第97話 第6王子

 ――私は、第6王子アルテンジュ・ハリカダイレである。


 アイナの門衛にそう名乗った少年は、南部行きの船の客室で仰向けに寝そべり、思索の海を漂っていた。

 王宮にいるときには『俺』だった一人称だが、『私』と言うのも威厳が無いような気がする。『』とするとどうだろうか。いかにも尊大な印象で好きではないが、威厳を出すためには役に立ちそうだ。「余は英明なるビュークホルカ王国第6代国王ハリト・ハリカダイレが末子まっし、第6王子アルテンジュ・ハリカダイレである」。うん、悪くない。

 次は名前だ。威厳を示さねばならぬときは「アルテンジュ・ハリカダイレ」で良いだろうが、市井に紛れるには重きに過ぎる。様々な人間が行き交う町中で王族とすぐ分かってしまう。周りが好意的な人間ばかりであれば良いが、悪意のある人間と言うものはどこにでも潜んでいるものだ。ユズクに攻め込んできた者たちと通じ、簡単に暗殺されることも予想される。で、あれば、だ。別の名前も使わねばなるまい。ふむ……、やはり男子の一般的な名前である「アルタン」が良いだろう。

 そして、南部に着いたとして兵を集めるにはどうしたら良いだろうか。ただ徴募するにしても俺には資金が無いのだ。そうなれば、タルカン様の言う通り、ケスティルメの総本山にいるという王族に先ず協力を仰ぎ、その後、有力9家になびかぬ南部の氏族たちに協力を仰ぐしかないだろう。

 この先、汚辱おじょくにまみれることも幾度となくあるかもしれないが、耐えるしかないのだ。


 すべては仇敵、ビルゲ・ギョゼトリジュを討ち滅ぼすために。



 第6王子の乗った船は出港して3日目の昼には、エコ大森林の南端にあるオルマンユユ族の集落に到着した。目指すケスティルメはその集落から一路北上して巡礼の道に入り、その道なりにエコ台地を東に進むと辿り着くことが出来る。乗合馬車にして4日ほどの距離だ。

 最初の1日は緑豊かな森の道、次いで巡礼の道に入ってからも暫くはまだ森の中だが、やがて緩やかな上り坂から森を出ると、爽やかな草原の景色が視界一面に広がっていた。遠くにはイェシリアダン族の者だろうか、或いはテペ族の者であろうか、ユズクよりも広く深い天壇青てんだんせいと若竹色の間に、群れた羊が草をみ、その横で昼寝を楽しむ羊飼いが見える。時折、小さな子供のように溌溂はつらつと草原を駆けてくる風が、その軽やかな音色が風景とも相まって実に心地が良い。


 ヒ大陸で発生したシェスト教が、何百年も昔に当時の教主の気紛れでこの台地の隅に総本山を移したというのも、町の喧騒から離れた、ある種の楽園を思わせるこの風情のゆえなのだなと、のんびりとした馬車に揺られながらアルテンジュは思考を巡らせる。ライゼ神の司る商売と旅、それは風のように人の間を流れ縁を紡ぐ。なるほどな、とも。


 大森林を抜け丘を進んでからというもの、見渡す限りの草原と羊の群れを思わせる白い雲、そしてたまに現れるテペ族の簡素な家々の集落をいくつか抜ければ、いよいよシェスト教のお膝元、ケスティルメの町に到着である。


 ケスティルメの町も、これまでのテペ族の集落と同様、境界となる壁や門などは存在しないが、これまで見てきた集落よりも頑丈な造りの建物が何軒か見え、そのまま進むとじきに石畳が始まっていた。乗合馬車の御者は、この石畳を行けばシェスト教の教会に迷わず辿り着けると、アルテンジュに得意気に話す。

 御者の言う通り、アルテンジュは石畳の音を楽しみながら町を歩き、改めてケスティルメの町を観察すれば、所詮はテペ氏族の町だから大したことは無いだろうと侮っていた、つい先ほどまでの自分をひどく恥じた。巡礼者で賑わう石畳の両脇にはユズクにも勝るとも劣らない立派な建物が建ち並び、巡礼者目当てであろう屋台もそこかしこに出されていて、活気に溢れている。道すがら目にした簡素な石の家など、そこには存在していないのだ。


 香辛料を効かせて焼いた羊肉の香りを振り切りながら、20分ほど歩いただろうか。アルテンジュの目には見慣れた八角形の建物とドーム屋根が映ってきた。しかし、総本山と言うからには巨大な、或いは荘厳なものを期待していた彼の予想に反し、ユズクの市街に在ったものよりも少し控えめに見える。それは、標準的な大きさの教会に対して、その周囲に3階建ての建物が多く建っているせいなのかも知れない。


 建物の見た目などどうでも良い、ともかく協力者を見つけるために行動をしなければと、アルテンジュは衛兵を横目に八角形の教会を通り抜け、教務所の窓口を目指す。ユズクでは中を通り抜けなくとも行けるのだが、ここは造りが違うかもしれないから念のためだ。幸いにして教会の内部には施設の場所を矢印で示す案内板がいくつか設置されており、すぐに教務所に辿り着くことができ、大きな部屋と言うにしても広すぎる、その片隅の受付窓口で備え付けの鈴を鳴らして待機する。教会の施設にも関わらず、ここにはローブを纏った者が一人もいない。見慣れた一般人の格好で忙しそうにしている。


「こんにちは。どのようなご用件でしょうか?」


 そうこうしているうちに30歳くらいの女性が、小走りで窓口まで来て対応を始めた。さて、ここはどのように話したものかと、少し間を空けてから話を切り出す。


「私、ユズクに住んでいた王族にえんのある者です。着の身着のままで避難したのですが、こちらに王族の関係者がいらっしゃると聞き及びまして、居ても立っても居らず訪ねてしまいました。お話しが出来ればと考えているのですが、お取次ぎをお願いできますでしょうか?」


「まぁ、王都の……。それはそれは大変でしたね。遠かったでしょう?」


「ええ、まぁ」


 王都襲撃の話はもうここまで伝わっているようだ。事件の話が広がるのは予想していたよりも遥かに早い。


「それでは確認してまいりますね。えーと……、お名前は?」


「アル……タン。アルタンと言います」


 移動中に考えていた名前ではあるが、まだすんなりとは出てこない。


「アルタンさんですね。確認が終わるまでそちらに掛けてお待ちください。……つらいでしょうけど、気はしっかり持つのよ。生きていなければ良い事にだって出会えないんだから」


 窓口に出てきた女性は、今度も小走りで教会の方向へ去って行った。


「生きていなければ良い事にだって出会えないんだから、か……」


 アルテンジュは噛みしめるように呟き、椅子に腰かけた。

 王族から聖職者になった者がいるとは言え、どんな人物がいるのかまでは聞いていない。果たしてこれから出会えるのはどんな人物なのだろうか。いくさがうまい、頭が切れる、政治ごとが得意、資金繰りが上手。兵を動員し、戦を仕掛けるとなれば様々な人材が必要だ。一人でギョゼトリジュ家に立ち向かうには無理がある。その上、自分にはこの印璽しかない。利用できるものは何でも利用しなければならない。ともかく協力者を集めなければ何もできないのだ。


「……ンさん、…ルタンさん」


 アルテンジュはどうやら待っている間に寝てしまったらしい。女性の声に目を開き慌てて周囲を見回すと、先ほどの女性と無地のローブを纏った若い男がそこにいた。若い男が女性に二言三言話すと、女性はどこかへ歩いていく。


「やぁ、こんにちは。君がアルタン君かな?」


「え、あ、はい。アルタンです」


「君は私よりも背が高いのに、顔は本当に幼いんだなあ。あ、私はブラーク・ダイレ。助祭だ。初めまして」


 ダイレ。それは、王族から分かれた血筋だけが名乗れる苗字である。


「初めまして、ブラークさん。私はユズクから来たアルタンです」


 うやうやしく頭を下げ、予定通りアルタンと名乗る。


「それで、お話しが出来れば、ということらしいけど、ここではなんだから応接室まで行こうか。さっきの人に部屋を取ってもらうようにお願いしてあるからさ」


 ブラークの後に続いて歩くと、3つほど並んだ扉が見える。その一番奥の扉の前で先ほどの女性が静かに扉を開けて待っていた。ブラークとアルテンジュは女性に軽くお礼を言いながら中に入り、向かい合わせに座る。


「さて、アルタン君。私たちとしてもユズクで何が起こったのか、情報を集めているところなんだが、ここまで避難してくる人は少なくてね。君のような一般人から直接情報を聞けるというのはまさしく渡りに船と言うものだ。言い辛い事もあるかもしれないが、出来れば知っていることは全部教えて欲しい。良いかな?」


「ええ、それは勿論構いませんが、まず私は一般人ではありません。第6王子のアルテンジュ・ハリカダイレです」


「第……6王……子?」


 ブラークは脳の処理が追い付かないといった風で腕組みをして固まってしまうが、アルテンジュは構わず話し続ける。夜中に突如襲撃を受けたこと、王宮への侵入は近衛隊チェリキバルタが防いでいたが大砲か何かの砲撃を受けて崩壊してしまったこと、紺色のチュニックを着た兵士と王都警護隊デミルカルカンを見かけたこと、必死で逃げ、アイナでタルカン・ショバリエの厚意を受けてここまで避難できたこと、そして、ハリト王の生死は不明だが自分が印璽を所持していること。たまに頷いていることから、声は届いているのだと思う。


「印璽を拝見しても? ……なるほど。大きな円の中で繊細な曲線が複雑に絡まり合った、この独特な文字の形と、それにこのつまみに使われている紫水晶。朱肉の跡もある。本物と思って差し支えない……かな」


 アルテンジュが角度を変えながら見せたそれを、目を見開いて観察したブラークはこれ以上は触りたくないような手振りをして話を続けた。


「うん、分かった、……分かりました。一先ず無事にここまで避難できて良かったよ? ……ご無事で何よりです」


「ところで、陛下の生死なんですが、そちらでは何か掴んでいませんか?」


「ギョゼトリジュ家からの発表はまだ入ってきておりませんが、住民たちの噂では王宮にいた王族は一人も助からなかったということです」


 その話にアルテンジュは我を失い、怒りに任せて目の前の机を叩かんと拳を振り上げる。が、振り下ろす前に自制した。


「ま、まぁ、殿下。落ち着いてください。まだ死んだと決まったわけじゃないでしょう? それに王権の正当性を示す印璽は殿下がお持ちなのです。逆賊どもが今頃必死になって探しているのだと思えば、少しは仕返しが出来たのではないですか?」


「しかし! ……いや、ブラークさんの言う通りです。ビルゲ・ギョゼトリジュが形式を気にするのであれば、印璽が私の手にある内は好きに出来ないということですよね」


「そう、そうですよ。……あの、ところで、アルテンジュ殿下」


「はい。なんでしょうか?」


「そのお話しをして下さるためだけにここにいらしたのでしょうか?」


「と言うと?」


「殿下もお人が悪い。私は別の目的があるのではないかと思っているのですが。例えば、資金援助とか」


「確かにお金も必要ですけどね、私が欲しいのはそれよりももっと価値があるものです」


「ふむ? なんですかね?」


「人材を探しに来たんです」


「人材……ですか?」


 ブラークはあまりピンと来ていない様子で、きょとんとしている。


「そうです。私は、いや、余は、憎きビルゲ・ギョゼトリジュを討滅するために挙兵を考えているのだ」


 アルテンジュは力強く拳を前に突き出し、ただ一人の聴衆に宣言した。

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