第89話 クリスタ

 ――コンラート商店。それは傭兵組合のすぐ近くで武器などを商っているお店である。


 何日か武器を運び入れていた様子はあったものの、開店当初は看板がなかった。そこで、怪しんだエトムントさんとアロイスさんがそれとなく踏み込んでみたら、愛想の良い武器屋だったという曰く付きのお店だ。今では看板もあり若手からベテランまでよく利用されているが、俺はまだ入ったことが無い。南東街区の雰囲気が好きで、直接、馴染みの職人のところに行くからだ。


 ノエの話から8年、エレオノーラ様の話からは5年経った。

 たまに魔物を駆除し、たまに傭兵組合の依頼を受け、たまにアルマや知り合いと狩りに出かけ、頻繁に孤児院を手伝う、相変わらずそんな気ままな日々を繰り返している。御大層な葡萄えび色の革装の本は、今も特に変化なく淡々と記録を続けている。

 だが、40歳を過ぎたあたりから体力の衰えを痛感していた。魔物の増加と共に組合に登録する傭兵も大分増えていて、俺の魔物殺しの異名などもはや何の意味も持たないだろう。


 5月。緑萌ゆる草木の力強さと美しさを感じつつも、本格的に傭兵の引退も考えていた頃、ルッツさんからよろしくされたので、今まで使っていた装備品一式をたずさえ、例のコンラート商店を訪ねたのであった。


「いらっしゃいませ」


 店に入ると俺よりも少し背の高い、やや痩せ型で人懐っこそうな表情の男に挨拶をされた。どこかで見たことがある顔に、どこかで見たことのある髪色だが、今はまぁ良い。用事を済ませながら、それとなく確認すれば良いだろう。


「そうなんですか。それはどうもありがとうございます」


 名前を名乗り、ルッツさんの紹介で来たことを伝えると輪をかけてニコニコし始めた。彼のことを余程尊敬しているのだろう。それこそ信仰とも言えるほどに。


「ああ、スヴァン様、申し訳ありません。うちでは買取りはしてないんですよ。でも、折角のご縁です。検討しますから拝見しても構わないでしょうか?」


 中古装備の買取りはしていないそうだが、検討してくれるらしい。なかなか機転がきく良い店員じゃないか。それにしても――


「よく手入れがされていて、なかなか良い状態ですね。あれ? どうかしましたか?」


 こちらの視線に気付いたようなので、名前と、それからあの一族と関係があるかどうか聞いてみた。


「そうでしたか。申し遅れました、ワタシの名前はコンラートです。ええ、確かに父は領主をしております。継承権を放棄しておりますので、もう関係のないことですけどね。え? ……いいえ、それは光栄なことですが、先代の、ランプレヒト伯父さんの子供ではありませんよ」


 ハインツ兄さんの子供だったのか。それにしても、ランプレヒト兄さんによく似ているものだ。


「伯父や父と面識でもお有りですか? え! 祖父ともあるんですか! それは実に羨ましい! よろしければお話を聞かせて頂けませんか? お店もご覧の通り暇ですし」


 それから俺は、知っている限りのことを話した。グスタフ閣下のこと、シュテファンのこと、ドロテちゃんのこと、ランプレヒト兄さんのこと、ハインツ兄さんのこと。どれもこれも目を輝かせながら、ときには曇らせながら聞いていた。どうやら聞き上手な人間に育ったようで、話していて良い気分になる。


「……どうもありがとうございます。お陰で気力がみなぎってきましたよ! ところで、お預かりした武器と防具なんですけど、補修も必要なので、買取価格は新品の相場の2割でいかがでしょうか? ええ、お話を聞いて、ますます商売を頑張らないと、って思ったんです。初めての試みですが、中古品の売買もやってみようかと思いましてね」


 前向きで良い事だよ。


「あ、それと、これが混ざってたんですけど、生憎あいにくとワタシには使い道が分からないので、これだけは返却ですね」


 そう言った彼の手には、買取り代金と、ギューテ神の神紋のある青い神石しんせきが握られていた。最初に見た神石もそうだった。あのとき、素直に美しいと思った感動を覚えていたくて常に手元に1つはそれを置いていたのだった。


「何年か前に使い方が分かったからって、魔石ませきと名前が変わったらしいですけど、スヴァンさんでも使い方はご存知ないですか?」


 使い方はおろか名前が変わったことすら知らなかったことをそのまま伝える。


「そうでしたか。使い方が庶民に知らされるのはまだまだ先なんですかね? あ、お帰りですか? いえいえ、こちらこそ。どうもありがとうございました。また来てくださいね」


 コンラートか。何か引っかかるが、家名を捨てて立派にやってるなんて、なかなか見どころのある男じゃないか。


 それから俺は傭兵組合の登録票も返却し、孤児院の手伝いをしながら、家で沢山の時間を家族と過ごした。


 だが、それくらいの時期からどうしたことか、前以上にひどく疲れるようになった。どこも痛いところが無いから、ただの老化だと思っていたのだが、疲労からほとんど回復しないのはさすがにおかしい。教会の司祭や薬師にてもらっても皆「分からない」と言うだけだ。アルマは栄養の付くものを食べさせてくれるが、一向に良くならず、ベッドで1日を寝そべって過ごすことが多くなってしまった。




 そしてある眠れない夜のこと。


 ギィ――


 眠いはずなのに眠りに落ちない、そんなとき誰かが部屋に入ってきた。

 顔と視線だけ動かしてそちらを見る。


 マザーだ。


 今年でいくつになっただろうか? 前と変わらず若いままだ。


「スヴァン、まだ起きてたの? 駄目じゃない、早く寝ないと」


 いつもの笑顔で優しく語りかけてくる。


「全然眠れないんだ」


「あらあら。昼間あれだけ遊んだのに、まだ遊び足りないのかしらねぇ」


「うん。昨日はこーんな大きな魔物を倒して、今日はこーんな大きなまものをたくさんたおしたんだ」


「まぁ、それは凄いわね。みんな喜んでくれたでしょう?」


「うん。ありがとうって。たくさん、たくさーん言われたよ」


「そう、良かったわね」


「あとね、あとね」


「あら、何かしら?」


「あとね、ともだちみんなでしょうにんさんをまもったの」


「まぁ、本当に?」


「うん。みちをあるいてたらね、とうぞくがおそってきて、みんなでぶんぶんして、ともだちがばーんってしたら、こうさんしたんだ」


「まぁ、凄い。頼もしいわ。それで、盗賊さんたちはどうしたの?」


「ゆるしてあげた」


「優しいのね」


「そしたらね、とうぞくにつかまってたとってもかわいいおんなのこがでてきて、ぼく、けっこんしたんだ。アルマちゃんっていうの」


「あらー、おめでとう。今度、私に紹介してね」


「それでね」


「うん? どうしたの?」


「それでね、おそうしき、いけなくてごめんね」


「いいのよ、気にしてないわ。ところでそろそろ寝ないとね」


「はーい。ねぇ、マザー、またあのおはなしきかせてよ。そしたらぼく、ぜったいにねるからさ」


「スヴァンは本当にあのお話が好きね。分かったわ。特別にお話してあげる。その代わりに必ず寝るのよ?」


「はーい。ぜったいにねるー」


「えー、こほん。むかーしむかしのそのむかし、お父さんやお母さんの、お爺さんやおばあさんの、そのまたお爺さんやお婆さんが生まれるよりも、もっともっともっともーっとずーっと昔、人は毎日、獣に怯えて暗い穴の中で暮らし――


――末永く暮らしましたとさ。めでたしめでたし。


あら、途中から声が聞こえないと思ったら寝てたのね……」


 心地よい声にうとうととしていたとき、不意に頭の中に何かが破裂するような音が響き渡り、周囲が急速に閉じていった。


 もう、何も聞こえない。






 あんなに泣き虫だったのに本当によく頑張ったわ。またどこかで会えるといいわね、はんべちゃん。





――第2章 悔悟 完――

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