第85話 悔悟②

「昔から両親と仲良くしてた近所の男がよ、大きな商売を始めたい、だけど手元の資金が足りないから借金の保証人になってくれと言ってきた。はじめは断っていたが、何度も泣きすがられてお人好しの親父は保証人になっちまった。だが、お金を手にした途端、その男はドロン、後には小さなパン屋が一生をかけても返せるかどうか分からない借金だけが残っちまった、というわけだ。


「もちろん俺は自分の生活を切り詰めて、給金のほとんどを細々とパン屋を続けながらなんとか生きている両親に渡した。だが、半年ほど経ったときだ。どこから情報が回ったのか、王国軍の特殊作戦部隊に目を付けられた。部隊なんて名乗ってはいるが、任務のためだったら放火でも暗殺でも一般人の殺害でも略奪でもなんでもやるような、ひどい部隊だったよ。


「俺はそこに勧誘された。両親の借金をすべて肩代わりしてやる、という餌でな。それがあいつらの常套じょうとう手段だったんだろうな。弱みのある人間を甘い言葉で誘い、普通の兵士が嫌がるような仕事をさせるあいつらの。


「……俺が勧誘をどうしたかって?もちろん受けたさ。それで両親が元の暮らしに戻れるんだ。選択の余地なんかあるわけないだろ?だが、俺はもう両親と会えなかった。特殊作戦部隊に入るときに名前を捨て、過去を捨てさせられて、俺は”ノエ”になった。両親にはどう伝わっているか分からない。おおかた、秘密の任務で家には帰れないとでもしてあるんだろう。死亡扱いだと遺族にお金を払わないといけないからな。


「部隊に配属された俺は一通り訓練を受けた……、いいや、あんなものは訓練ではなかった。毎日、毎日、毎日、人を殺した。今思えば、任務に邪魔な”良心”を壊すための儀式だったんだろう。何人も脱落していったよ。だけど俺は残った。途中で止めれば借金を肩代わりする話は無しだと脅されてな。本当にクソったれな奴らだ。


「その後はご想像の通りだ。沢山の暗殺を指示され、ドリテ王国の中で多くの人間を殺した。国王の暗殺を企てている者など、かなりまともなものだ。今の体制に批判的な貴族、王の銅像を誤って損壊させてしまった掃除夫、ドゥリビエの町中まちなかで王国政府を批判していた町人、それに資金援助をしていた役人、洪水で税金の輸送が遅れてしまった村長、ただの裕福な商人とその家族。


「彼らが殺されるべき人間だったのかは俺には分からない。だが、人を殺すのは簡単だった。心さえ閉じてしまえば、あとは作業だ。油断をさせて近づき、視界を奪い、心臓を突き刺し、或いは首の太い血管を斬れば良い。誰にでも出来る。誰にでも……。


「……ノエの手配書が出回ってた?ああ、そいつもいつもの奴らの手口だろうよ。これから話してやる。


「人を殺すことに何の感情も抱かなくなってから何年も経った或る日、俺に厄介な任務が与えられた。隣国アシハラのオダ一族を誰でもいいから殺害しろ、そんないい加減なものだった。任務の目的はリヒトからアシハラへの攻撃を誘うものだと推測したが、その頃には組織の忠実な駒になっていたからな、何も質問せずイヌイの孤児院近くの安い部屋を借りて、現地の協力者と共に情報を集めたさ。


「……その協力者の名前?さあな。知ってたら拷問されたときにうっかり吐いちまって、そこからケチが付くだろ?お互いに知らない方が良いことだってあるのさ。


「情報を整理して暗殺対象を絞り込み、任務遂行の計画を練っていた頃、どうやって手に入れたか、使い込まれたアシハラの兵装一式とヨシハラ公爵家の封蝋が施された封書を協力者の一人が持ってきた。軍の所属票のおまけも付けてな。封蝋を壊さないように慎重に封を開け、手紙の内容を確認して俺は任務の成功を確信した。そして、部屋を引き払い馬を手に入れて、対象がいるツチダの近くに潜伏し、協力者と連絡を取り合いながら時機を待った。


「果たしてその機会はすぐにやってきた。警備が一人減り、面倒なフォーゲルの小倅こせがれが遠出しているその一瞬の隙に近づきシュテファン・オダの殺害に成功した。奴はリヒトの穏健派レーデ卿の孫だ。そいつが死ねば強硬派の連中はこれを好機とばかりに侵入を試みるだろうと踏んでいた。予想外に宰相のグスタフ・オダが内紛で殺害されて予想を上回る事態にはなってしまったがな。……言っておくがグスタフ殺害にはドリテは絡んでいない。俺の知る限りでは、だが。王が腹心のエメリヒ・クレーべを使って襲撃したんだ。余程のことがあったんじゃないか?


「殺害後、イヌイのそばで協力者に兵装一式と馬の処分を託したが、そいつには別の命令があったんだろうな。引き渡した直後に俺に斬りかかってきやがった。口封じって奴だ。何とか馬を奪って逃げおおせたが、だが、もう帰るところが無い。アシハラに留まり続けるのも危険だが、ドリテに帰るなどそれ以上に論外だ。収まるべくしてリヒトに収まった、というわけだな。


「……そうだ。俺はエルマー・ブルームハルトだ。エルマー・ブルームハルトにしてノエだ。ロスツェスティに潜伏して、ドリテの刺客とアシハラの追手に何年も怯えて暮らしていたんだ。だから、青いリベリーお仕着せ布を着て武装したお前があの場所で、その二つの名前を口にしたとき心底恐怖した。しかし、同時に安堵した。もう、これで怯えなくて済むんだ、逃げなくて済むんだってな。だが、お前もお人好しだな。あれ以上追及してこなかった。いっそ、目の前にいるこの男が心臓を一突きしてくれれば、どんなに救われたかとさえ思っていたのに。


「俺はあの後3日も経たず、すぐにロスツェスティの町を出た。ほとんどバレたも同然だ、すぐに別の追手が差し向けられるだろうと思ったからな。まあ、予想は大外れだったが。……そうしていくつかの町を着の身着のままで彷徨った俺はこの町に流れ着いた。付いた初日に運悪く世話好きな婆さんに見つかってな、ボロボロの身なりだった俺に服とパンと温かい煮魚と、そしてこの家を用意してくれた。自分より早く死んだ息子の家なんだって言ってよ。


「ここで暮らしている奴らの顔を見たか?みんな良い顔してるだろう?こんな素性も分からない殺人者に、何も聞かず温かく接してくれたんだ。両親も、お前も、大概にお人好しだったが、ここの連中は輪をかけてお人好しなんだよなあ。だから俺は気兼ねなくここで人生を終えようと思った。……自殺するってことじゃねえぞ?ここに住む覚悟を決めたってことだ。


「……もう2年、いや3年経ったか?ここに来たときから色々と世話を焼いてくれた近所の婆さんが死んだ。子供、孫、ひ孫、ご近所さん……、大勢の人たちに囲まれた幸せそうな死に顔を見て思ったよ。人生はこうあるべきなんじゃないか、こうあるべきだったんじゃないかって。そのときに俺は死ぬまで生きてやろうと思ったんだろうな。そして今まで忘れていた故郷の両親のことが頭に浮かんだ。お人好しの両親は元気にしているだろうか?或いは、幸福の内に死ねただろうか?と。俺が知るすべも無いがな。


「そうして今に至るというわけだ。

 ドリテの刺客もアシハラの追手も一度も来ていない。

 ……俺は勝ったんだ。俺を消そうとしたドリテに、俺に死の運命を仕組んだ神に!

 俺は生きた!ざまあみろ!

 生きてやったぞ!

 俺はお前らに勝ったんだ!

 どうだ!

 俺を殺そうとしたお前らに勝ったんだ!

 ざまあみろ!

 ざまあみやがれってんだ!

 俺はやったぞ!俺はやったんだ!

 俺は生きたんだ!

 俺は、俺は……。




 だけどよ、



 俺が殺した奴らはもう生き返らねえんだよなあ……」

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