第87話 花壇
「アルマ、ただいま!」
俺はゆっくりとドアを開け、元気に最愛の女性に声を発した。
「あら、スヴァン。おかえりなさい」
「1ヶ月近くも会えなかったけど、相変わらず綺麗だね」ポ♡
「スヴァンも相変わらず素敵だわ」ポポ♡
「アルマ……」ポポポ♡
「スヴァン……」ポポポポ♡
「スヴァンおかえりー」
「スヴァかえりー」
アルマに見惚れ過ぎていた俺は、6歳と2歳の子供たちの無邪気な声で現実世界に帰ってきた。
アルマは結婚して3日くらいは緊張のためか無表情なことが多かった。しかし、すぐに慣れたようで、8年経った今では少しふっくらしてきたことも手伝って非常に人当たりの良さそうな顔に仕上がっている。稽古のときの剣の当たりは相変わらず厳しいのだが。
「ところでいつまでも美しい俺の女神様、留守の間に変わったことは無かったかい?」
聞きながらアルマの腰にそっと手を回し、その
「そうね。あなたがジェカアレスに出発して5日くらい経った頃だったかしら。孤児院で新しく働くことになったとかで、教会の方が挨拶に来てたわよ。クリスタ様がご高齢でしょ?お手伝いも兼ねた後任みたいね」
アルマも俺の首に両腕を浅く絡める。ああ、どうしてアルマはこんなにも美しいのだ……。
「こどものまえでいちゃいちゃすんなー」
「すんなー」
またもや子供の存在を忘れて世界に入ってしまっていた。二人は見つめ合いながらも慌てて距離を取る。それにしても、この子たちはどこでそんな言葉を覚えたんだろう?最近の子供はおませさんだぜ。
「その人は何か言ってた?」
変にいちゃつかないように、今度は4人掛けのテーブルでアルマと向かい合わせに座る。
「そうね。あなたが不在だと伝えると、また来ます、って」
「ふーん。明日は孤児院に顔を出そうと思ってたから、ついでに挨拶しておいた方が良さそうだね。その人、名前は?」
テーブルの上に置かれたアルマの手に俺の手を
「ええ、コジマさんて言ってたわ。まだ若い女性よ」
「コジマ?それって苗字じゃないの?」
俺の手の中にあった柔らかな両手からアルマは右手だけを抜き、逆に俺の手に被せてきた。その温かく優しい感触が愛おしくてたまらない。
「え?違うわよ?女の人の普通の名前よ?」
「あ、そうか。そうだった。そうだったね」
そのとき、6歳が我慢出来なくなったのか、椅子に乗って身を乗り出しアルマの上から手をかぶせてきた。
「あたしもぽぽぽするー。スヴァンあそべー」
「すうー」
2歳は机のそばで俺に向かって一生懸命両手を上げている。威嚇かな?
依頼を終え、ジェカアレスから自宅に戻ってきた夜は、こうして温かく
このままこの幸せがずっと続けば良い。しかし、僕は神の名の
魂が巡った先で、果たしてその孤独に耐えられるだろうか。
*
翌日、9時の鐘が町の家々に浸透するなか、俺は孤児院を訪れた。玄関脇のちょっとした広場では相変わらず子供たちが元気に騒いでいる。イヌイにいるときには結構な頻度で顔を出しているが、その輪の中にシェスト教の助祭であることを示す無地の麻のローブを纏った見知らぬ成人女性がいる。あれがコジマさんだな。
「お早うございます」
自分の中の爽やかなイメージを引っ張り出して、口角を上げ明るく声をかける。
「スヴァン、にやけてるー。へんたいだー」
「へんたいだ!」
「へんたいさんだー」
コジマさんと
「こーらー、面と向かって言ったら失礼でしょ。あ、おはようございますー。スヴァンさんですか?」
うん。初対面の女性にディスられたね。悲しい。
「……はい、スヴァンです。先日、わざわざ家に訪ねてこられたそうで」
「あら?元気ないようですね?中で休んでいかれますか?」
この人、天然か。
それにしても若いな。見た目、16歳くらいに見える。若すぎる。
「へんたいがねえちゃんをじろじろみてるー。へんたいだ!」
「へんたいさんだー」
えええ。そんなあ。おじちゃん、変態じゃないよう。
「こら、何度言ったら分かるの。変態さんでも言っていい事と悪いことがあるのよ。あ、ごめんなさい、ちゃんと言っておきますから。ささ、中へどうぞ」
あなたの言い方が一番傷付くんですが……。
紳士を自認してるから表には出さないけどね。
「改めまして、クリスタ様の補助として赴任しました助祭のコジマです。スヴァンさんには常日頃から当孤児院に多大なご支援を頂いているとお聞きしましたので、先日、お宅にお邪魔した次第です」
そう言って深々とお辞儀をするコジマ。やれば出来る子じゃないか。
「私のことは気軽にコジコジって呼んで下さいね☆」
やっぱ無理。
「ああ、はい、よろしくお願いします。ところで今日はマザーは?」
「クリスタ様でしたら、今の時間は裏庭で日向ぼっこしていると思いますよ。このコジコジが呼んできましょうか?」
「いえ、裏庭へはこっちから行くので大丈夫です」
コジコジと一緒にいると疲れそうな気がしたので、早く離れたかったのもある。若い子と話していて疲れるだなんて、俺もやはりおじさんなんだなと思いながら、のんびりとお勝手口を出て井戸とは反対方向の裏庭へ出た。そこは小さな花壇が2つ、それから3人掛けのベンチが2つあるだけの空間だったが、昔からマザーお気に入りの場所だった。
俺は、ベンチの真ん中で幸せそうな顔をして座っているマザーを認めると、無言で隣に座る。小さな花壇の1つには青紫色のシラーが一面に咲き誇っていた。もう1つの花壇には雑草のようなものが生えている。
「こんにちは、マザー」
「お帰り、スヴァン。ジェカアレスはどうだった?」
「良い町でしたよ。人も、天気も」
「そう。良かったわね」
「あっちの花壇には何が植えてあるの?雑草に見えるけど」
「プレクトランサスよ。10月になったら可愛らしい白い花が咲くんだ」
それっきり、二人で何も喋らず、何も考えずに30分くらい。
心地よいお日様と、路地をのんびり散歩してきた柔らかい風と、土と草の匂いに身をゆだねる。
「マザーは幸せ?」
「ええ。幸せだったわ」
「そう。じゃ、今日はもう帰るよ。体に気を付けるんだよ。また来るからね」
「……ありがとう。お前はいい子だね」
*
それから2年後のプレクトランサスが咲く季節、マザーが死んだ。
満足そうな良い死に顔だったという。
俺はサコ周辺で多く発生したという魔物の対応に追われ、イヌイに戻ってマザーの死を耳にしたときには、すでに
ところで最後にマザーと話をしたのはなんだったろうかと記憶を辿れば、少年神の絵を描き直して渡したときだった。俺が随分と前に贈呈した少年神の絵をとても大事にしていたが、溶けて輪郭がぼやけてしまったのだという。文字通り泣いて喜んでくれて、気恥ずかしい思いをしたものだ。
思えば、この頃から引退を強く意識し始めたのかも知れない。魔物駆除に出かける回数を減らし、組合からの仕事をイヌイ内のものだけ受け、アルマと共に頻繁に孤児院に顔を出し、手伝うようになった。こうやって人生を閉じていくのだな、もう新しい出会いも、遠出をすることもないだろうと思いながら。
でも、そんな生活にも感情にも慣れた頃、新しい出会いが待ち構えていた。
「初めまして、スヴァンさん。それとも、久しぶりね、シュテファン。と言った方がいいかしら?」
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