第86話 空(くう)を得る

「なぜ、俺に話をしたんです?」


 デニス、否、ノエは一通り話し終わったのか、目をつぶり、顎を上げて天井を仰ぐような姿勢になっている。そこで聞いてみた。


「なぜ?……簡単なことだ。お前はドリテの人間じゃないし、見るからにお人好しなつらをしているからなあ。それによ、お前、シュテファン・オダと何か関係があるんだろ?でなきゃあ、エルマー・ブルームハルトの名前など、咄嗟に出てくるものか」


 ノエは先ほどの姿勢で目を瞑ったまま、ぼそぼそと喋っている。

 しかし、疑問への完全な答えにはなっていない。


「俺は確かにツチダの警備を担当していましたけれど、それとこれとは繋がりが無いような気がするんですが……」


「……ああ、そうだな。もっともだ。なんだろうなあ、……俺にもよく分からねえが、どうしてもお前に話したくなっちまったんだよなあ。なんでだろうなあ。贖罪しょくざいのつもりだったのかも知れねえな」


 それっきり、俺はもうそれっきりノエに質問する気にはなれなかった。心の奥底ではまだくらい情念が砂礫されきに埋もれてくすぶってはいるが、それが再び燃え盛ることも無いだろう。

 この男は両親のために名を捨て、両親を捨て、国家に人生をもてあそばれた被害者かも知れないが、それでも任務を自分の意志で遂行し、結果、ボクは殺されたのだ。

 だが、目の前でベッドに横たわり、間近に枯れ果ててゆかんとするこの男はどうだ。自分が手を下さずとも、今にもその存在がなくなりそうではないか。


 俺は、ボクはやはりお人好しなのだろう。自分を殺した男をどうにも殺せないのである。



 コンコン、ココン


 ノエが目を瞑ってからどれくらい時間が経っただろうか。ドアを調子よくノックする音が聞こえてきて、ただただ虚無に居た俺を現実に引き戻した。


「スヴァン、悪いがドアを開けてやれ。生臭なまぐさが来たようだ」


 ノエは目を閉じてじっとしていたが、寝ていたわけではなかったようだ。


「お二人ともー、お話は終わりましたかー?」


 生臭なまぐさなデニスは入ってくるなり、間の抜けた、しかし明るい声で聞いてきた。彼なりに気を遣っているのだ。


「ああ、ありがとよ。お陰で心残りが晴れた。ただの不良祓魔師エグゾチスタだと思ってたが、案外お前もお人好しだったな」


「いやー、褒められると照れますなー」


 死を目前に控えた人との会話とは思えないが、今まで知らぬふりをしていただけで、こういうものだったのだろうな。


「スヴァンもな、ありがとうよ。今回の依頼料はそいつ生臭祓魔師に預けてあるから帰りに貰ってくれ。最期にお人好しに囲まれて、俺の人生も少しはましになれたかもな。ありがとうよ。ありがとうよ」


「それではデニスさん、スヴァンさんを船着場まで送っていきますので」


 ノエは首を縦に振りながら小さく「ああ」と呟いた。俺は自分の心をうまく整理できないまま中途半端な笑顔でノエに手を振り、もう二度と無いであろう依頼を終えたのだった。


「ところでスヴァンさん。あなた、イヌイから来たんですよね?」


 船着場までの道すがら、不良祓魔師に話題を振られた。


「ええ、そうです」


「イヌイには若くして神の啓示を受けた聖女がいらっしゃると聞いたことがあるんですけど、その方の御姿とか、ご趣味とか、好きな食べ物とか、何かご存知ないですかー?」


 どうやら不良祓魔師はその聖女というものに大変な興味があるらしく、目を輝かせている。聖職者業界ならではの憧れの人とかそういう感覚なんだろうか。

 それにしても聖女と言えば、あの人のことかなあ?


「デニスさんが想像している人かどうかは分かりませんが、思い当たる人は一人いますよ」


「ほーう。それは是非とも!」


「年齢は60歳ちょい過ぎで、普通の住宅街に住む普通の人ですね。同年代よりも少し若く見えるので、それを伝えると大変喜ばれます」


「お、おーう……。自ら市井しせいに住み人を救う、そして庶民的なことで喜ぶとは、想像通りのお人柄ですね」


「趣味は、純真無垢じゅんしんむくな少年に『お姉ちゃん』と呼ばせること」


「お、おーう?将来の信徒に神の教えを広めるのですね。流石です?」


「好きな食べ物は、大体何でも食べますよ。雑食です」


「……おー?……残念ながら私が探していた聖女様とは別の人だったようですね。下らない戦争が終わったらイヌイに遊びに行って自分で探してみますよー」


「下っ端が下らないとか言っちゃって大丈夫なんですか?」


「だいじょーぶですよー。何せ下っ端ですからね!」


 全然答えになっていない回答に思わず吹き出してしまった。そして気が付いた。この人、わざとやってくれてるんだな。生臭だの不良だのと呼ばれていたが、その辺りがどこまでもお人好しで、ジェカアレスという町の人たちなんだろうな。その帰りは自己主張の少ない白群びゃくぐんの空が、何故だかとても優しく見えたものだ。


 依頼料?銀貨5枚だったよ。2時間くらいで終わって命の危険もないことを考えると破格のお値段と言えなくもない。道中も先に貰った銀貨100枚で十分間に合ったし、特に問題は無いだろう。

 ただ、お金のことよりもボクを、シュテファンを殺害した犯人がはっきりと分かったことは、俺にとって予想外の出来事だった。元々、見付かりっこないだろうとどこかで思っていた。或いは、神の『それは君自身が調べればいずれは分かることだ』に油断していた。結果、積極的な調査は行なっていなかった。あくまでもついでだ。


 正直、諦めていた。そして、気付いていたのだ。殺された者の恨みなど、今を生きる人間の妄想であり呪いであると。だから俺はノエを殺せなかったのかも知れない、殺さなかったのかも知れない。例えボクが俺として生きていても、それは既に過去にしか生きていない亡霊であり、そしてどこまでも呪いなのだ。この先も、その先も、ずっと、ずっと。


 だから……、だとすれば、俺はどうするべきだろうか?


 元の世界に戻る方法を探すべき?


 否


 神は『死因は分からないが亡くなってね』とはっきり言っていた。これではない。


 神を殺して輪廻を止めるべき?


 否


 神を殺す方法は恐らく存在しないし、魂を管理する存在とも考えられる。殺せたとしてもこの世界の生命がどうなってしまうのか。悪い方向に向かっていくであろう想像しかない。


 神にお願いをしてお役目から外してもらうべき?


 否


 一見、現実的に思えるが、あれ以来、神には会っていない。一度きりだ。会う方法も分からない。


 ところで、どうしてこんなことを考えているのだろう?


 ……そうか。ノエに影響されたのか。ボクを殺したかたきである男に影響されるなど皮肉なものだ。だが、お陰で肚は決まった。


 生きてやる。

 この先、どんな困難が待ち受けていても、どんな他生たしょうが待っていたとしても、たとえ泥水をするることになろうとも、あらん限り生きてやる。


 生きて、生きて、生きて、生き抜いて世界を見るのだ。神に見せつけてやるのだ。

 嗚呼、ヒトはなんといじましく、美しく生きているのかと言わしめるのだ。そうすれば、いずれ魂の循環が乱れた原因にぶち当たることだろう。


 ……なんという事か。考えたところで結局は神の望む方向ではないか。


 だが、とことん生き抜いてやる。


 それが神のてのひらの上だったとしても。

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