第94話 嫩芽

 ユズクが弑逆しいぎゃくの徒によって急襲されるより2ヶ月ほど前、ドゥシュナンの集落は揺れていた。事の発端は、そこから更に1ヶ月さかのぼり、ぼろきれを纏った男がもたらした情報とその男自身による。


「あなた方は、復讐をしたいと思わないのですか?」


 ぼろ雑巾のように村のはずれに転がっていた彼は、介抱してくれた村長むらおさに向かって、そのようにのたまった。バルクチュの者たちはどこかに攻め入る準備をしている、同胞を殺した上、重税によりなお苦しませ続けているフェリドゥンに一泡吹かせるなら、デニズヨルに攻め入るのなら、そのときしかないのだとも。


 当然の如く村長むらおさは首を横に振った。

 その男――イーキンと名乗ったその男がどんな表情をしていたのか分からないが、丁重にお礼を述べて村を去った。そのときは。


 しかし、3週間ほど経った或る日、イーキンは再び村を訪れ、村長むらおさを説得している。最大氏族であるマビキシュの集落の中でも抜きん出て人口が多いルトフの町のおさを連れて。それは、マビキシュのほぼ全てが彼の提案に乗った、ということでもあった。


「他のイネキの集落二つも、それからダルマクの網元からも起ち上がると、既にお返事を頂いております。残る大きな集落はあなたのところだけなのです。どうか賢明なご判断をお願いいたします」


 イーキンの話を聞きながら村長むらおさは思った。

 しかし、起ち上がるという事、それ即ち、バルクチュ家と敵対することである。最近のコル家と南部氏族連合の例もあるとは言え、いては王国に反逆することにもなるのではないか? それに、過去の悠久とも言えるイネキの歴史においても、と争ったなど、聞いたこともない。そして争うとなれば、武器だ。武器の確保、武器を扱う訓練、この男はいったいそれをどうするつもりなのだろうか? 断る理由に出来るのではないか?


「ところでイーキンとやら、バルクチュ家と争うのであれば武器が必要であろう? 我らにはすきくわしかないのだぞ? もちろん、武器などという恐ろしいものを扱ったこともない。それはどのようにするつもりなのだ? そもそも、其方そなたはなぜ我らに血を流させようとするのだ?」


「なるほど。確かに村長むらおさ殿のご懸念は御尤ごもっともです。着の身着のままで流れ着いた私のような若輩者の言うことなど、聞くに値しないと考えるのが当たり前でしょう。平和を愛するイネキの長であればなおのこと。しかし、その三つの疑問に対する答えを用意してこないほど、私は愚かではありません」


「ふむ。では、聞こうではないか、その答えとやらを」


「感謝いたします。まず、武器とその扱いについてです。武器を揃えるにはデニズヨル、或いは他の大きな町、はたまたデニズヨルの南西に住まうイーデミルジュの民たちに、とお思いではありませんか?」


「うむ。確かにそうだな。それ以外にあるまいて」


「ですが、何かお忘れではありませんか?」


「ふむ。なんであろうな。すぐには思い付かぬ」


「答えはデニズヨルという町の特性と、そしてダルマクの方たちにあります」


「! そうか外地の商人から秘密裡に買い付けるのか。しかし、当てはあるのか? 我らはデニズヨルの商人たちとは懇意にしてもらっているが、外地の商人とは繋がりが無いのだぞ?  しんば繋がりを持てたとして、海軍はどうくぐるのだ?」


「その辺りのこともご安心ください。既に策は練ってあります。まず、商人については銀の海の向こう側、ハレ大陸のカネウラを拠点に、こちらに頻繁に商いに訪れているマチェイ商会と約束を取り付けてあります。会頭のマチェイ様が御年おんとし78歳にもかかわらず、デニズヨルに来ておりましてね、運よく内々のお話をすることが出来ました」


「ほう。78歳とは随分とお元気なことだ。して、海軍は如何いかがする?」


「はい。武器を積んだ船に難破してもらいます」


「難破とな!? 外地との貿易に使用する船を難破させるとなると、相当な損失になるではないか。それに、武器を運び込めまい」


「ええ、ですので難破をしたふり、故障して舵が取れないふりをして、漂着して頂くのです。船大工も多いダルマクの集落にて、積み荷を一度降ろして修理を行なうていであれば怪しまれないでしょうね。それに……」


「それに?」


「イスケレ家も何か動いているようで、最近、海軍の巡視が明確に緩んでいます。以前は怪しい船以外にも無作為に立ち入り検査を行なっていたようですが、最近は巡視の船を減らして検査対象も絞っているみたいですね。そうとなれば、実績のあるマチェイ商会の船はお目こぼしして頂ける可能性が非常に高いと踏んだわけです。勿論もちろん、検査に乗り込まれたときのために、舵と積み荷に細工を施しておかなければなりませんが。それから、武器の扱いについては、カネウラの傭兵組合に10人ほど派遣を依頼します。難破漂着予定の船に護衛の名目で乗船してもらえれば、同様に怪しまれにくいかと」


「なるほど、分かった。ところで最後の問いに対する答えはなんとする?」


 イーキンは少し考える仕草をした後、ゆっくりと口を開いた。


「私怨、ですかね」


 その答えに村長むらおさは破顔一笑し、それまでの威圧するかのようなくぐもった声色を一変させる。


「誤魔化さぬのか。面白い。バルクチュの振る舞いには、我々も腹に据えかねておったところだ。ここはオルマンユユのイーキン殿の話に乗ろうではないか」


「やはりお気付きでしたか」


「イーキンと名乗り、有力者に牙を剥けというのだ。誰でもセルハンの同志だった者だと思うであろうよ。しかし、話に乗るとは言うたものの、集落の行く末を左右することを儂の一存で軽々けいけいと判断するわけにはいかん。主だった者を集め、合議するゆえ、1週間ほど待ってはもらえまいか?」


「かしこまりました。では、その間、近くで寝泊まりするようにいたします。説明が必要な場合には、いつでも参じますのでお申し付けください」


「うむ」


 そして、冒頭へと至るというわけである。


 決して広いとは言えない集落の集会所に6人の男たちが車座に座っている。村長むらおさから時計回りに、長老1人、1500人ほどいる集落の各地区のまとめ役が3人、そしてドゥシュナンである。


「――ということで、儂としてはその男の話に乗り、バルクチュに一泡吹かせ、税を元に戻すことを要求したいと思っているのだが、みなの意見はどうか?」


 所々ぼかして話す村長むらおさの説明をドゥシュナンは熱心に紙に書きとっている。15歳になったばかりの彼の役割は意見を述べることでは無く、懇意にしていた長老に頼まれた書記である。

 村長むらおさの説明に対するまとめ役たちは、いつ頃になるのか、勝てる見込みはあるのか、負けたらどうするつもりなのか、素性の知れぬ男を信用できるのか、と当たり前と言えば当たり前の反応だった。それに対する村長むらおさの返答も、大丈夫だ、やってみなければ分からないだろう、と楽観的なものである。そのやり取りもドゥシュナンはあまさず書きとっていく。


「ところで、ドゥシュナンはどう思っているのじゃ?」


 今まで黙して語らず、ただ皆の意見に、うんうんと頷いていただけの長老が突然、ドゥシュナンに意見を求め、筆を止めた。自然しぜん、他の4人の視線も15歳の少年に集まる。

 沈思黙考。しばし思索の海に沈んだ少年の口からは、次々と言葉が紡ぎ出されていった。


「僕は村長むらおさの意見に賛成です。地方の平民から成り上がった英雄王マリクの物語にもあるように、このまま何もしなければ、ご領主様は益々ドゥザランの民たちを侮り、増税を重ねると思います。他方で一泡吹かせるには、反抗はすまいと侮られている、今のこの状況が非常に有利に働くと思います。内外に敵がいないのであれば、警備の兵を除いてほとんどが出払ってしまうでしょう。であれば、城壁も砦も無いデニズヨルのこと、武器も持たずに多勢を入り込ませ、現地で武装し、夜陰に紛れて北側の主要施設を占拠するのは容易たやすいのではないでしょうか。ただ、占拠して立ち退く代わりに税金を元に戻せ、というのは交渉材料としては弱い気がします。どう足掻あがいてもあちらの方が戦力は上ですからね。とすると、北側の住民を味方に付けて統治し、むしろ税金を払わないと突き付けた方が良いのかも知れない。なれば、住民のまとめ役のような人たちから事前に協力を取り付ける必要もあるのか。なるほど、なるほど、そうすると潜り込むのも更に容易たやすくなりそうだ。南側までは難しそうだから、ひとまず……」


 話し続けるうちに再びぶつぶつと思索を始めたドゥシュナンであったが、我に返ったように目を見開き、慌てて5人を見回す。


「あ、ごめんなさい。そうですね、村長むらおさの意見には賛成ですが、作戦はよく練らなければ要求を通すのは難しいと思います。それから、そもそもバルクチュ家はどこに攻め込もうとしているんでしょうか? 攻め込む先が他の有力家だとするならば、再び戦乱の時代が訪れるやも知れません。ドゥザランの民が巻き込まれ、なす術もなく隷従を余儀なくされないよう、今から力を付けておくことは悪くないと思います」


「戦乱……」


 まとめ役の一人が呟くと、他のまとめ役二人も一様に不安を隠せない表情になる。


「ふむ。だが、そうか。確かにドゥシュナンの言う通りだな。過去の時代には我ら3氏族は幸いにして争いに巻き込まれることは無かったというが、しかし、バルクチュ家の態度を見るに、我らの土地を収奪しようとする者が現れても不思議ではない。その男にもドゥシュナンの意見は伝えておくとしよう」


「ほっほぅ。さすがドゥシュナンじゃ。儂が見込んだだけのことはあるのぅ」


 思いがけず村長むらおさと長老に褒められ、なんとも面映ゆいドゥシュナンであったが、まだ今回の結論は出ていない。


「さて、長老様、まとめ役のお三方、結論は出せたかな?」


 村長むらおさが促すと、4人はお互いの顔を確認して賛成の意を示し、そして嫩芽どんがは、ゆっくりと、しかし確実に、ぐみのときに近づいていた。

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