第96話 膠着

 エンダーが不干渉の代わりに北部の島の民に約束させた条件は三つあった。一つは住民に手を出さないこと、一つは住民の生活と商売の邪魔をしないこと、最後の一つはエンダーが会頭を務めるバルクチュ商会に上等な牛50頭を卸すこと。

 島の民たちは既に納めた牛50頭以外の二つを遵守し、占拠した北町の役場と詰所を、その奪還に攻め込んでくるであろう衛兵から防衛する。更に、治安を守り住民たちの信頼を得られるよう町の警邏けいらも行なわなければならない。


 だが、占拠成功の立役者の一人であるドゥシュナンの表情は村雨むらさめの雲の如く、暗く、重い。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい死んだ死んだ死んだ僕のせいだ僕のせいだ僕のせいだ僕のせいだ僕のせいだごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 ルトフの集会所に各集落のおさ、それから作戦立案に関わったドゥシュナンが集まり、一足先にデニズヨルから戻ったイーキンから報告を聞いていたところだった。

 報告の最中さなかに突然わなわなと体を震わせながらドゥシュナンは小さく泣き始め、解散した後も用があるわけでもなく集会所に残り、定期的にぶつぶつと蚊の鳴くような声で繰り返している。


「ドゥシュナン君、気をしっかり持つんだ。争いごととなれば、必ず死者は出るものだ。気に病むことではない」


 イーキンは何回目になるか分からない励ましで、ドゥシュナンの緩解かんかいを試みたが、どうやら今回も失敗に終わったらしい。


「だって、だって、だって、5人も人が死んだじゃないか。5人も……」


 彼は未だ村雨の中である。


村長むらおさ殿、これは……」


「うむ。ひとまず家に送り届けるしかあるまい」


 村長むらおさとイーキンに半ば抱えられるようにして帰路に付くドゥシュナン。相変わらず心ここにあらずといった様子の彼に村長むらおさはゆっくりとした口調で語りかける。


「ドゥシュナンよ。我らは武器を取って争うと決めたときから、もっと多くの者が死ぬと思っておったのだ。それが今のところ敵味方双方で5人しか死んでおらん。これはお前のお陰と言っても過言ではない。だが、ご領主様との闘いは始まったばかりなのだ。今後もお前の献策が必要となるであろう。我らの未来をよろしく頼むぞ」


 ドゥシュナンの表情は相変わらずだったが、少し頷き、そしてほんの少しだけ瞳に輝きが戻ったようにイーキンは感じた。


 北部の島の民たちが占拠後のことに頭を悩ませている、その頃、デニズヨル南町の詰所では北町の衛兵隊長バリス・セレンと、当年取って40歳と最近の衛兵隊長としては少し若い南町のイゼット・トゥランが向き合っていた。北町の役場と詰所が占拠されてからと言うもの、日々、情報収集と対策会議に追われているのである。


「遅い! ご領主様は一体何を考えておられるのだ! この町が不法者に占拠されているのだぞ! ええい、くなる上は、我らだけでも攻め込もうぞ!」


「まぁまぁ、バリス殿、ここは落ち着いてください。遠征隊に伝令を送ってからまだ3日しか経っていないではないですか」


 なぜ、このようなむさ苦しい男と昼夜を共にし、面倒な作戦など考えねばならぬのだとイゼットは思った。


「お主は部下を殺されたことが無いから、そのようなことを言えるのだ! 俺の部下が3人も殺されたのだぞ? 今すぐあ奴らを打ちのめさなければ、死んだ部下に顔向けできん!」


 ふぅ、と短く小さなため息をいて、またこれかと内心うんざりするイゼット。


「心中お察しいたします。が、これまでの報告によれば相手はこの町に残っている兵の倍以上いるのですぞ? そして、バリス殿が残った部下を引き連れ敵に突っ込み玉砕したとして、死んだ部下たちが浮かばれるでしょうか? ますます部下が死ぬだけではありませんか。ここは敵の情報を集めながら遠征隊からの返事と増援を待つより他ないのですよ」


「ぐぬぅ。そんなことは分かっておるのだ。分かっておるのだが……」


 まだ何か言いたそうなバリスであったが、それっきり黙ってしまった。だが、作戦会議とは名ばかりの報告会はさっさと終わらせたいイゼットにとっては好都合である。


「さて、北町に潜入している者からの報告によれば、敵の数は推定で400から600。一度占拠している者が入れ替わったともあるので、総数としてはその1.5倍から3倍はいるものと予想。あちらの住民は今まで通りに生活。町の入り口も港もとくに封鎖されてはいない。住民の印象としては、どちらかと言えば悪い印象を持っているけれど、今すぐに出ていって欲しいと思っている者はごく少数と。ふむ。これは住民側から圧力をかけてもらうことは難しそうだ。最後に、役場と詰所の敷地内には着々と丈夫な木の柵が設置され、また、旧式だが軍用の火縄銃を大量に保有している模様!? 軍用銃などいったいどこから手に入れた!?」


「木の柵に軍用銃とは、なかなかに用意周到なことだ。奴らめ、本気で戦争をするつもりなのかも知れませんぞ。それに」


 押し黙る前とは打って変わって淡々と話し始めるバリスの話に、神経質そうにイゼットは割り込んだ。


「バリス殿の仰りたいことは分かります。それに……、いくさをしたこともない島の民たちが、どのようにして武器と知識を手に入れたのか。入れ知恵をしている者もるやも知れません。彼らの背後まで探らねばなりませんな」


「うむ。私も同じ意見だ。部下をこれ以上死なせないためにも、ここは貴君の言う通り情報収集に注力し、援軍が到着するまで慎重に動こうではないか。幸いにして、向こうから仕掛けてくる気配も無い事であるしな」


 しかしてデニズヨルはドゥシュナンの目論見もくろみ通り進み、あの夜から1週間経った。最初の1日、2日ほどは血気にはやる衛兵たちが詰所や役場に攻め入ろうとして小競り合いも起こったが、それから後は、島の民の要求に対するフェリドゥンからの返事もいまだない至って平穏な日々が過ぎている。


「イーキンさん。僕、南町の図書館で本を借りたいんだけど、良いかな?」


 ドゥシュナンは、落ち着きを取り戻したデニズヨルの北町を、へりがあるからの荷車を引いたイーキンと共に歩いていた。その少年は前後も分からぬ村雨から少し抜け出せたような、陰陽いんよう入り混じる表情で町を観察している。


「もちろん駄目だよ」


 素っ気ない返事に未だ硬いが少し残念そうな表情を見て取ったイーキンは、周囲に聞かれないようドゥシュナンに耳打ちする。


「今回の作戦が上手くいっている要因には、間違いなく君の献策がある。自分の立場をよくわきまえて行動するように。いいね?」


 イーキンの言葉に更に表情を硬くしながらも「うん」と返事をするドゥシュナン。


「さて、目的地に到着だ」


 イーキンが目的地と言ったその場所は、北町の住宅街、どちらかと言えば貧しい者たちが住まう区画、その路地裏だった。目的地と言う言葉にピンと来ていないドゥシュナンはイーキンの視線の先を追うも、特に目を引くものはない。あるとすれな、ぼろ布を身に纏った浮浪者とおぼしき男が一人、るだけだ。もっとも、浮浪者と断定するには違和感があった。ぼろぼろの衣服と伸び放題の髭とは対照的に、男の髪は短く整えられている。


「あの、イーキンさん?」


 イーキンはドゥシュナンの問いかけに反応せず、説明を始める。


「ではドゥシュナン君、今からあの男を荷車に乗せて集落まで運ぶよ。君のところの村長むらおさ殿に面倒を見てもらえるよう、お願いしてあるんだ」


 ドゥシュナンは言われるがままに手伝い、男を荷車に乗せる。男の方はと言うと身じろぎもせず受け入れていた。


「それでイーキンさん、この男の人はいったい誰なんですか?」


「それは後で話すよ。さぁ、集落まで戻ろう。もうひと頑張りだ」


 いつも通りの夕焼けの帰り道、ドゥシュナンは得体の知れないこの男を観察していた。男は、そこには存在しないはずの本を、その虚ろな瞳でずっとずっと読んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る