第95話 北町侵入戦

「――もう一度確認だが、デニズヨルを制圧するのに1000人は要らないと言うんだね?」


「はい。その通りです」


 ドゥシュナンの住む集落がバルクチュ家への抗議行動に参加することを決めてから1ヶ月後、ルトフの集会所で彼はイーキンと向かい合っていた。


「イーキンさんに教えて頂いた情報だと、デニズヨルだけで常備兵が1000人前後。徴募で増えていると思いますが、こちらの動きに全く警戒していないことを考えると、町に残すのは100から200人程度ではないでしょうか。そして城壁もなければ、出入りの見張りもいない。ただし、押さえるのはあくまでも北町だけで、南町までは難しいと思います」


「うん、そうか。そうだね。南町については私も同意見だよ。北町については顔役のエンダーさんから不干渉を取り付けたけれど、南町はそのエンダーさんに止められてしまったからね」


 エンダーとは、建国の際に南町に本拠を移し、フェリドゥン・バルクチュを輩出した南家みなみけとは違い、北町に留まって商いを続けた北家きたけバルクチュ一族の末裔である。北町の古い商家からすれば、南家は自分たちを見捨てた薄情者であり、そのまま残って商人たちのために働いてくれた北家こそが、こうべを垂れるべき相手という認識だ。

 そんな北家のエンダー・バルクチュだからこそ、最近の南家の増税に不満を抱いており、マチェイ商会の伝手つてでイーキンが協力を仰いだときも、北部3氏族への不干渉を約束したのだ。もっとも、あくまでも不干渉であって協力ではない。また、不干渉にあっても条件をいくつか提示したことが、長く商人たちをまとめてきた北家の北家たる所以ゆえんであるのだが。


「では、引き続きデニズヨルに潜伏している30名は、時機が来るまで行動しないようそのまま待機。占拠要員の400名はバルクチュ兵が進軍した連絡が来たら夜間に到着するように各々出発。それからエンダーさんの条件の一つは、向こうに到着するまで時間がかかりますから、準備出来次第で。占拠に成功した後は防備を固め、膠着こうちゃく状態を狙う。こんなもので良いでしょうか?」


 イーキンはドゥシュナンの確認に首を縦に振って返事をする。


「それでおさの方々を納得させてみるよ。それにしても、15歳の身空みそらでこのような作戦を考えるとは、全く君は末恐ろしいね。上手くいくことを祈るばかりだ」


「大丈夫ですよ。マチェイさんの作戦も上手くいきましたし、今回もきっと上手くいきます」


 ドゥシュナンが満面の笑みになると、イーキンは目を細めて応えるのであった。



 ドゥザラン島の南部、イキレンキ海峡に沿って築かれたデニズヨル北町の詰所で、齢50になる衛兵隊長バリス・セレンは刺すような胃の痛みと闘っていた。


 どうして今夜に限って、こんなにも喧嘩が多いのか。夜間の警備に当たっている30余名から引っ切り無しに喧嘩の報告があるのだ。しかし、バリスには思い当たるふしがあった。フェリドゥン様が領内の税金を重くしたため、民たちに不満が広がっているという。デニズヨルでも例外ではなく、見回りや不心得者ふこころえものの聴取をしていると、ご領主様への不満ばかりが耳に入ってきていたのだ。

 あくまでもバリスの推測に過ぎないが、日中にフェリドゥン様が多くの兵士を引き連れて南町を出発した、この情報を得た町民が、これ幸いにと今までの鬱憤うっぷんを晴らしているのだろう。しかし、北町の衛兵隊長の任を拝命してからの5年間、ここまで喧嘩が多いというのは明らかに異常事態だ。大きな事件の前触れなのだろうか? これは心して掛からねばなるまい。そうだ。非番の者も起こそう。我々の使命は治安を守り、町の安全を守り、町民の安全を守ることだからな。今日は昼間も昼間でイネキの民が大量に運び込んだ牛の一部が逃げ出し、往来を塞ぐ騒ぎがあったばかりで部下たちも疲れているだろうが、今日をしのげばどうにかなるだろう。 それにしても、厄介ごととはどうして一度にやってくるものなのだ?

 などと、バリスがそのすっかり寂しくなってしまった頭を触りながら、事態の収拾に向けてどう動くべきか苦悩している頃、事態は確実に進んでいた。


「バリス様! 北町役場に何者かが侵入したと、通報がありました!」


「む……。喧嘩で誰かが逃げ込んだのかも知れん。念のため3人で調査に向かえ」


「しかし、バリス様」


「どうした?」


「詰所にはもう兵が残っておりません。寝ていた者も出動しております」


「なんだと!? ……むを得まい。俺が出る。お前もついてこい」


「ですが、バリス様」


「何だ? まだ何かあるのか?」


「詰所がもぬけの殻になってしまいますが、よろしいのでしょうか?」


「心配はいらん。この町の治安はお前たちのお陰でとても良いのだ。詰所に忍び込もうとする不逞ふていやからなどおらぬだろうよ。胸を張って良い事だぞ」


「は! ありがとうございます!」


 2人は詰所を出て鍵もかけずに急ぎ役場へ向かう。暗がりから詰所を監視している目があるとも知らずに。

 そのぎょろりと暗闇に光る目の持ち主は、2人の姿が見えなくなり、周囲にも兵士がいないことを確認するとナイフを高く掲げた。そのまま詰所の方へ数度、振るような仕草をすると、どこからか現れた一般市民とおぼしき男たちが次々と詰所に入っていく。異様なのは皆が荷物を抱えていることくらいだ。

 くして、普段着の男たち100人によってデニズヨル北町の詰所は血を流すことなく占拠されたのである。荷物の正体が武器・防具であることは言うまでもない。


 一方その頃、役場に押っ取り刀おっとりがたなで駆け付けたバリスとその部下は、いつもとは違うその異様な雰囲気に気圧けおされていた。通常であれば警備の者が使う庭の松明くらいしか光源は無いのだが、石造りの建物の中にも灯りがあるのが見て取れる。それだけであるならば、少し珍しいだけの光景だったのだが、前庭に武装した男たちが50人ほど、それから建物の中からも顔を出している者がちらほらと見える。


「バリス様、役場はどうやら武装した何者かによって占拠された模様です。ここは一度、引き下がり、南町のイゼット隊長と協力して事に当たるが良いかと小官は愚考いたします」


「まぁ、待て。気持ちは分かるが、もう少し様子を見なければ当たりようもないではないか」


「は!」


「ところでお前の目から、銃や弓矢のたぐい、或いは血痕のようなものや警備兵の遺体は見えるか?」


「いえ、どちらも確認できません」


「俺もだ。で、あれば、話が通じる相手なのかも知れぬぞ。よし、ではお前に二つ命令を与える」


「は!」


「これから北町の各所を回って、散らばっている衛兵を詰所か南町の詰所へ誘導しろ。詰所に戻ったらしっかりと守りを固めるよう伝えよ。一人でも見つけたら、同じように誘導と伝達の指示を出し、お前は早くイゼット殿にこの状況を報告するのだ。俺は奴らと話をしてみる。これは勘だが、いきなり殺されたりはしないだろう」


「は! 了解であります! ご武運を!」


 さて、ああは言ってみたものの、実際これはどうしたものかと、部下の背中を見送りながらバリスは思う。だが、あれこれ考えても仕方がないことだ。奴らが殺す気なら兵士の恰好をしている俺のことなど、役場の門の近くにいる時点で攻撃してくるだろう。だから大丈夫だ。そう言い聞かせて門のすぐそばまで近寄り、バリスはありったけの大声で話しかける。


「私は、この北町の衛兵隊長バリス・セレンだ! お前たちは何者か! なぜこんなことをしている! そこに首謀者がいるのなら話だけは聞いてやるから出てこい!」


 バリスの問いかけに返事はなかったが、前庭にいた1名が建物の中に入っていったところを見るに、首謀者を呼びに行ったか対応を聞きに行ったのだろう。果たして、予想通りに、切れ長で細面ほそおもての短髪の男が武装した男たちを伴って現れ、門の外にいるバリスに向けて告げた。


「これはこれは初めまして。お役目ご苦労様にございます。我々はマビキシュ、イネキ、ダルマクの者です。近頃のご領主様の圧政に耐えかね、北町役場の占拠をもって抵抗の意思を示し、バルクチュ家によって苦しめられている町の皆様および我々の税を一昨年までと同じ水準まで引き下げることを要求するものです。争うつもりは毛頭ございませんので、はなはだ不遜とは存じますが、バリス様におかれましては、ご領主様に速やかに我々の要求をお伝え願えればと思います」


「ふ、ふん。そういうことか。あい分かった。だ、だ、だが、私の部下や一般人に手を出してみろ。ただじゃおかんぞ!」


「ええ、ええ、承知しておりますとも。もっとも、攻撃された場合には全力でお応えしなければなりませんので、その場合にはご宥恕ゆうじょください」


「な、なかなかわきまえておるではないか。ところで、何人くらい入り込んでおるのだ?」


「それは返答に困ってしまいますね。バリス様からは何人いるように見えますでしょうか?」


「ふん。そう言ってこちらのはらを探ろうとしているのだろうが、その手には乗らぬぞ。ところで警備の者はどうした?」


「ああ、あの方たちでしたら、少し眠って頂いて、港の方へお連れしてあります。命に別状はありませんのでご安心ください」


「……喰えぬ奴め。それでは私は帰るぞ。いずれ戦場でまみえることになるかも知れんが、そのときまで生かしておいてやる。ありがたく思うことだな」


 恐怖に震えながらも話をし、民の身も案ずるとはなかなか良い人材だ。味方に引き込めないものかと切れ長で細面ほそおもての短髪の男、イーキンは思ったのだが、しかし、既に占拠されていた北町詰所の周囲にて、部下たちのものであろうおびただしい量の血痕を目にしたバリスの芯には、くらいい炎が灯るのであった。

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