしね。それだけに、教会内でもこの絵の扱いについては未だに賛否両論ある状態です」


「ところでブラークさんはこれを――」


「ブラーク君、来てたのかい?」


 アルテンジュが何かを話しかけたとき、ブラークの背後から話しかける人物があった。


「これはエルバンさん。これから資料室に伺おうと思ってたところだったんですよ」


「それは珍しいこともあるものだ。そちらの体の大きなお連れさんと関係があるのかな?」


 エルバンと呼ばれたその中年の男は、機嫌が良さそうに朗らかな声で話している。目が合ったアルテンジュは会釈をして応えた。


「あまり聞かれたくない話があるので、資料室かどこか部屋でお話をしたいんですけど、どこか空いてますかね?」


「ブラーク君に密談があるとは思えないが、大方おおかたそこの彼に関係する話なのだろう? 何者かは知らないが、話を聞くだけ聞いてあげよう」


 顕彰施設3階、資料室の隣にある応接に3人は場所を移し、アルテンジュはブラークのときと同じ内容をエルバンにも話し、協力を求めたのだが彼の返答は期待から懸け離れたものだった。


「確かに私も、ブラーク君と家系は違えど王族より別れたダイレ家の一員だ。しかし、だからと言って見ず知らずの王族が訪ねてきていきなり”挙兵するので協力してください”と言われて、簡単に”はい”と返事など出来るわけがないだろう。こうべを垂れられたとしても、だ」


「どなたかお知り合いを紹介してくれるだけでも良いのですけど、駄目ですか?」


 どうやらエルバンには協力を拒まれる気配だが、アルテンジュも少し食い下がってみる。


「駄目だ。そもそも、君のやろうとしていることは、また新たな火種を生むだけではないかね? それこそ、南部氏族が滅ぼされかねないような。それに、ギョゼトリジュ家の統治するアイウスは、ビルゲの代になってから彼の手腕によって一層発展したというじゃないか。このまま王国の統治を彼に任せ、君は南部で平和に暮らせば良い。復讐したい気持ちは分からなくもないが、ここはユズクではない。南部なんだ。素性の知れない者が義憤に駆られて無謀ないくさを起こし、それに南部の者が巻き込まれるなど、まったく御免被ごめんこうむりたいものだよ」


 早口で持論をまくしたてられれば、アルテンジュなど一溜ひとたまりもなく押し黙ってしまう。


「さ、今日の話は聞かなかったことにするし、君たちとも会わなかったことにするから、もう帰ってくれ」


「しかし、エルバンさん。ビルゲが南部に侵略する可能性もあるのでは?」


 ブラークもエルバンの説得を試みるがしのつぶて


「しかし、は無いのだよブラーク君。私は協力しないと決めたのだ。この意思を変えるつもりはない」


 一拍置いてエルバンは何かを思い出したようにブラークに声を掛ける。


「そうだ、ブラーク君。そこの彼に協力するのならば還俗げんぞくしなければいけないよ。我々はどの勢力に対しても中立でなければならないのだから」


「……ご忠告痛み入ります」


 その言葉を最後に二人は施設を後にする。協力を期待していた相手からあの言われようとは、さぞや浮かない顔をしているだろうと、ブラークが隣の少年の顔を見れば当の本人は実に平然としたものだった。


「アルタン君はいくつなんですか?」


「今年15歳になりました」


「そう、なんだ。その歳であれだけ言われて平然としていられるなんて、大したものですね」


「悲しい気持ちは勿論ありますけど、断られることなんて沢山あると思ってますからね。むしろ、早速ブラークさんの協力を得られたことは幸いだったと思っていますよ」


「なるほどね。それなら、どんどん断られに行きましょうか。巡回教師をやっているお陰で顔だけは広いから、たくさん紹介できるはずですよ」


「ああ、それは良いですね。改めてよろしくお願いします、ブラークさん」


「こちらこそよろしくお願いしますよ、アルタン君」


 二人は未来を夢見て固く握手を交わす。

 すっかり地平線と一体化した太陽の残り火が、その困難な行く末を暗示するかのように二人の影を長く、くらく、作り出すのであった。

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